1章:26話「金銀妖瞳の魔女」


 ――僕は、相変わらず空を飛んでいる。

 この手に、エリザを抱き締めながら。


 ヒルダが、やぐらの上に捕まっていた団員さん達を、その糸で次々と空へ飛ばしていた。

 飛ばされた団員さん達は、そのままシルフの妖精達に連れられて、僕らが来た森の方に向かっていく。


「⋯⋯レオン、ご無事で何よりです」

「エリザ! よかったね! 私たち、やっぱり、さいきょー!! だね!!」


 ルナとノエルも、僕の真横を飛んでいる。月光に照らされる彼女達は、まるで女神のように美しく、綺麗な姿だった。

 先に飛ばされていた団員さん達は、何人も地上に戻っていく。シルフの妖精が、受け止めるかのように。

 その反対に目を向けると、燃え落ちるやぐら。破壊され尽くした、目障りな“街“。

 さらに向こうには、敗走していく生き残りの兵士たち。


 ⋯⋯運が良かったな。⋯⋯見逃して、やるよ⋯⋯。


 納得できない気持ちはあったが、今は彼女達の方が心配だ。

 早く、このまま戻ろう。そう思っていると、


 ――逃げ出した兵隊の場所が、赫く染まっていた。


 その場所は、まるで赤い雨が降っているかのように、血飛沫がいくつも飛んでいる。

 まるで、大量の噴水が、そこにあるように。

 オブジェと化した兵隊達は、皆一様に首が無い。

 ⋯⋯その場所を、傘を差しながら、優雅に歩く女性らしき人影。

 その彼女が、口を開くと、


 ――聞こえる筈のない距離から、彼女の声がはっきりと聞こえた。



「⋯⋯やっと、見つけましたわ」



 ⋯⋯まずい!!


 一瞬にして、僕は血の気が引いた。

 フェンリルに、睨まれた時も、

 あの兵隊達の前に、立った時も、


 ⋯⋯こんなに、命の危険は感じなかった。


 全身の毛が全て逆立つ。肌から血の気が引いていく。

 圧倒的な“死“の想像イメージ

 ⋯⋯猛獣に、いや、そんな生優しいものじゃない。

 まるで、悪魔に見つかったかのような、そんな恐怖。


 ⋯⋯だが、今は空の中。身動きは、とれない。

 焦りだけが、僕の全身を支配する中で、さらにその声ははっきりと聞こえた。



「⋯⋯ご機嫌よう、逢いたかったですわ。愛しい、愛しい、わたくしの、“だんなさま“?」



 ――彼女は、空を飛んでいた、僕の真横に、現れた。


「⋯⋯っ!!」

「⋯⋯あら、そんなに警戒しないでくださいまし。わたくしは“こんなにも“恋焦がれていたというのに。傷ついてしまいますわ〜?」


 ⋯⋯彼女は、どこか恍惚とした様子で、僕にそう告げた。


 側頭部で、金が混じった黒髪を二つ結びにした、右目に柘榴石ガーネット、左目に黝簾石タンザナイトを嵌め込んだ、妖しく、危険な、艶麗えんれいな女性。元はとても綺麗だっただろう、所々が切り裂かれ、引き裂かれた赤いドレスを身に纏い、その肉感的な曲線美を強調している。


 ⋯⋯そんな彼女は、扇情的な様子で、続ける。


「⋯⋯そういえば、貴方は“まだ“、わたくしの事を知らないですのよね」


 ――ルナとノエルが、彼女に向き合い、攻撃の姿勢を取った。

 ⋯⋯そんな事は関係が無いように、唇に指を当てながら、彼女は続ける。


わたくしの名前は“モルガン“。⋯⋯以後、お見知り置きを」


 ⋯⋯獲物を、喰らう前のような。⋯⋯どこか、寂しげな。

 そんな様子で、彼女は、さらに続ける。


「⋯⋯わたくしの、可愛い、可愛い、“レオン様“?」


「⋯⋯っ!」


 瞬間、僕が反応する前に、“モルガン“と名乗った妖艶な女性に矢が飛んでくる。

 空中なのに、まるで踊るように身を翻すと、モルガンは続けた。



「⋯⋯今日のところは、引き上げますわ。“お待ちになっていて“、レオン様?」



 ⋯⋯まるで、万感の想いを伝えるかのように、僕にそう告げると、


 ――彼女は、空気に溶けるように、そこから姿を消した。


「レオン! 大丈夫!?」


 ノエルが体勢を整えながら、僕の方に寄ってくる。⋯⋯空中なのに、器用なものだ。


「⋯⋯とても危険な匂いがしました。⋯⋯あの女、只者ではありません」


 ルナは、彼女にしては珍しいほど焦った様子でそう呟くと、僕に向かって続けた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯スケベ」


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯そっち?



 +



 ⋯⋯僕たちが地上に辿り着く瞬間、

 やぐらの時と同じように、妖精が風で受け止めてくれる。

 衝撃もなく地上へ戻った僕たちは、急いでここを離れる準備をした。


「⋯⋯さあ、みんな、逃げるよ! 歩けない人はいる!?」


 僕がそう呟くと、クロラはいつの間にか作っていた即席の台車を運んでくる。


「ぐへへ⋯⋯。動けない子は、ここに乗せてぇ〜、さらっていっちゃうよぉ〜♡」


 ⋯⋯洒落にならないな、と思いながら、僕が立とうとすると、


 ――動けない。足に力が入らない。指一本動かせない。


 ⋯⋯まずい、魔力が⋯⋯。⋯⋯使いすぎた。


 ――だが、エリザは離さない。絶対に。


 そう思っていた僕だったが、どうするか考える前に、問題が解決した。

 ――ルナが、エリザを、優しく抱え、

 ⋯⋯ノエルが、僕を抱っこした。


 ⋯⋯もちろん、お姫様抱っこで。


「レオン! 任せて!! いっくよー!!」


 ノエルは、いつも通り元気な様子で、そう言った。


 ⋯⋯まったく、僕というやつは。最後まで、締まらないな。


 そう思いながら、みんなに伝えるのだった。


「⋯⋯さあ、行こう! 帰ろう! “みんな“で!!」



 +



 ――燃えている“地獄“で。

 先程までは、前線基地、といった、贅沢な拠点の中心で、

 モルガンは、一人立っていた。



「⋯⋯逢いたかったですわ。触りたかったですわ。抱き締めたかったですわ。愛し合いたかったですわ。手足を絡めて、溶け合いたかったですわ。唇を⋯⋯、肌を、重ね合わせたかったですわ」



 ――まるで、呪詛のように、彼女は、呟く。



「⋯⋯襲いたかったですわ。襲われたかったですわ。まるで獣のように⋯⋯。理性ではなく、本能だけで互いに求め合いたかったですわ。もっと言葉を、交わしたかったですわ」



 ――妖艶な、扇情的な、挑発的な。まるでこの世全ての淫美を込めているかの様相で、彼女は、なおも続ける。



「でも、それももうすぐ、ですわ」



 狂気的な笑み。しかし、泣きそうな顔でもある彼女は続ける。



「⋯⋯お待ちになっていてください、レオン様。⋯⋯必ず、“お迎えに“上がりますわ⋯⋯!」



 ――“魔女“は、そう言い残すと、

 炎の中に、姿を消した。


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