第3話

 

 僕は母と継父に、交代で祖母を見守ろうと提案した。母は、今までの負い目を感じたのだろうか説得に応じ、継父もまた僕の受験を気にしながらも渋々了承してくれた。継父は僕を心配してよく食事を差し入れてくれた、平時であれば強がって受け取らなかったかもしれないが、この状況下ではありがたい心遣いだった。

 僕はそれから病室で藝大入試のための制作をこなしながら、祖母の見守りを続けた。大規模な道具こそ持ち込めなかったが、病院には多大な配慮をしてもらったと思う。祖母の体力と入試への残り日数が減っていくが、僕の中から後者を恐れる感情はなくなっていった。途中、私大の合格がわかり、浪人することがなくなったのも大きかったが、それ以上に、この状況にあって、僕は自分の上達を感じていた。

 実際、藝大の一次試験の素描が始まった時も、それほど緊張はしなかった。直感的に通過すると思った。試験中、ただ祖母のことだけが心配だった。

 憧れのキャンパスも、行きたかった美術館の展示も目に入らなかった。前回の大学よりアクセスが良いことに感謝しながら、僕は帰路を急いだ。新幹線や急行では時間を無駄にしないよう、クロッキーを取り出して練習は欠かさなかった、その行為だけが、僕の恐怖を塗りつぶしてくれた。

 到着した最寄りの駅で三重県立美術館のポスターが目に入った。僕は、県立美術館の名前をみた瞬間、二〇〇八年の夏、祖母と三重県立美術館へ出かけたことを思い出した。

 それは、生まれて初めて、本格的に美術に触れた経験だった。母が育児放棄し、僕が祖母に預けられてから一年以上が経過していたので、祖母の家での生活には大分慣れてはいたが、僕の中にはどこか空虚さが残ったままだった。

「ねえ潤ちゃん、一緒に美術館に行きましょう。潤ちゃん絵がうまいから、見るのも好きだと思うのよね」

 祖母に対する申し訳なさと、母をああいう風に育てた祖母を責める気持ちを少しだけもった僕は、祖母の提案をすんなりと受け、県立美術館へと向かった。目的は、祖母が好きな『佐伯祐三展』だった。祖母は僕の面倒を献身的にみてくれていたが、自分のささやかな楽しみも忘れることがない女性だった。

 僕が絵を描き始めたきっかけは、幼少期の孤独を埋めるためだったように思う。親の不在に耐えるよう、翌日小学校の友達に見せるよう、何よりアパートに様子を見に来てくれる祖母に褒められることに気をよくし、その技術を高めていったような気がする。

 だが、今となっては、どちらが先だったかはわからない。絵を描くことが一番得意だったからこそ、絵に救いを求めたのかもしれない。

「――すごい」

 肉眼で初めて見た名画を前に、僕は思わず感嘆の声を漏らした。

「ねえ、すごい絵でしょ」

 祖母が僕の様子を見てにこやかに笑った。祖母は外出ということもありめかしこんでおり、笑うと同時に大きなピアスが揺れた。

 僕は生まれて初めて美術館の特別展というものを見て、圧倒されていた。一人の画家が生涯に描いた作品を通して展示した『回顧展』の形式であるため、僕たち来場者は佐伯祐三の傑作と展示解説を通し、画家の人生を追体験することができた。

 佐伯祐三は藝大を卒業したあと渡欧、フォービズムの巨匠ヴラマンクに自作を「アカデミック」と切り捨てられたことを契機に、大きくその作風を変化させた画家だ。僕は変化の前後、どちらの絵も好きだったが、積み上げてきたものを大きく転換させた彼の生き方には子どもながらに感銘を受けた。

「ねえ、ばあちゃん。ぼくも画家になる」

 美術館からの帰り道、僕は特別展を見て満足そうな祖母にそう語った。

「あら、いいわね、佐伯さんの絵も好きだけど、潤ちゃんの絵、おばあちゃん好きよ。学費ちゃんとためておくからね」

 祖母は僕を見つめ笑った、僕は、幼いながらに祖母の経済事情を考えず発言したことを後悔しながらも、祖母の期待に応えようと決心した。

 それからというもの、僕にとって絵は遊びではなくなった。とはいえ、真剣に挑むのは性に合っていた。上達は楽しく、この行為をいつまでも続けられる気がした。祖母は僕の熱中をたいそう喜び、手助けを積極的にしてくれた。

 ある日、高校から帰った時のことだ。祖母は訪れた友人と談笑しており、僕の帰宅に気づかないことがあった。

ふと、僕は、祖母がこういう時なら、もしかして本音を語っているのではと、盛り上がる居間の会話に聞き耳を立てたことがあった。恐怖はあったが、それ以上に祖母の本音を聞いてみたかったのである。

「――潤ちゃんの描いた絵、本当に素敵ね、あなた、これ棺桶に入れてもらいなさいよ」

 祖母の友人の一人が言った。老人特有の冗談だと知りながらも、ぼくはその発言にはむっとした。

「あら、どこぞの製紙会社の会長じゃないんだから、そんなもったいないことしないわ。潤一郎の絵は、将来美術館に飾られるんだがら」

 祖母が笑いながら返答した。口調こそ朗らかだったが、その言葉には衒いが全く感じられなかった、祖母の声には確信と力強さが満ちていた。

 小さく「ただいま」と呟き、僕は自室のある二階への階段を静かに上がった。祖母に泣いていることを悟られたくなかった。

 旅行好きで、美術好きの祖母であれば、それこそ僕という負担がなかったら、パリ旅行にでも行って、佐伯が見た風景を楽しんでいたはずだろう。僕さえいなければ、彼女は見たいものが見られたはずだ。

