第20話 とうとう見つけた

朝七時。

まだ夜明けの匂いが残るアパートの駐車場で、俺は軽バンのドアを叩いた。


「乗ってくれ。今日は館林だ」


西村姉妹が、でっかいおやつ袋を抱えて助手席に乗り込んでくる。

後部座席はミカがぴょんと飛び乗って、前席の方へ身を乗り出す。


「やったー! あかりちゃん、今日は絶対いるよね!?」

「いるいる! もう間違いないって! 佐藤さんが見つけてくれたんだから!」


肩をバシッ!と叩かれた。


「普通に痛い!」


軽バンは館林インターを降りて国道をのんびり走っている。

助手席の西村姉妹、後部座席のミカ、二人とも朝からハイテンションだ。


西村姉妹がバッグから何かを取り出した。


「じゃーん! これ見て!昔の写真!

出てきたのよ~!」


見せられたのは、昔むかしのポラロイド写真だった。

色褪せた一枚に、20代前半の西村姉妹が写っている。

髪はパーマでふわふわ、でっかい肩パッドのジャケット、ピンクのスカート。

隣には、同じくらいの年の女性がいて二人してピースサイン。


「これ、私と美津子姉妹! あかりちゃんがまだ赤ちゃんの頃よ! めっちゃ若いでしょ!?」


ミカが後ろから身を乗り出して覗き込む。


「うわぁ~! 西村姉妹、めっちゃギャルじゃないですか! 可愛い~!」


「でしょでしょ! 当時はバブリーだったからね~。

 美津子姉妹もこの日、伝道帰りに突然『写真撮ろ!』って言って、駅前のデパートの屋上で撮ったのよ。

 あかりちゃんはおんぶ紐で背中にくっついてて、寝てたんだから!」


西村姉妹がガハハと笑いながら写真を俺の方に突きつける。


「ほら佐藤さんも見て! 美津子姉妹、めっちゃ美人だったでしょ!私もね!」


確かに。

写真の中の美津子さんは若々しくて、目がくりっとして笑顔がまぶしい。

今のあかりと瓜二つだった。


俺は、写真をチラッと見てすぐに前を向いた。


「……うん、美人だね」


声がひどく低くなった。


西村姉妹は気づかないふりで続ける。


「ねえねえ、この写真あかりちゃんに見せても大丈夫かな?

 『お母さん、こんな頃もあったんだよ』って!」


ミカも目をキラキラさせて、


「私もあかりちゃんに『若いころのお母さん、あかりちゃんと一緒に伝道活動頑張ってたね』って言ってあげたい。」


二人の笑い声が車内に弾ける。


本来なら微笑む場面だ。

西村姉妹のバブリー話も、ミカの無邪気なリアクションも。

全部、いつもの軽バンの中のほんわかした空気。


でも俺は笑えなかった。


写真の中の美津子さんの笑顔が、俺が病院で見たカルテの最後のページと重なって離れない。


『患者、東條美津子 死亡確認 午後3時42分』


助けられた命だった。

あの笑顔は消される必要なんてなかった。


ミカが俺の肩を軽く叩いた。


「ねえ佐藤さん、ほんとにどうしたの? 」


西村姉妹も追撃。


「ほんとよ! 今日はあかりちゃんに会える日なんだから、もっと笑って!」


俺は、なんとか口角を上げた。


「……ああ」


でも笑顔はすぐに消えた。

ミカが少し不安そうに俺を見た。


「……佐藤さん?」


「ああ大丈夫だよ」

俺はハンドルを握る手に力を込めた。


もうすぐだ。

あと十分もすれば王国会館に着く。


そしてあかりは真実を知る。


俺はアクセルを少しだけ強く踏み込んだ。


軽バンは静かに館林の住宅街へと吸い込まれていった。

そして俺たちは館林の王国会館の駐車場へと車を進めた。


小さな会館のホールはちょうど集会の準備の真っ最中だった。

三十人ほどの兄弟姉妹が談笑している。

日曜の午後十三時半、窓から差し込む光がホールを優しく照らしていた。


俺たちは、入口の前に立っていた男性信者と挨拶を交わし、どちらから来られたんですか~?などと質問され、会話を交わしていた。


その時、ミカがあっ!と小さく息を呑んだ。


「……あかりちゃん……?」


ホールの奥で準備を手伝っていた若い女性が、ぴたりと手を止めた。

肩までの黒髪、細い肩、横顔のライン。

間違いない。

やっとみつけた……。

東條あかりだった。

彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……?」

最初は誰だかわからない、という表情。

次の瞬間、目を見開いて、

「あ……」と声にならない声が漏れた。


ミカが走り出す。

「あかりちゃん!!」

ミカは人ごみをかき分け、椅子を飛び越えるようにして駆け寄った。

あかりも両手を広げて受け止める。

二人はがばっと抱き合った。

ミカの肩がすぐに小刻みに震え始めた。

「あかりちゃん……ほんとに……ほんとに……心配したんだから……!

