1章:9話「決意」


 浴場での戦いの後、僕は彼女達が上がる前に井戸で水浴びを手早く済ませ(彼女達からブーイングはあったが⋯⋯)、僕たちは蝋燭を三つ灯しただけの暗いダイニングで、夕食をとっていた。

 夕食といっても、黒パンに干し肉を挟んだものと、シルフがここに来るまでの間に、いつの間にか採集していた山菜で作ったスープのみの質素なものだが。


「ふふふ⋯⋯、お口に合うと良いのですが」


 そう言うシルフに、各々返答する。


「すごい!とっても美味しいよ!!」

と、ノエル。


「⋯⋯悪くないわね」

と、ヒルダ。


「ぐへへ⋯⋯、久しぶりのあったかいご飯⋯⋯。美味しいですぅ〜」

と、クロラ。


「⋯⋯おかわり、ください」

と、ルナ。


 総じて好評なシルフのスープ。よかった。


「⋯⋯レオン様は、いかがです?」

「⋯⋯とっても、美味しいよ」


 僕は、少し後ろめたく思いながらも、そう返した。


 というのも、僕は味が分からない。

 少なくとも、今までの記憶の中では、食事の味というものを感じた事は無かった。それが、記憶を失う前からそうだったのかは分からないが。

 勿論、シルフの作ったスープはとても美味しそうだ。野菜も沢山入っているし、干し肉もいくつか入っている。色とりどりで、とっても美味しそうなのはわかる。

 だが、この美味しそうな料理も、僕の口に入った瞬間、温かい水に変わる。歯ごたえがある野菜も、噛めば噛むほど砂を噛んでいるような気分になってしまうのだ。

 僕は、干し肉サンドの、やけに硬い食感を感じながら、食事を続けた。


「そういえば、こうして暗いとレオンの目、ぼんやりと紫色に光っていて、とってもきれいだね!」


 ノエルが屈託なくそう伝えてくる。その一言で、僕は皆の注目を集めてしまった。皆がそれぞれ「そうね」 「すごく綺麗」と感想を言う中、ルナは僕に一言質問を入れてきた。


「⋯⋯レオン。その⋯⋯、大丈夫なのですか?」


 僕はその言葉を聞いて、少し息が止まる。


「⋯⋯どうして?」


 僕はそう返答すると、


「⋯⋯その、魔力の流れが、とても歪(いびつ)だと、思うのですが⋯⋯」

「⋯⋯やっぱり、そう思うよね⋯⋯」


 ルナのその一言で、一同が静まり返ってしまう。

 誰かが口を開く前に、僕は口を開いた。


「⋯⋯僕は大丈夫だよ。この体格じゃ、心配するのもしょうがないと思うけど⋯⋯。別に何か不調があるわけじゃないからね」


 そう僕は返した。



  +



 昔、僕の魔法の師匠に、言われたことがある。

『その眼は、一体どこまで見えているんだ?』と。


 自分以外の人が、どのように見えているのかは分からないけど、僕に何が見えているかといえば、それは“魔力の全て“と言っても差し支えが無いと思う。


 どういう事かといえば、例えば放たれた魔法なら、その魔法の構成・魔力の配分・魔法陣の種類・書き方とかだ。

 絵画で例えるならば、絵を見るだけでどんな筆、技法、調色に使った顔料の種類等が、一目ですぐに分かるという事だろうか。


 調子がいい時は魔法を放った相手が、何を考え、今までどんな修練を積んで、どんな気持ちで放ったかまで、魔法を見るだけで正確に把握できる。

 それだけでは無い。“魔力“はこの大陸に生きている生物全てに、例外なく流れているものだ。

 体内で魔力を生成する器官である“魔導核エーテル・コア“に、その魔力を体内に循環させるための血管のような“魔導管エーテル・ライン“。

 それがどのように流れているかまで、僕の眼には“見えている“。

 だから、魔力の流れで相手がどこに魔力を込めて、どのように身体を動かし、どのように武器を振るうかを予測することだってできる。⋯⋯まあ、予測できたところで、僕の体はついては来ず、かわせるわけではないのだが。


 ここまでであれば、メリットしかない最強の武器になるだろう。だが、この“眼“には、文字通り“致命的“な欠陥があるのだ。


 それは、この“眼“の能力は、常時発動していて、尚且つ身体中の魔力のほぼ全てがこの“眼“に集まってしまう事だ。

 例えるなら、身体中の血液が、ある一箇所に集まってしまっている状態だ。血の流れが無くなった場所、あるいは極端に少なくなってしまった箇所は、腐り落ちてしまうだろう。


 それが、僕の身体では、魔力で同じことが起きている。

 だから、“魔法の構成“が分かっていても、自分の魔力ではそれを使用することは出来ないし、他の人が中級魔法を使える中、僕は基礎魔法ですら自分で魔力の効率を極端に重視した状態でないと放つことが出来ない。