 心のどこかに常に負い目があったせいか、時折、祖母が義務感から、僕に愛を注いでくれているのではと思ったことがあった。だが違った。僕は、返しきれないものを彼女から受け取っていた。


 入試から帰宅し、僕は少しだけ眠った。翌日、祖母の面会が叶う時間までの間は、わずかな家事以外は全て二次試験の対策にあてた。

「ばあちゃん、おはよう。今日も寒いね、藝大の一次試験受けてきたよ……、自信あるんだ」

 僕は、昨夜思い返した記憶の中の祖母から、あまりに変わってしまった祖母の姿に驚きながらも、入試の報告をした。祖母はほとんど体を動かすことはできなかったが、僕の声を聞くと、僅かにその表情を緩ませたように見えた。

 母と継父から届いたメッセージで、祖母の衰弱の様子は知っていた。僕が藝大入試を受けていた昨日、祖母は一日の大半昏睡状態で、発語もままならなかったらしい。僕はもう祖母と言葉を交わせない可能性を考えて、その痛ましい姿から目を逸らした。

「潤、ひさしぶりに、おばあちゃん描いてよ」

 その時、病室に祖母の声が響いた、少しだけ大きい声だったように思う。

「ばあちゃん、目が覚めたの」

 僕はナースコールを手探りしながらも、祖母と視線を合わせた。

「うん、おばあちゃん、大丈夫だから」

 祖母はそれだけ言うと、また眠るように意識を失い、いよいよ危篤状態になった。僕は継父や母と時折一緒になりながらも、基本は交代して祖母を見守った。  

見守りが一人の時、祖母の言葉通り、彼女の姿を描こうと試すのだが、鉛筆が祖母の顔を目や鼻といった部分に及ぼうとすると、手が止まって涙が溢れた。

 佐伯祐三が自らの『ライフマスク』を作った時、それを見た親友たちは佐伯の死を予感したらしい。また、五姓田義松『老母図』は病床の母を描いた傑作だが、完成したのは母の死の前日だったという。真の画家にとっては、自らの生も、肉親の死も、作品のために利用できるのだろう。であれば、この時ほど僕が画家に向いてないことを実感した瞬間はなかったと思う。

 

 藝大の一次試験の合格が分かった日、祖母は亡くなった。

 最後の祖母の絵はとても完成しなかった。分解されたような細かい線だけが、白い紙の上に散らばっていた。身に着けたはずのありとあらゆる技術は僕の利き手に出力されず、祖母の像を形作ることはなかった。僕は、祖母の最後の言いつけを守れなかった。

 正直、それからのことは記憶が曖昧だ。継父が葬儀をうまく取り仕切ってくれたことと、最愛の祖母の葬儀なのに、当然喪主になれなかったことが何より寂しかったことは覚えているが、いつの間にか葬儀が終わり、いつの間にか二次試験も終わっていた。

 盗み聞きした祖母の意向に従い、納棺の際には祖母が好きだった僕の絵の完成品は入れず、簡単なスケッチだけを入れた。様々な人の力によって祖母の顔は穏やかで、記憶の中の祖母を思いだしやすかった。

 二次試験は僕の実力不足で落ちたと思った。進学先が藝大でなくても、一流の画家には当然なれるのだから、僕は今受かっている大学に行き、一刻でも早く、僕と祖母の理想を叶えるべく努力しようと思った。

「潤一郎君、大学の学費の手続き、このまま進めていいかい?」

 僕が祖母の骨壺の前でそんなことを思っていると、継父が話かけてきた。僕は祖母の葬儀を取り仕切ってくれた彼に対し、今までのような悪感情を持つことはなくなっていた。座りながら落ち着いて応答する。

「ええ……、このまま進めて」

 僕は、祖母の遺影の横に飾られた、祖母が好きだった自分の絵を見た。それは、祖母とともに出かけた時、出先の風景と祖母を描いた作品であった。僕を誘ってくれた人は作品の中で振り返り、にこやかな表情をしていた。

「……あの、本当に厚かましいとは思うのですが、今の大学、辞退しても良いですか」

 僕は継父に言った。ちょうど座っていることもあり、僕は床に手を付いて継父に頭を下げようとし、その肩を掴まれた。

「潤一郎君、やめてくれ。親に頼むときはもっと気軽で良いんだ」

 僕は、この人と触れ合ったこともなかった気がするし、これほどちゃんと目を見たこともなかった気がする。だけど、はじめて同じ高さで目が合い、彼が今までのどの父より、僕を見ていることに、やっと気づいた。

「お義母さんからずっと聞いていたし、君の学費はもう貰っている。心配しなくていい」

 僕は、父の口から祖母の遺志を聞いた。祖母は、僕が藝大入試を失敗した場合、僕の気が済むまで挑戦させてあげてほしいと遺言を残したのだという。

 僕は、祖母の遺骨に向き直り、一流の画家、つまり、自分の名を冠した『辻潤一郎展』が開催されるほどの画家になることを誓った。そして、祖母の苗字である『辻』を使えているのが、僕の横に座る父の気遣いによるものだと悟り、また、少しだけ泣いた。

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辻にて迷わず 山の下馳夫 @yamanoshita05

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