第10話 回想 東條憲一、47歳――底の底で
銀行からの最終通告が届いたのは梅雨の終わりの、蒸し暑い日だった。
東條は銀行での話し合いを思い出していた。
場所は地銀の本店、6階の応接室。
いつもは取引先を歓迎するための豪華な部屋だが、今日は完全に裁判の「被告席」だった。
テーブルを挟んで座るのは、融資担当の佐々木課長(45歳)と、その後ろに控える支店長。
佐々木は淡々と口を開いた。
「東條社長、返済が遅れています。
これ以上返済が送れれば一括返済請求に移行します」
東條はなにも言い返せず喉がカラカラだった。
その夜……。
東條は
妻の生命保険証書を見つめていた。
――死亡保険金 3億円。
東條はウイスキーを一気にあおった。
喉が焼ける。
胸の奥が焼ける。
「もし……もしも……美津子が死ねば……
全部、解決する」
声に出してしまった。
自分の声が信じられないほど冷静に響いた。
――俺は、一体何を考えているんだ。
グラスをテーブルに叩きつけるように置いた。
手が震えていた。
妻は今も台所で皿を洗っている。
背中が小さくて、いつもと同じように鼻歌を歌っている。
東條は目を閉じた。
――冗談だ。
ただの、悪魔の冗談だ。
そう自分に言い聞かせた。
その数日後、美津子が倒れた。
検査結果を聞いたとき東條は一瞬、息が止まった。
「進行性子宮がん……ステージⅢです。
すぐに手術が必要です。」
医師の言葉がまるで遠くから聞こえてきた。
美津子は泣きながらも、健気に東條を見つめ、
「エホバが導いてくださるわ」と健気にも微笑んだ。
東條は、その笑顔を見ながら頭の片隅であの夜の自分の声が蘇った。
――美津子が死ねば、全部解決する。
冗談だったはずの言葉が、 奇しくも現実のものとして目の前に突きつけられた。
――あいつが死ねば
東條は、初めて自分の心の底に本物の殺意が蠢いていることに気づいた。
そして、それを止めることができなかった。
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