1章:8話「寝所と湯煙の戦い」


「⋯⋯でかい」


 一階の掃除を終え、二階の主寝室らしき部屋に入った僕たちは、思わずそんなことを口走ってしまった。


 他の部屋より、明らかに使用されていた形跡がある。もちろん、埃は多かったが、それでも他の部屋の惨状に比べれば、この部屋はまだ綺麗な状態であった。

 その部屋の真ん中には、天蓋付きの巨大なベッド。僕が思わず口に出してしまったのは、扉を開けた瞬間、そのベッドが目に入ったからだ。


 大きさは、僕が寮で使用していたベッドの二倍、いや三倍はあるだろう。恐らくは五人くらいなら並んで寝られる程、そのベッドは大きかった。

 しかも、大きいだけではない。木の部分に細やかな彫刻が施してあり、天蓋やシーツ、およそ肌に触れるであろうところは全てに滑らかなシルクが使用されていることが明らかだ。

 他の部屋の家具も、恐らくは高級品であっただろうが、この部屋のそれは、明らかに格が違うように思えた。


 ⋯⋯あの校長、ここをいかがわしいことに使っていたんじゃないだろうな⋯⋯。

 あの豪傑の顔が脳裏に浮かぶ。あのエロジジイなら、やりかねないだろう。


「わあぁ〜、おっきいベッド!お姫様みたいだね!」


 そう思う僕の気持ちを知らないであろうノエルは、またもや目を輝かせながらそう話す。


「⋯⋯確かに、いいベッドだ。他の部屋に比べて汚れは少なさそうだし、シーツさえ洗えばまた使えそうだね。⋯⋯シーツさえ洗えば」


 そうだ。恐らくシーツさえ洗えば、きっと大丈夫だろう。寮で使用していた僕のベッドだって、元は僕のじゃないし。


「⋯⋯では、すぐに洗ってしまいましょう。大丈夫、安心して下さい。私のお手製の洗剤があれば、とても綺麗に、とっても良い匂いになりますよ」


 シルフはそう言うと、ベッドに向かおうとしていたノエルを止め、そそくさとシーツを剥がし、ベッドを5人の妖精と共に掃除し始めた。やけに念入りに。⋯⋯多分、シルフも思うところがあったのか。


 その様子を見ながら、ノエルは嬉しそうに口を開く。


「このベッドなら、みんなで眠れそうだね!」

「⋯⋯そうだね。このベッドなら、五人並んでも少しは余裕がありそうだ」


 僕がそう返すと、クロラが返答してきた。


「れ、レオンさまぁ〜、ナチュラルにひどいですぅ〜! さりげなくクロラを省かないでください〜!」


 クロラが半泣きになりながら僕にしがみついてくる。一体どうした。


「べ、べつに省いてなんかいないよ⋯⋯。みんなはベッドに寝られるって話をしていたでしょ?」


 僕がそう話すと、周りの空気が止まった。いや、凍りついた、とでも言うべきか。

 四人は僕の顔を凝視してくる。ベッドを掃除していたシルフでさえ、その手を止めて、包帯の向こうの目をこちらに向けているように思えた。

 

 ⋯⋯あれ、僕なんか変な事、言った?