 他の人が、魔力操作で身体能力を強化する中、僕は生命維持ができる最低限、もしかしたらそれすらも下回っている魔力しかない状態なのだ。身体強化なんて、とんでも無い。


 ⋯⋯そして、薄々自分でも察していた事。それは⋯⋯


 恐らく、僕は“長生きは出来ない“事だ。

 もしかしたら、成人、十八歳まですら持たないかもしれない。

 今はもちろん、体にこれといった不調などは無い。だが、約一年ほど前か。十四歳になったあたりから、身長の成長が止まった。それどころか、体重は落ちてしまっている。

 自分の食生活が問題の可能性の方が高いが、それでも、今までは多少増えることはあっても、減ることは無かった。


 この事を考えると、眠れない程恐ろしくなる。

 僕には、記憶が無く、味覚も無い。帰るべき故郷"イースクリフ"も今は遥か遠く。

 魔法の事はなんでも分かるくせに、それを自分で行使する事は出来ない。

 寝る前に考え込んでしまうと、どうしようもなく不安になるし、いざ寝てみれば悪夢を見る。


 だけど⋯⋯。

 彼女達が来てから、少なくとも悩む時間は減った。

 今までは、悩まないようにする為に必死で魔法の修練や研究を行っていた。自分の非業を、忘れる為に。

 人によっては狂気的だっただろう。文字通り、寝る間も惜しんでいたのだから。

 騒がしい悩みは増えたが、それはきっと彼女達となら乗り越えられる。彼女達の明るさは、僕の暗い悩みを吹き飛ばすほどポジティブだった。


 何より、彼女達は僕の事を、⋯⋯⋯⋯その、とても好いてくれている。その事は、色恋に疎い自分でも流石にわかる。

 僕は彼女達の事を、何も知らない。そのくせ、なぜか彼女達は僕の事をよく知っている。

 その理由は今はわからないが、きっといつかは話してくれる日が来るだろう。

 そんな事より、僕は彼女達に報いなければいけないんだ。

 あの日、僕を助けてくれた彼女達を。僕をあの悪夢から救ってくれた彼女達を。今度は僕が彼女達を守り、助けてみせる。

 もしかしたら、彼女達は僕の命の事も知っているかもしれない。でも、今話す事じゃない。

 今はただ、この貧乏ではあるが、幸せな時間を、彼女達と一緒に過ごしていたかった。


「僕は大丈夫。だから⋯⋯安心して!」


 心配そうに見つめる彼女達を安心させるように、僕は出来る限りの笑顔で、そう伝える。


 ⋯⋯僕に残された時間はそう多くはないのかもしれない。

 だからこそ、この命が続く間は、絶対に彼女達を幸せにしてみせる。そう、絶対に。


 僕は心にそう決意をしながら、これからの時を大切に過ごすことにした。



 +



 ⋯⋯そして、その日の夜。


「⋯⋯狭い⋯⋯」


 食事を終えた僕たちは、あの巨大な天蓋付きのベッドにいた。

 配置は、こうだ。

 中央に、僕。

 右側に、ヒルダとシルフ。

 左側に、ルナとノエル。

 そして僕の足元に、丸くなって寝ているクロラ。

 幅は三メルほどもある巨大なベッドだが、やはり六人で寝れば流石に密着する。


 右腕にはヒルダの柔らかい感触が、彼女が呼吸をするたびに、その形を変えて僕の腕を圧迫してくる。⋯⋯何も、考えては、いけない。

 シルフは、僕の耳元で寝息を立てている。寝ぼけているのか、時々僕の髪を梳きながら、耳元で愛を囁いてくる。⋯⋯ゾワゾワするから、やめて欲しい。


「⋯⋯ふふふ、レオンのおなか⋯⋯すべすべ⋯⋯むにゃ」


 ノエルは寝言を言いながら、僕のお腹に頭を乗せて眠っていた。わざわざ僕の服の中に頭をうずめ、そのサラサラの髪がくすぐったい。


 ルナは昨日と同じように僕を抱き枕がわりにぎゅっとして、その豊かなものを僕の左腕に押し付けてくる。昨日は気付かなかったが、なぜか刀を胸に挟んでおり、僕が少し動くたびに、「カチャ」と金属音が鳴るのが怖すぎる。


 何も言わずに丸くなって寝ているクロラ。彼女が一番マシかと思いきや、たまに僕の足に甘噛みしてきたり、なんか舐められているような気がする。⋯⋯きっと気のせいだよね。


 五者五様の寝相で、昨日に引き続き、僕は完全に拘束されていた。


「⋯⋯こんなの、眠れるわけ、ないよ⋯⋯」


 先ほどは、我ながら勇ましく決意したと思ったのだが、いきなり前途多難となってしまった⋯⋯。

 明日は団長代理であるエリザ率いる“蒼穹の盾アズール・シルト“との、初めての合同任務だ。

 任務自体は魔獣の掃討。だが、正規軍が絡んでいるかもしれない。初めての任務にしては、重めの調査だ。

 体力を温存しなければならないのに、僕の精神力と理性は、この甘く危険な“檻“の中で、ゴリゴリと削られていく。


 窓の外では、森のフクロウが呑気に鳴いている。

 僕はため息をつきながら、明日の朝、この状態を誰かに見られる事だけはないようにと、エレオス様へ祈りながら重い瞼を閉じた。


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