1章:4話「悪夢と安心と」
夢を見ていた。
全てが燃え上がる世界を、暗闇が包み込んでいる。
その真ん中に居るのは、一人の金髪の子供。
長い金髪を三つ編みにしている彼は、深い紫色の瞳から大粒の涙を流して、人形のように美しい顔を無様に歪めている。
(ああ⋯⋯。また、この夢か⋯⋯)
僕は理解した。いつもの“悪夢“だ。
泣いている子供は僕。“レオハルト・フォン・リヒトホーフェン“だ。今でも顔をくしゃくしゃにしながら“助けて! 助けて!!“ と叫んでいる。
(誰も助けてなんてくれないのに⋯⋯)
この夢の続きはよく知っている。この後、燃え上がる炎から幾つもの“黒い腕“が伸びてきて、僕は炎に呑まれて焼かれていく。
“苦しい““助けて“と、いくら叫んでも助けは来ない。生きたまま、肌を焼かれ、眼球が破裂し、筋肉が炭化し、骨が剥き出しになって、焼けた骨がひび割れるまで、その炎に焼かれ続ける。
そんな苦しみを味わった事など無いはずなのに、焼かれる痛みはやけに鮮明なのだ。あるいは、実際に経験した痛みなのだろうか?
騎士学校に入る少し前、北の大国に奪われた父の領地"イースクリフ"から、
叔父やグレーネラントの騎士団に保護される11歳より前の"記憶が無い“僕には、本当の事などわからない。
ただ一つ、確かなのは、この夢は長い、という事だけだ。毎晩、毎晩。この夢は僕を苦しめ続ける。
ほら、腕が伸びてきた。振り払うのも面倒だ。もう十分だ。早く楽にしてくれ。
諦めて、暗闇の空間を見上げる。いつも通り、何もない。
黒い腕に雁字搦めにされて、炎に引き摺り込まれる。
諦めて目を閉じようとした瞬間、変化が訪れた。
暗闇の空間に太陽が一つできたように、あるいは月が浮かぶように、あたりを照らし始めたのだ。
その光を浴びた“黒い腕“たちは一様に炎の中へ逃げ込み、炎もまた、逃げるように離れていく
今度は空の明かりから“腕“が伸びてくる。それは十本の腕だった。それは僕の側にやってくると優しく手を握り、体を支えてくれた。
柔らかくて、温かい感触。いつまでも触れていたいような、心地よい感触だった。
怖かった事など、もうすっかり忘れてしまったまま、僕は目を覚ました。
+
目が覚めると、そこは自室の天井が、――見えなかった。
いや、天井は見えている。見え方に違和感があるだけで。まるで、片目が塞がれているような、何かで遮られている。
⋯⋯あの夢の続きだろうか。全身を包む温もりは、夢よりずっと強く、重く、そして甘い香りがした。
(⋯⋯あれ?)
違和感は視界だけでは無いようだ。体を起こそうとして、動けないことに気付く。息がやけに苦しい。
⋯⋯なぜ? まさか、毒がまだ残っていた? いや、違う。これはなんというか、こう、押さえつけられているような感じだ。そして、熱い。
寮のベッドはなんの変哲もないシングルベッドのはずだ。なのに、まるでサウナの中にいると錯覚するほど熱がこもっている。そして、全身を包み込むような、柔らかな感触。
あらゆる未知の感覚に恐怖を抱きながら、僕はおそるおそる右を見た。
そこには、夜空のように美しい漆黒の髪が、月明かりに照らされて輝いていた。
「⋯⋯、⋯⋯⋯⋯レオン⋯⋯」
⋯⋯確か、ルナと言った。保健室にいた、僕を助けてくれた女性の一人。
あの、どこか冷たい感じの人が、僕の体を抱き枕代わりにぎゅっとして、幸せそうに寝息を立てている。
(⋯⋯じゃあ、僕の右腕に当たっている、とても柔らかい感触は⋯⋯)
⋯⋯まずい、シルフという女性に変な事を言われたから、変に意識してしまう⋯⋯!
一旦それ以上考えるのをやめて、今度は反対側を見る。
そこにも、月に負けじと太陽のように輝く、白金(プラチナブロンド)の髪が風に撫でられていた。
「⋯⋯ん〜⋯⋯あったかぁ〜い⋯⋯むにゃ」
⋯⋯彼女は、ノエル、だったか。保健室でタックルしてきた彼女だ。今度は僕の腰に手足を絡めて、逃さないと言わんばかりにガッチリとホールドしている。
(⋯⋯待て、こっち側も⋯⋯?)
