1章:10話「出発の準備」


 目を覚ますと、窓が開いていた。

 爽やかな春の匂い。森の香りを風が部屋まで運び込んで、窓のカーテンを揺らしている。


 ⋯⋯昨日は、夢を見なかったな。


 夢を見なかったのは、僕が覚えている限りは、初めての事だった。いつも、悪夢の終わり頃に目が覚めるからだ。

 汗だくで、心臓が破裂しそうになり、肩で息をする。それが、僕のいつもの目覚めだった。しかし、今日は違ったようだ。


 ⋯⋯朝って、こんなに心地良いものだったんだ。


 これも、きっと彼女達のお陰だろう。彼女達が来なければ、多分、一生知ることは無かった。

 パンが焼ける時のいい匂いが、僕の鼻をつく。僕の服が引かれる方を見てみると、そこには三人の女神が君臨していた。

 ルナとノエルとヒルダは、無防備な姿を晒しながら、僕にしがみついて眠っている。

 僕はまるで自分が絵画の世界にいるかの様な気分になりながらも、彼女達の頭を軽く撫でながら周りを見渡す。シルフはもういないようだ。足元も確認すると、クロラもいないようだった。

 少し、ぼーっとしながら彼女達の頭を撫でていると、寝室の扉が開く音がした。


「おはようございます♡ レオン様。ゆっくり、お休みになられましたか?」


 エプロンをした、桃色の髪と目に包帯を巻いた少女、シルフが、そう声をかけてくる。料理をしていたのは彼女だったようだ。


「⋯⋯おはよう、シルフ。お陰様で、昨日はよく眠れたよ」


 ⋯⋯正直、ドキッとしてしまった。

 彼女の美しさと言ったら、それはもう筆舌に尽くし難いものがある。そんな神秘的なシルフが、新妻のようにエプロンをつけて僕の事を起こしに来てくれた。

 これが幸せというものなのか。これは、幸運の揺り戻しが怖いぞ。


「それはよかったです。朝食の準備はもう出来ておりますので、お顔を洗ってきてくださいな♡」


 相変わらず新妻のような調子でそう告げるシルフにわかった、と頷くと、僕はしがみついていた彼女達をそっと離して、ベッドを降りた。



 顔を洗ってダイニングへ戻ると、テーブルには焼かれたパンとシルフが作ったであろうサラダが添えられている。


「⋯⋯レオン様、好き嫌いはダメですよ?」


 ⋯⋯野菜か、と顔を顰めていたのが見つかったらしい。歯触りが、苦手なんだよなぁ⋯⋯。

 僕が観念していると、二階の寝室の方からドタドタと暴れている音がこちらへ向かってくるようだった。

 ダイニングの扉が勢いよく開かれ、


「レオン!!!」 「れおん?!?!」 「⋯⋯っ!!!」


 枕を抱いたままのルナ、髪がボサボサのノエル、ネグリジェがはだけているヒルダの三人は、焦った様子でダイニングに入ってくる。


「⋯⋯おはよう、皆。そんなに慌ててどうしたの? ⋯⋯まだ寝坊の時間じゃな――」


 と、言い切る間もなく彼女達が、僕の姿を確認するや、


「「「レオン!!!」」」


 と、三人は僕に向かって突っ込んできた!


「勝手にいなくならないで下さい!」

 ルナが抱きつき、


「すごく心配したんだから!」

 ノエルは僕の胸に顔を埋め、


「⋯⋯これは本当に、縛りつけとく必要があるわね」

 ヒルダは物騒な事を言いながら羽交締めにしてくる。


「ごめん、あまりにも幸せそうに寝ていたものだから⋯⋯いだだだだ!」


 三者三様の多彩な攻撃を受けていると、


「皆さん、おはようございます。⋯⋯“朝ごはんの準備が、出来ていますよ?“」


 ⋯⋯と、シルフに圧をかけられ、僕ら四人はしゅん、としてしまうのだった。



 +



 朝食も済ませ、いよいよ任務の準備をする。

 僕は着替えた後、鎧を着込んでいく。学校から支給される、肩当てに学年色のストライプが入ったものではなく、濃い青を基調としたものだ。

 華美な装飾などは無いものの、稼働する部分に細やかな工夫が幾重にも凝らされていて、動きやすく、しかもとても軽い。


 一から作ろうとすれば恐らく太陽金貨一枚(太陽金貨1枚=約100万円)でも足りない逸品だ。ここまでであれば非の打ちどころは全く無いのだが⋯⋯。


「レオン!その鎧、とってもかわいいね!!!」


 ⋯⋯そう、この鎧は女性用のものなのだ。


 肩当てや腰当てには、その内側から太ももや二の腕を隠すレースがついている。しかも刺繍入り。

 胸当ては女性の胸の膨らみに合わせて、若干緩く作ってあり、兜からは伝説上の戦乙女のように、大きく長い羽根の装飾が付いている。

 特にこのレースが曲者であり、付いている箇所の根元を見ても縫い目が全く見えず、切ってしまおうとハサミを入れたら、なんとハサミが壊れてしまう程の防刃性もあるのだ。


 なぜ僕がそんな鎧を所持しているかといえば、支給されている鎧に、僕に合うサイズが無かった為である。

 もちろん女性用も試した。しかし、その女性用でさえ僕にはブカブカだったのだ。女性用でも入らないのか⋯⋯! と愕然としたが、かといって、鎧を持たない訳にもいかない。

 自分の体に合う鎧を用意するには、オーダーメイドするしかない。だが、そんなお金もない。


 僕が途方にくれていた時、エリザがこの鎧を持ってきてくれた。「懇意にしている先輩が丁度いいサイズを持っているから、譲ってくれた」との事だ。

 なぜ、こんなサイズを? とか、こんな高級品を譲ってくれるの? とか色々な事を考えたが、無い袖は振れない為、ありがたく今も使用させて頂いているという訳だ。


 鎧は着終わった。外套も羽織った。髪も三つ編みにした。準備は万端だ。鏡を見ても、どこにも不備はない。


 ⋯⋯どう見ても騎士団長というより、初陣を控えた戦乙女だが⋯⋯。


「レオン様、とても良く似合ってますよ♡ ⋯⋯ご不安ですか?」


 シルフが、僕の両肩に手を置き、耳元で呟く。

 不安⋯⋯、そうだ。いくら彼女達やエリザが一緒で、内容が魔獣討伐がメインと言っても、これは僕にとって、小騎士団の団長としての初めての任務なのだ。

 失敗は許されない。僕の判断ミス一つで、人が死ぬのだ。

 小騎士団の任務とは、団長の勤めとはこの責務に耐え、団員の命を背負うという事なのだ。それを意識した時から、僕の手は少し震えていた。

 僕の両肩に添えられていた手が下げられ、いつのまにか僕の両手を包んでいた。


「大丈夫ですよ、レオン様。⋯⋯私達、とっても強いですから♡」


 シルフはそう言って僕の頭を軽く撫でた。いつの間にか、僕の手の震えは収っていた。


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