1章:11話「エリザベート・バルクホルン」


 屋敷の外に出ると、エリザが馬車を待たせて立っていた。


「おはよう、レオン。今日はよろしく頼むぞ。⋯⋯“可愛い“新団長の、お手並み拝見だな」


 揶揄うように僕に語るエリザ。


「こちらこそ、よろしく、エリザ。⋯⋯そっちこそ、足を引っ張らないでね」


 何を、と笑いながら僕の肩を叩いてくるエリザ。相変わらず、凛々しくて清々しい人だ。


「レオン様〜? 荷物の準備はできてますよぉ〜」


 口の周りにパン屑を付けたクロラは、髪の隙間から灰色の瞳を覗かせながら、効率的にまとめたと思われる荷物を馬車に積んでいた。きっと、朝からずっと準備してくれていたのだろう。


「うん、ありがとう、クロラ。とても助かったよ」


 ぐへへ〜!!! と身体をくねらせながらのたうち回るクロラを無視していると、屋敷から残りの四人が出てきた。


「⋯⋯流石に、壮観だな。ここまで、綺麗な方々とは⋯⋯」


 と、珍しくエリザが狼狽えている。


「⋯⋯へぇ、珍しい。君が、そんなに狼狽えるなんて」

「⋯⋯お前、美人に囲まれ過ぎて、頭がおかしくなったんじゃ無いのか⋯⋯?」


 そんな事を言ってくる。心外だな。僕は大丈夫だ。⋯⋯多分。


「あ! エリザだ! 久しぶり〜!!!」


 そう言って、ノエルはエリザに抱きついた。⋯⋯恐れ多い事を?! そう思ったが、そのエリザは、


「⋯⋯やあ、ノエル、久しぶりだな。壮健で何よりだ」


と、余裕の表情。むしろ、エリザはノエルの頭を撫でていた。


「⋯⋯エリザが、こんなに優しい反応をするなんて⋯⋯」

「お前とは、後でゆっくり話をしないとな、レオン」


 宣戦布告されてしまった。不平等じゃないか。

 その後も、彼女達と仲良く話すエリザ。相変わらず面倒見が良いエリザに、彼女達も心を開いているようだった。

 エリザが彼女達と話しているのを嬉しく思いながら、僕は六人乗りの馬車へ乗ろうとした。⋯⋯ん? ⋯⋯六人、と言うことは⋯⋯?

 ⋯⋯馬車の座席は三席と三席の対面で、僕はそのどちらかに座ることになる⋯⋯。

 ⋯⋯しまった、すぐに動かなければ。


「⋯⋯エリザ! 僕が馬車の――!」


 御者を務めるよ! と、言い切ることができなかった。なぜなら⋯⋯。


「私、レオンの隣ね!!!」


 ノエルから始まり、その一言で全員が、何かを察知したかのように殺気を帯び始め、


 そこから、エリザが激怒するまで、出発するのに半刻はかかったのだった⋯⋯。



 +



 なんやかんやあって、馬車の御者はエリザが務めることになった。

 エリザ曰く、『この中で私より上手く出来る奴がいるのか?』との事だ。⋯⋯その通り。

 エリザの隣には、シルフ。二人は時折何かを話し、時に笑っていた。


 ⋯⋯僕の話をする前に、馬車の状況をまとめよう。


 馬車の進行方向の、右手にルナ。左手にヒルダ。

 馬車後方の右手にノエル。左手にクロラだ。


 ノエルは馬車から身を乗り出しながら、外の風景を見ている。彼女の足はクロラに向けられてガシガシと蹴っており、それを恍惚とした表情でクロラは受けていた。

 ルナは眉一つ動かさず、ノエルと同じように外を見ている。⋯⋯時折、不機嫌そうに、刀をカチャカチャさせながら。


 この六人乗りの馬車で、僕はどこにいるのかというと、

 ⋯⋯ヒルダの膝の上に、座らされているのだ。


「⋯⋯ヒルダ。そろそろ、疲れたでしょう。すぐにでも、代わりますよ?」


 ルナは静かに、しかし僅かに怒気を含ませてヒルダに告げる。そのヒルダは飄々としながら、


「⋯⋯あら、優しいのね、ルナ。でも、大丈夫よ。⋯⋯レオン、とっても軽いから」


 そう返す。ルナは「そうですか」と言って、また外を見ていた。⋯⋯さっきより刀の音を大きくしながら。怖い。


 僕はというと、とっくに諦めていた。

 出発する時に、エリザにこっぴどく怒られた僕は、今は静かにして、到着を待つ。時折ルナに「⋯⋯スケベ」と呟かれるたびにドキッとしてしまうが、今僕が暴れたところで、ヒルダからは逃れられない。