「⋯⋯と、当然じゃないか。みんなはベッドを使ってくれ。僕は一階のソファで寝るから」

「レオン様」


 明らかに怒気を含んだ声で、シルフは続ける。


「レオン様⋯⋯。少し、話を整理しましょうか。私達、女性は五人でこのベッドを使って、レオン様は下のソファに眠ると。お間違いありませんか?」

「そ、そうだよ⋯⋯。さすがに、僕はその中には混ざれないよ」

「なるほど。⋯⋯ところで、この屋敷の主人あるじは、今は誰でしょうか?」

「⋯⋯一応、僕ってことになるね⋯⋯」


 持ち主はベルケ校長のものだが、月々、月銀貨五枚でよい、といって貸してくれた屋敷だ。借主とはいえ、この屋敷の主人は今は僕で間違い無いだろう。

 静かなる怒りを抑えるように、シルフは冷静に話を詰めてくる。


「そうですよね。ここの主人あるじは、レオン様です。その主人がソファで寝るなら、私たちは床で寝なければなりません」

「そ、そうはならないでしょ⋯⋯」

「なります。主人をソファで寝かせて、私たちはふかふかのベッドで眠るなんて⋯⋯。そんな恥を晒すくらいなら、私は床で寝ます」


 確かに、そういう話なら、彼女の言うことは一理ある。⋯⋯一理、あるのだが、そんな事はさすがに出来ない。困ったな、ちょっと勝てないぞ⋯⋯。

 反撃の言葉を考えていると、ノエルは僕にトドメの一撃を繰り出してきた。


「レオン。⋯⋯私たちと寝るの、嫌なの⋯⋯?」


 明らかにしゅんとした雰囲気で、涙目になりながら、上目遣いで僕に聞いてくる。⋯⋯そんな顔しないで。


「⋯⋯レオン、諦めて下さい。ルナは、レオンの剣。レオンがどこにいようと、ルナは必ず、そのかたわらへ参りましょう」


 僕がどこで寝ていようと、必ず僕のそばにくると言うことか。斬新なストーカー宣言だ。


「⋯⋯観念なさい。どの道、貴方がどこで寝ようと、貴方は私の側に持って来るわ。さっきのようにね」


 今度はヒルダが誘拐宣言をしてくる。僕に逃げ場はないようだ。


「ぐへへへ〜。クロラは、別にどこでも良いよぉ〜? レオン様の寝顔を見れればねぇ〜♡」

「「「「貴女は黙ってなさい!」」」」

「ひえぇ〜、れ、レオンさまぁ〜、一緒に寝てぇ〜!」


 また半泣きになりながら、僕の腰にしがみついてくるクロラ。頭のアホ毛が折れるのを、僕は初めて見た気がした。



 +



 気を取り直して、二階はどうやら寝室の他に、執務室、大きな机と本棚が並ぶ大広間と言って良い書庫、会議室のような部屋があった。廊下や寝室、大広間からは広大な森を見渡せるバルコニーもあるようだ。きっと、風も心地良い場所だろう。

 残りの部屋も、埃こそ積もっているものの、家具や建て付けはしっかりしており、掃除さえ済ませればすぐにでも使えそうだった。

 2階の掃除は彼女たちに任せ、僕は浴場の湯を張る準備をしていた。


「⋯⋯⋯⋯」


 脱衣所も広く、浴室の扉を開ければ、そこには石造の立派な浴槽が広がっていた。クロラのいう通り、確かに巨大だ。十人は軽く入れるだろう。壁にはライオンの彫刻――いわゆる湯口があり、そこからお湯が吐き出される仕組みのようだ。

 一言で言えば、凄いところだ。掃除も完了しており、ここが元は幽霊屋敷であったことは、今は見る影もないだろう。

 そんなに良い場所で、僕が何故立ち尽くしているのかというと、他でもない。どうやって湯を張るかについてだった。


 もちろん、水を出すための魔導機はクロラが直してくれた。お湯を張るための魔導機も、同じように直してくれた。問題は、この魔導機のエネルギーだった。

 ただ水を汲むのと、お湯を温めるでは、使用される魔石の魔力は比べものにならない。恐らくこの規模の浴槽全てにお湯を張るなら、専用の魔石が最低一個は必要だろう。しかも、多分使い切りで。

