第3話 処刑エンド令嬢、青春リベンジを誓う

 それから数日が経った――


 頭の痛みもすっかり引いて、医師からも「リハビリを兼ねて歩いていい」と許可が出たナデシコことジェーン・グレイは、松葉杖をつきながら病院の廊下を歩いていた。


 目的地は、病院の屋上。


 特に理由があったわけではない。

 ただ、少しだけ、ひとりになりたかったのだ。


 自動ドアが開き、外の空気が肌に触れる。

 今は三月末ですっかり春めいた陽気だけど、そよぐ風はまだ少し冷たかった。


 屋上は思ったよりも広く、ベンチがいくつか置かれているだけの、静かな空間だった。


 ジェーンは近くにあったベンチにゆっくりと腰を下ろし、おもむろに空を見上げた。


 青い。

 どこまでも青い空。


 ――ここは、日本。

 ――そして今は、西暦二〇二×年。令和○○年。


 あの後、医師や看護師、そして「両親」と名乗る人々から、何度も説明を受けた。


 この国の名前。

 この時代のこと。

 灰島はいじまナデシコという少女の年齢、家族、これまでの生活。


 実に信じがたいことだけど、ジェーンが生きた時代では見たことのないもの、遥かに高度な文明に触れて驚きの連続だった彼女には、もはやそれを信じるしかすべはなかった。

 

 すべて、理解はした。


 頭の中では、だ。


 (ワタクシは……転生、したのですわよね)


 祖国のイングランドでもない。

 王宮でもない。

 処刑台でも、神の御前でもない。


 目を覚ましたら、異国の少女の身体の中にいた。


 しかも、女王クイーンでも令嬢レディでもなく、ごく普通の――

 いや、普通ですらない、自己肯定感のとぼしい少女として。


 周囲に知り合いは誰ひとりとしていない。

 祖国も、もう彼女が知る祖国ではない。

 遥か遠い未来の異国にひとりぼっち。


 あるのは、若い身体と、灰色に染まった記憶だけ。


 ――孤独。


 これじゃ、死んでいるのと何ら変わらないのではないか。


 それを、はっきりと自覚した瞬間だった。


「……はぁ」


 ジェーンの口から大きなため息が吐き出される。


「若いのに、ため息なんかついて。どうしたんだい?」


 不意に、背後から声をかけられた。


 驚いて振り向くと、そこには車椅子に座った老婆がいた。

 白髪交じりで、少し皺の多い顔。

 だけど、その瞳は妙にギラギラと輝いている。


「……」


 どう答えればいいのか分からず、ジェーンは一瞬口をつぐむが、


「ワタクシ、どうしたらいいか分かりませんの」


 そんな言葉が自然と口から出ていた。


 自分でも驚くほど、弱々しくてか細い声だった。


(……あら?)


 胸の奥に、どんよりとした重さを感じる。

 これはこの体の――ナデシコの感情だ。


「生きられて喜ばしいはずなのに、今のワタクシには何もありませんの。何をすればいいのか……まったく、分かりませんのよ」


 愚痴のような言葉が、次々と溢れる。


 老婆はすぐには答えず、少しだけ間を置いてから、ふっと笑った。


「アタシもね、昔は何も分からなかったよ」


 そう言って、遠くを見るような目をする。


「何がしたいのか、何ができるのかも分からないまま、ただ時間だけが過ぎてさ。ようやくやりたいことが見つかった時にはもうタイムオーバーさ」


 老婆は、自分の足を指して、自嘲気味に肩をすくめた。


「やりたいことが山ほどあるのに、体が言うこときかなくなっちまった」


 ジェーンは、その言葉を噛みしめる。


「……おうなは、それで悔しくはありませんの?」


 正直な疑問だった。


 老婆は、少しだけ目を細めてから、うなずいた。


「悔しいさ」


 けれど次の瞬間、柔らかく笑った。


「だけどね、それでも人並みに恋して、結婚して。子供もできて、今じゃ孫もいる」


 誇らしそうでも、悲しそうでもない。

 ただ、穏やかな笑顔。


「後悔することは多かったけど……それでも確かに、幸せはあったんだよ」


 その言葉は、不思議と胸に染み込んだ。


「分からない時はね」


 老婆は、ジェーンをまっすぐ見て言った。


「自分にできることは、何でもいいからやってみることだよ。辛いこともある。後悔することもあるかもしれない」


 一拍置いて、


「でもね、何かを始められるってこと、それ自体が幸せなんだ。それができるのは――アナタみたいな若いコの特権なんだよ」


 まるで少女のように、天真爛漫な笑顔を浮かべて言うのだった。


 その時、屋上のドアが開き、


「おばあちゃん!」


 見舞いに来たらしい老婆の家族が呼びかけ、こちらに手を振っている。


「じゃあね、お嬢ちゃん」


 老婆はそう言って、車椅子を押されながら去っていった。


 屋上に、再び静寂が戻る。


 ジェーンは、ゆっくりと空を見上げた。


 ――若さという特権。

 ――何かを始められる幸せ。


 胸の奥にあった重さが、少しずつ軽くなっていく。


「……神のいきな計らいか」


 小さく、独り言をつぶやく。


「はたまた、悪魔の奸計かんけいかは分かりませんが……」


 それでも。


 ジェーンは、松葉杖をぎゅっと握りしめ、まっすぐ前を見据えた。


「こうして転生できたのですから――」


 唇に、確かな笑みが浮かぶ。


「前世で果たせなかった青春を、リベンジしてみせますわ!」


 処刑エンド令嬢レディ――

 彼女が初めて“未来”へと歩み出した瞬間だった。

 

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