第24話 エピローグ
東條憲一はあかりに付き添われて、あの冬の終わりの朝、警察署に出頭した。
知り合いの矢島刑事が、後で俺に教えてくれた。
「あかりちゃんを刺そうとした殺人未遂は、間違いなく起訴される。
刃物持って乱入したんだからな。
奥さんの美津子さんの件は……難しいな。
美津子さん本人が輸血拒否を明確にしていたし、HLCのルールに従ったって主張もある。
でも、助けられた手術を意図的に遅らせたとなれば、最悪、殺人か保護責任者遺棄致死に問われる可能性はなくもないな」
矢島はため息をついて、
「でもあの親父、自分から全部認めてる。
『俺は妻を殺した。娘も殺そうとした』ってな。
あかりちゃんは、ずっと傍について、『お父さんを許す』って繰り返してるらしい」
あかりは拘置所の面会に毎日欠かさず通っているという。
父を、精一杯支えていくつもりだった。
そして俺は——
あの喫煙所でナイフを抜いた瞬間を今でも夢に見る。
昔と変わらず、怒りに任せて、人を刺そうとした自分。
あかりの「つるぎをさやに納めなさい」という言葉が、胸に突き刺さったまま抜けない。
それ以来、俺はエホバの証人との関わりをぷっつりと絶った。
ミカからのLINEも、西村姉妹の電話もすべて無視した。
王国会館の前を通るたび、あの温かい人たちの笑顔と豚汁の匂いを思い出すけど、足を止めることはない。
毎日便利屋の仕事だけをこなす。
変わらない、
ゴミ屋敷の片付け、
夜中の酔っ払いの介抱、
ペットの散歩代行の日々。
でも、タバコはあの夜以来、一本も吸っていない。
それだけが進歩と言えるかもな。
たまに喫煙所を見かけると、あの最初の出会いが頭をよぎる。
東條憲一が、「頼むぜ相棒!」と笑った日。
すべてはタバコの煙と一緒に消え去ったんだ……、と思っていた。
しかし……。
俺のアパートは、相変わらず狭くて汚い。
便利屋の仕事が終わって帰宅した夕方、いつものようにビールを開けようとしたところで、インターホンが鳴った。
ピンポーン。
「……誰だよ、こんな時間に」
俺は、無視して缶をプシュッと開けた。
居留守を決め込む。
もう、誰とも関わりたくない。
ピンポーン。
ピンポーン。
ピンポーーーン。
しつこい。
まったく、とため息をついてドアを開けた。
そこに立っていたのは佐伯ミカと西村姉妹だった。
ミカは、真面目くさった顔で両手に雑誌を抱えて立っている。
西村姉妹は後ろでニコニコしている。
ミカが、わざとらしく大きな声で言った。
「こんにちは。私たちはエホバの証人といいます。
ボランティアで聖書のことをお話しに伺いました」
はあ?俺は呆然として固まった。
ミカはもう我慢できなくなったのか、ぷっと吹き出した。
「ふふっ……あはははは! ごめん!ごめんなさい!」
西村姉妹も、腹を抱えて笑う。
「もう、ミカちゃんったら!
佐藤さん!でも、私たちほんとに励ましに来たんだからね!」
俺はまだドアを半開きにしたまま言葉を失っていた。
ミカは笑いをこらえながら、でも真剣な目で俺を見た。
「佐藤さん……
人は失敗するものです」
彼女は、そっと聖書を開いた。
「聖書にもこう書いてあります。
『正しい人は七回倒れても、また立ち上がる』って。
それに、聖書の神エホバは弱い人を見捨てたりはしません」
西村姉妹が優しく続ける。
「そうよ。
あんたの信仰は本物だったわ。
私たちみんな分かってたわ。
だから、失敗なんかに負けちゃダメよ!」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
あの夜のナイフ。
あの失敗。
でもまだ終わったわけではなかったのかもしれない。
フッ。俺は小さく笑った。
「……入ってくれ」
ドアを大きく開けた。
ミカがぱっと笑顔になった。
「はい!」
西村姉妹がいつものようにでっかい紙袋を掲げる。
「今日はたい焼き!たくさん買ってきたわよ~!」
俺は久しぶりに部屋に人を迎え入れた。
外はもう春の匂いがしていた。
人は、七回倒れてもまた立ち上がる、か。
もう一度、立ち上がってみるか。
輸血拒否と罪 @at_tk
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