 +



「⋯⋯楽しそうだな、あいつ」


 エリザは、馬車の中で大騒ぎする一団を横目に見て、少し微笑んでいた。


「⋯⋯あら、エリザ様も混ざりたいんですか?」

「⋯⋯柄じゃないよ、私は。いつもああなのか?」

「そうですね⋯⋯。大体、いつも、あんな感じです♡」


 そうか、とエリザは溢す。


「⋯⋯私は、レオンがあんなに楽しそうに話しているのは、初めて見るかもしれないな」

「⋯⋯なるほど、もしかして、寂しいのですか?」

「いや、いい事だと思う。⋯⋯きっと、君たちのおかげだろうな」


 エリザは自分の知らないレオンの一面に、どこか寂しさを含ませてそう言った。


「⋯⋯でも、エリザ様と話している時のレオン様は私から見ると、とても楽しそうですよ?」

「⋯⋯そうなのか?」

「はい♡ ⋯⋯お得ですよね、お互いにレオン様の知らない一面がある、というのは」

「? どういうことだ?」

「私も、エリザ様が羨ましいという事です♡」


 ⋯⋯なるほど。これが乙女というものなのかな⋯⋯とエリザは感嘆する。

 正直、言葉に出来ないが、なんとなく彼女の言いたい事はわかったエリザだった。


「ところで⋯⋯。エリザ様は、レオン様とどういったご関係なのですか?」

「私か? ⋯⋯そうだな、なんと言って良いものか⋯⋯」



 +



 エリザは、レオハルト・フォン・リヒトホーフェンを知っていた。

 その昔、グレーネラント諸侯の祝いの席で、幼い彼と会っている。


 よく覚えているのは、その祝いの席で、両親達が子供達の顔合わせを行なっていた時の事だ。そこに金髪でお人形みたいに綺麗な顔をした、お姫様の様な子がいた。目がくりくりしてて、睫毛が長くて、すべすべの肌が輝くような子だった。『お友達になりたい!』と声をかけに行ったら、その子が幼いレオンだったのだ。

 同性の友達が増えると喜んでいたエリザは彼が男だと知ると、大泣きしながらレオンを蹴り倒して泣かせたのだ。

 自分の思い通りにいかなくて泣いたエリザと、そんな理不尽な仕打ちを受けて泣いたレオン。そんな子供達を見て、大人達はよく笑っていたのだ。


 今となっては、微笑ましい記憶。それが今から七年前に変わってしまった。


 突如行われた、北の大国によるイースクリフ侵攻。絶対に越えることが出来ないとされた山脈を乗り越えて、彼らは侵略してきた。

 大国の軍事力は強大で、イースクリフはなす術無く陥落した。そこから、理由は不明だが五年前に撤退したのだ。

 何度目かの調査で、ようやく見つかった生き残りの一人であるレオン。だが、そのあまりのショックからか侵攻時に無事に逃げ延びた、生き残った身近な人間の事さえ全て忘れていて、彼の従者たちにも、酷く怯えていたらしい。

 無理もない。行方不明になったのは僅か“八歳“。そこから三年間、どこにいたのかわかってないのだ。

 ⋯⋯北の大国“ベルクト“に占領されたイースクリフで、何が行われていたかは想像したくないが⋯⋯。


 そんな彼に再会したのは、エリザが騎士学校に入った日だった。

 外見は、子供の頃からあまり変わってないように思う。だが、明らかに違ったのは、その雰囲気だ。小さい頃に出会った、少しぼーっとしているが、どこか輝くような印象のあったレオンの姿はどこにもなく、そこにいたのは今にも消えてしまいそうな儚い少年の姿だった。


 そこからだったか。彼の事が放って置けなくなったのは。


 騎士学校の同期だが、エリザの二歳年下で、レオンの年は十五歳。騎士学校の三年生の中では最年少に入る。その年齢の身長にも満たない体格で、毎日必死に頑張っていた。

 ⋯⋯いや、必死というよりは、決死に近いのかもしれない。彼は、いつも何かに追われるように、騎士学校の授業を受けていた。座学も、訓練も。


 座学ならいい。人よりも勉強すれば、まだ追いつけるものである。だが、武芸に関してはそうもいかない。彼の華奢な体格では、剣はおろか短剣ですら取りこぼす。

 周りよりも不利な状況で、彼は懸命に頑張っているというのに、それでも実を結ばない彼の事を、他の学生達は見下しながら呟くのだ。


 ⋯⋯『落ちこぼれ』と。


 ⋯⋯それでも、彼は“諦める“という事をしなかった。武芸の授業について来れないと気付いてからは、レオンは魔法の研究に没頭していた。


 この騎士学校、ひいてはこの同盟内では、騎士は“近接戦闘こそ誉れ“とされている。

 フェリスの天馬騎士、グレーネラントの騎馬兵、ブリガンティアの重装兵。主力は全て近接で、魔法は補助や回復といったものに専念されている。しかも、これらは女性職という偏見まであり、あれでも男であるレオンは男の魔法使いとして“腰抜け“や”卑怯者“というレッテルさえ貼られている。


 ⋯⋯あんなに頑張っているのに、何一つ報われない。

 真面目で、努力家で、優しく、ちょっと生意気。目を離した瞬間、どこかへ消えてしまいそうな、そんな男の子。

 ⋯⋯そうか、多分、私にとって、レオンは――



「⋯⋯そうだな。弟のような。いや、それ以上に放って置けない、大切な"奴"かな⋯⋯」


 エリザはシルフの問いに、そう答えた。


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