 黙って消えちゃうなんて……ひどいよ……!」


あかりも、ミカの肩に顔を埋めて声を詰まらせる。


「……ごめんね……ごめんね、ミカ……

 ごめんね……!」


二人の嗚咽が重なって響く。


二人とも涙で顔をくしゃくしゃにしていた。

西村姉妹は、俺の隣ででっかい眼鏡の奥の目を真っ赤にしながら、両手で口を押さえてただ見つめていた。

俺も胸の奥が熱くて視界が滲むのを堪えるのに必死だった。

会衆の人たちは突然のことにぽかんとして立ち止まっている。


「え、誰?」「知り合い?」と小声で囁き合う。

ステージの近くにいた指導クラスの兄弟──五十代くらいの、穏やかそうな男性──が、ゆっくりと近づいてきた。


表情はにこやかだけど目は笑っていない。


「東條姉妹……?お知り合いの方ですか?」


あかりは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、

「はい! 私の親友です!」

そしてミカも、まだあかりの肩に顔を埋めたまま小さく頷いた。


指導する立場の兄弟は、俺と西村姉妹をちらりと見て、

「そうですか……それは良かったですね」

とだけ言った。


でも、その足は二人と俺たちの間にぴたりと立ち、

まるで「ここから先は入れませんよ」と言わんばかりの距離を保っている。


他の男性信者たちも、自然にあかりとミカの前に壁を作り始めた。

笑顔は変わらない。

けれど、空気が、ほんの少し張り詰めた。


西村姉妹が小声で俺に囁いた。

「……やっぱり、あかりちゃんを守ってるのね。

 みんなで」

俺は頷いた。


あかりはまだ泣きじゃくりながら、ミカの背中をさすっている。

ミカも離れようとしない。

二人の背中を俺はただ黙って見つめていた。


まだ真実は言えない。

でも、もうすぐだ。

あかりは、父が母を殺したという最も冷たい刃を受け取らなければならない。

俺は握りしめた拳をそっとポケットにしまった。


その後、俺たちはそのまま集会に参加した。


集会後ホールの隅でミカとあかりは、改めて抱き合ったまま、涙を流していた。

周りの兄弟姉妹たちは、最初は驚いた顔をしていたが、すぐに穏やかな笑顔に戻り静かに二人を見守っている。


そこへ、六十代後半くらいの、ふくよかで優しげな姉妹がゆっくりと近づいてきた。

白髪交じりの髪を後ろで束ね、柔らかなピンクのカーディガンを羽織っている。

名前は山田姉妹と言った。


彼女は、にこにことしながら二人の肩に手を置いた。


「親友に再会できてほんとによかったわね」


山田姉妹はう〜ん、と考えるような顔をして、ふと顔を上げ周りの兄弟姉妹たちを見回した。


「せっかくだから、みんなでうちでお食事でもしていかない?

 今日はたまたま豚汁を鍋いっぱい作ってあるのよ。

 よかったら、みんなどうぞ!」


その言葉に部屋がぱっと明るくなった。


西村姉妹が目をキラキラさせて手を叩く。


「え〜! 豚汁!?行く行く! 絶対行く!!」


他の人たちも笑いながら、

「じゃあ私もお肉屋さんのからあげたくさん買ってく!」「私もお邪魔していい?」「お言葉に甘えて!」

と、次々に賛同の声が上がる。


ミカも涙を拭きながら、

「私も行きたいです!」

とはしゃぎ始めた。


あかりは、少し戸惑った顔で、

「え、でも……いいんですか?」

と呟いたが、山田姉妹はにこにこしながら、

「いいに決まってるじゃない。」

と、ぽんと背中を叩いた。


俺は少し離れたところでその様子を黙って見ていた。


……温かい。


本当の家族のように温かい。


さっきまで、あかりさんに母を殺された真実を告げなくてはならない責任に胸が張り裂けそうだった。

それなのに今、この瞬間は、この人たちの笑顔と優しさがすべてを包み込んでくれているみたいだった。


西村姉妹が俺の袖を引っ張った。


「佐藤さんも、もちろん行くでしょ?

 豚汁、食べないなんて損よ~!」


俺は複雑な気持ちのまま、でも心のどこかで確かに温かさを感じながら小さく頷いた。


「……ええ、ぜひ行きましょう!」


山田姉妹が、みんなを見回して満足そうに笑った。


「じゃあ決まりね。

 みんなで、わいわい食べましょ」


会館を出るとき外はもうすっかり夕方だった。

冷たい風が吹いていたけど誰も寒そうには見えなかった。


この温かさが、もう少しだけ続くことを俺は静かに祈っていた。

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