『胸の大きな人が好き♡』――シルフに言われた言葉が頭の中を反芻しかけたが、なんとか耐える。今気付いたら終わりだ。何が終わるかはわかんないけど。
「⋯⋯あら、おはようございます。レオン様♡」
そして、おなかの上。
僕の呼吸が苦しい最大の原因。僕の女性の好みに呪いをかけた張本人。
腹の上に跨り、柔らかい“もの“を僕の胸に押し付けながら顔を覗き込んでいるのは、桃色の髪と包帯の少女、シルフだ。
彼女は僕の顔を隅々と観察するように、超至近距離で僕を見下ろしていた。包帯で見えないはずなのに。
「⋯⋯っっ!! どっ、どうしてっ、君たちがっ!」
声にならない叫びを上げて飛び起きようとするが、両サイドと上からがっちり押さえつけられている為、身動きが取れない。
混乱する僕の耳に、さらに別方向から声が聞こえた。
「⋯⋯あら、お目覚めかしら? 随分とうなされていたようだけど」
部屋の隅、僕の勉強用の机と椅子がある場所。
そこに真紅の髪と瞳を持った少女がいた。確か⋯⋯ヒルデガルダだ。
彼女は足を組んで椅子に優雅に腰掛け、どこから持ってきたのかティーカップを使って、見事な所作で飲み物を飲んでいる。それだけなのに、やけに官能的に見える。
「ひ、ヒルデガルダ⋯⋯!? なんで、君たちがここに⋯⋯? 宿は? それに鍵は!?」
「ヒルダでいいわ⋯⋯。あなたに、忘れ物を届けに来たのよ」
忘れ物⋯⋯?と思うと、ヒルダは続ける。
「⋯⋯魔剣。折角選ばれたのに、ほっぽらかしてるのは、可哀想じゃない?」
そう言って、ヒルダは剣を見せた。⋯⋯魔剣? ⋯⋯じゃあ、あれは夢ではなく、本当に⋯⋯?
自分の記憶を辿る途中、今度は下から声が聞こえた。⋯⋯ん? 下?
「⋯⋯それに鍵ならぁ〜、最初から開いてましたよぉ〜?」
僕は背筋が凍った。まさか⋯⋯、まさか、ベッドの下にいるのか⋯⋯?
怖気が走るのが早いか、保健室で聞いた湿っぽい笑い声が聞こえてくる。
「⋯⋯ぐへへへ⋯⋯レオン様の寝汗⋯⋯頂きましたぁ〜⋯⋯ぐふふふ♡」
クロラだ! いつの間に忍び込んだのか、彼女はベッドの下に潜伏していたらしい。
⋯⋯状況をまとめよう。僕はベッドの中心にいる。右にルナ、左にノエル、上にシルフ、下にクロラ。そして、優雅にティータイムをしているヒルダ。
定員一名の狭い部屋に、僕を含めて六人。
この状況を打破しようと頭を巡らせるより先に、部屋の外、廊下の方からドタドタと重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
「リヒトホーフェン!! なんの騒ぎだ!!!」
扉が凄い勢いで開く。寮長だ。これで扉が壊れたら寮長のせいだからな。
一瞬現実逃避するものの、鬼の形相をした寮長を前にしては、背筋が伸びてしまう。⋯⋯僕は寝たままだが。
「⋯⋯⋯⋯あ」
そうだ。今更かもしれないが、僕が住んでいるこの寮は男性寮で、女性が中に入るのは基本的には禁止されている。もちろん、中へ入れることもだ。
内緒で入れている人がいるのは、今は関係ない。現に今、見つかっているのだから。
そして、現在の状況。パジャマ姿の美少女五人と、彼女たちにもみくちゃにされている僕。
どう見ても言い逃れできない、完璧な現行犯だった。
⋯⋯一瞬の静寂。嵐の前の静けさ。晴天の霹靂。これは違うか。いや、数秒後にはあってるか。
「⋯⋯き」
と、寮長。
「⋯⋯き?」
と、ぼく。
「貴様ァァァァァ!!! 何を考えとるんだァァァァァァァァ!!!!!!」
その時の寮長の雷のような怒声は、寮にいる生徒全員は強制的に目を覚ますことになった。
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