第22話 父の罪

その声は、 昔、あかりが家で聞いた怒鳴り声と同じ響きだった。

母を責めるとき、

あかりを叱るとき、

いつもあの低い、喉の奥から絞り出すような怒りと絶望が混じった怒号を聞いていたのだ。


あかりの視点が、世界が一瞬止まった。


……お父さん?


熱いスープで男が思わず覆面を脱ごうとし、寸前で思いとどまった。

男の顔が一瞬、半分だけ露わになる。

血走った目。歪んだ口元。


……お父さんだ。


確信が、胸を突き刺した。


男はひるんだ。

熱い顔を手で覆い、よろめく。


その隙に、呆然としていたスーツ姿の男性たちが一斉に立ち上がった。


「危ない!!」

「あかりちゃんを守って!」


三人がすぐにあかりの前に立ちはだかる。

山田兄弟、若い父親の兄弟、もう一人の壮年の兄弟。

背中であかりを庇い、男を睨む。


男は、刃物を握りしめたまま、一瞬だけあかりを見た。

その目は、狂気と、絶望と、そして、ほんの一瞬、懺悔のようなもので揺れた。


次の瞬間、男は踵を返し玄関から逃げ出した。

雨の音が、遠くで響く。


あかりは、震える唇で小さく呟いた。


「お父さん……!」


その直後、

あかりの視界がぐらりと揺れた。

膝から力が抜け床に崩れ落ちる。


「きゃあ! あかりちゃん!!」

「大丈夫!? あかりちゃん!!」


姉妹たちの悲鳴。

誰かの手が、必死に支える。

ミカの声が、遠くで叫んでいる。

あかりは気を失った……。



「健太さん! あかりちゃんが!!」


俺は駆け寄り、あかりを抱き起こした。


「あかりさん! あかりさん、しっかりしろ!!

 目を開けてくれ!!」


でも、あかりの目は閉じたまま、

顔は真っ青で、唇が小さく震えているだけだった。


山田兄弟がすぐに電話を掴む。


「救急車! 今すぐ!!」


そのしばらく後。

白い病室。

消毒液の匂いが鼻の奥に染みつく。

天井の光がベッドを淡く照らしている。


あかりはベッドに横たわり、点滴を受けていた。

ショックと過呼吸、医師はそう言った。

命に別状はないが安静が必要。


俺は病室の隅でいらいらと歩き回っていた。


足音が廊下に響く。

手は握りしめたまま、 胸の奥が焼けるように熱い。


……どうしてこんなことに。


あかりの寝顔を見ると、あの笑顔が、豚汁の湯気が、みんなの歌声が、頭の中でぐるぐる回る。


俺は窓辺に立ち外の暗闇を見つめた。

あの時、あかりちゃんは確かに小さな声だったが「お父さん!」と口走っていた。

俺はたしかに聞いた。

あれは東條憲一だったのだ。


俺は、とうとう病室から出て外の長い廊下をいらいらと行ったり来たりした。

足音が静かな夜の病院に響く。

看護師が遠くでパソコンを叩く音だけが、時々聞こえる。


あかりは、まだ目を覚まさない。

ショックで意識を失ってから、もう三時間。

医師は「命に別状はない」と言ったけど、あの真っ青な顔が頭から離れない。


俺はポケットからスマホを取り出し着信履歴を見た。

東條憲一からの連絡は一切ない。


……どうやってあいつはここまで辿り着いた?


館林の王国会館。

山田姉妹の家。

あの温かい食卓。


俺はずっとあかりを探していた。

でも、逆もまた然りだったのか。


やっと気付いた。

俺が……尾行されていた?


その瞬間、背筋に冷たいものが走った。


……いつから?


俺があかりに近づくたび、誰かが俺を見ていた?


東條が雇った別の探偵。

いや、あるいはあいつ自身が自分でずっと、俺の後を追っていたのかもしれない。


俺は壁に拳を叩きつけた。

鈍い音が響く。


……くそっ。


どうして気づかなかった。

どうしてあかりを、みんなをこんな目に遭わせた。


後悔が胸の奥から、どす黒い波のように押し寄せてきた。


俺はあかりを守れなかった。

いや守るどころか、やつをここまで導いてしまった。


俺がのんきに鼻を延ばしていた時、東條は近づいていた?


俺は廊下のベンチに崩れ落ちた。

頭を抱え歯を食いしばった。


……すまねえ。

あかり。

ミカ。

西村姉妹。

みんな。


俺のせいだ。


このすごく温かい人達の輪を、この俺が壊してしまった。


窓の外で、夜明け前の空がほんの少しだけ白み始めていた。


東條憲一、許せねぇ!

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