 その魔石は、お湯の魔導機には取り付けられていない。恐らく、一回張るのに、やはり一個は使用するのだろう。


 その為、今は魔導機が壊れた時の予備手段である、薪を燃やす方法でお湯を温めていた。


「⋯⋯時間がかかるのは、仕方ないな⋯⋯」


 彼女たちは今日一日、掃除を頑張ってくれた。一人、ずっとティータイムを楽しんでいた者もいるが。

 僕にはこれくらいの事しか出来ない。外に残っていた薪は殆ど使用してしまったが、まあ明日からのことは、明日の僕に任せよう。

 お湯が温まるのを自分の手で確認し、時には外に出て薪の様子を確認しながら、僕はこの浴場が完成するのを待っていた。


「⋯⋯そろそろ、大丈夫かな?」


 お湯もちょうどいい温度になり、そろそろ皆を呼ぼうと思った頃、後ろから声が聞こえた。


「わあぁ〜! すご〜い!! あったかそ〜〜!!!」


 僕が後ろを振り向いた瞬間、黄金の風が横を通り過ぎていき、次の瞬間にはドボン!と大きな音がした。

 ⋯⋯つまり、恐らく、ノエルが、浴槽にダイブしたのだろう。⋯⋯恐らくは、生まれたままの姿で。

 まずい、これは予想外だ。昨日の退寮事件もそうだったが、今回ばかりはさすがにまずい。少なくとも昨日はまだ全員服を着ていた。


 すぐに浴場から出ようとした。しかし、この浴場は入り口が一つしかない。脱衣所。そこから、四人の話し声が聞こえてくる。

 前と後ろに挟まれ、僕が進退窮まっていると、無情にも脱衣所の扉が開いてしまった。ただの脱衣所の扉が、地獄の門に見えたのは初めてだ。


 開いた扉から現れたのは、四人の、それは大層美しい美少女達だった。なるほど、ここは地獄ではなく、天国だったか。

 少なくとも、これを絵画にすれば、後世まで伝えられる名画となる事だろう。

 題名は、僕を含めた、“六人の美女“で⋯⋯⋯⋯やかましい!


 幸いだったのは、湯煙のおかげで四人とも詳しい姿が見えなかった事だ。よかった。僕の理性は守られた。鼻からなんか出てきた気がするが。


「⋯⋯ご、ごめん、すぐ出るから、ゆっくりしてくれ!!!」


 そう言って下を向きながら駆け出すと、なんと僕の体が宙に浮いたではないか。

 なぜ、僕が急に空を飛べるようになったかというと、それは両サイドから少女達に腕を取られたからだ。


「⋯⋯確かに、良い湯加減そうね。⋯⋯ところで、貴方はどこへ行くつもりかしら?」

「それは勿論、外に出るつもりでございます。薪の、様子も、心配なので」


 僕は足で空を蹴りながら、そう伝えた。そうだ。薪の様子が心配だ。早く行かなきゃ。


「それならぁ〜、さっき私が確認したよぉ〜? な〜んにも問題なかったからぁ〜、レオン様も一緒に入ろ? ⋯⋯お洋服を脱ぐの、手伝ってあげるからさぁ〜♡ ぐふふ♡」


 クロラが僕の腰に手を伸ばしながら返答してくる。なんと! 仕事が早いじゃないか! 素晴らしいね!


「さすがに僕は大丈夫だよ! みんなが出た後にゆっくりさせてもらうよ! お構いなく!」

「⋯⋯レオン様? 私たち⋯⋯夫婦ですよね?」


 包帯をしたままのシルフは、僕の服に手をかけながら、若干の圧を含めて言う。


「制度上ではまだだ! とりあえず⋯⋯今はまだ早いよ!!!」

「⋯⋯レオンの背中は、ルナがお流しします」


 ルナは相変わらず眉一つ動かさず、タオルを手に持っている。その体には何も纏っていない気配がする。⋯⋯⋯⋯⋯⋯でっっっか。


「だあああっっ!!! だめだ! 絶対にだめだぁ〜!!!」


 僕は死に物狂いで抵抗した。多分、あの賊に対してよりも。あまりの様子だったからか、掴まれていた腕が緩む。その刹那の隙を見逃さず、僕は地上に舞い戻り、彼女達を欲情に押し込んだ。違う!浴場に!


「僕は最後!! みんなが上がってから入るから!! いいね!! 覗いちゃダメだからね!!」


 勢いよく扉を閉める。


 中からは、「え〜」「ちぇ〜」「レオンの意気地無し〜」というブーイングと、キャッキャとはしゃぐ水音が聞こえてくる。


「⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯」


 僕は外に出て、壁に背中を預け、力無く座り込んだ。

 心臓が早鐘を打っている。魔獣と戦うより、よっぽど命の危険を感じた。


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