第4話 処刑エンド令嬢、新しい家に帰る
退院の日は、思ったよりもあっけなかった。
「それでは、気をつけて帰ってくださいね」
看護師に見送られ、ジェーン・グレイ――もとい
父が運転する車に揺られることしばらく。
到着したのは、住宅街の一角に建つ大きな一軒家だった。
「ここがナデシコの家だけど……覚えてないかい?」
父が目線を合わせて問う。
ジェーンは小さく首を横に振った。
「……そっか」
父は小さく呟く。
明らかな落胆。だけど、それを表に出すまいと、弱々しい笑顔を浮かべる。
門をくぐり、玄関へ向かう。
確かに一般家庭としては立派だ。
庭には花壇もあり、外壁もキレイに手入れされている。
――けれど。
「……小さいですわね」
ぽろり、と本音が口をついて出た。
一瞬、空気が止まる。
しまった、と思った時にはもう遅い。
父は一瞬だけ目を丸くし、それから苦笑いを浮かべた。
「はは……小さいか。これでもがんばったんだけどなぁ」
その言葉に、ジェーンの胸がちくりと痛んだ。
(怒らないんですの?)
いっそ、その方が気が楽だった。
確かに愛されている。
だけど、その対象はナデシコであってジェーンではない。
それを感じているだけに、父の優しさが余計につらかった。
玄関を上がり、家の中へ。
廊下も、階段も、天井も――すべてが低く感じられる。
けれど――妙に落ち着く匂いがした。
夕方――
キッチンから、どこか懐かしい香りが漂ってくる。
「ナデシコ、今日は肉じゃがよ」
母がそう言って、食卓に皿を並べた。
湯気の立つ煮物。
ほくほくとしたじゃがいも。
甘辛い香り。
――肉じゃが。
それは、
……だったらしい。
(煮物……ですの?)
ジェーンは、フォークを持つ手を止めた。
香辛料の効いた料理でもない。
見た目は、驚くほど地味だ。
彼女は結局、その夜、ほとんど箸をつけなかった。
「……ごちそうさまですわ」
そう言って席を立つと、両親は何も言わずに微笑んだ。
その優しさが、かえって胸に刺さる。
二階にある、自分の部屋――「ナデシコ」と書かれた表札の部屋に入る。
ベッド。
机。
本棚。
どれも質素だが、きちんと整えられている。
机の引き出しを開けると、一冊のノートが出てきた。
「……日記、ですの?」
ぱらり、とページをめくる。
『〇月✕日 今日も何もできなかった 無気力』
『〇月△日 ワタシなんて、いてもいなくても同じ 空気』
『✕月△日 どうせ、何をやってもうまくいかない 虚無』
――暗い。
どのページも、驚くほど暗い。
(この方は……毎日こんな気持ちで、生きてきたんですの?)
胸が、きゅっと締めつけられる。
(ワタクシは……本当に、この方として――
病院の屋上で、「青春をリベンジする」と意気込んでいたはずなのに、早くもジェーンは挫折を痛感してしまうのだった。
夜――
トイレに起きたジェーンは、一階からかすかな声が聞こえることに気づいた。
そっと覗くと、明かりの
「……ナデシコ、まるで別人になったみたい」
母が、目元を押さえながら言う。
「無理もないよ。あんな大きな事故に遭った後なんだし」
父は、母の肩にそっと手を置いてなぐさめる。
「……でも、肉じゃが、好きだったのに」
母の声が、弱々しく震える。
「……時間が経てば、またいつものナデシコに戻るさ。それまで、待とう」
父の言葉に、母はハッと顔を上げる。
そして二人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。
ジェーンは、息を呑んだ。
(……ワタクシが、お二人を悲しませてしまっている)
部屋に戻り、ベッドに潜り込む。
罪悪感が、波のように押し寄せてくる。
(……ワタクシ、どうすればいいんですの?)
死の淵から転生して、人生をやり直せるチャンスを与えられた。
だけど、自分がいることで別の誰かを悲しませてしまうという、やるせなさ。
死にたくない。
だけど――
――ぐぅ。
その時、気の抜けた情けない音が、お腹から奏でられる。
(……空腹、ですわ)
気分は落ち込んでいるというのに、そんなことなんてお構いなしに空腹は訪れる。
それが何とも情けなくて、余計に自己嫌悪に
王宮では、空腹を感じる前に食事が運ばれてきた。
一流のコックが作った、
けれど今は、違う。
『自分にできることは、何でもいいからやってみることだよ』
不意に、病院で出会った老婆の言葉が頭の中によみがえる。
(ワタクシに……できること)
ジェーンはベッドに横たわりながら、思いを巡らせるのだった。
眠れぬ夜を越えて、朝を迎える――
(……今のワタクシができること、それは)
小さな決心をしたジェーンがキッチンに降りると、母が朝食の準備をしていた。
「……あの」
ジェーンは、小さく咳払いをする。
「肉じゃが……いただけないでしょうか?」
母の手が、止まった。
次の瞬間、父と母が顔を見合わせ、ほっとしたように笑った。
「ええ、すぐ温めるわね」
昨夜の残りを電子レンジに入れる。
文明の利器によって再び熱を帯びた料理に、ジェーンはまだ少し警戒しつつ。
皿に盛られた肉じゃがを、そっと一口ふくむ。
「……っ!」
目を見開く。
「お、おいしいですわっ!」
素朴だけど、優しくて、胃の奥にまで染み渡る風味。
それは、王宮のどんな料理とも違う――
けれど、確かに“幸せ”の味だった。
「ふふ。よかった」
母が、嬉しそうに微笑む。
(……この味)
ジェーンは、次々と肉じゃがを口に運ぶ。
(これからは、ワタクシにとっても……好物、ですわね)
処刑エンド
王宮から一般家庭の食卓へ、少しずつ、この世界に根を下ろし始めた瞬間だった。
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