第8話 王国会館

ついに来た。


田中から電話が来たのは金曜の夜だった。


「佐藤さん、日曜日の午前の集会にぜひお越しください。 」


「行きます」


俺は即答した。

迷いはなかった。


土曜の夜、クローゼットを開けて、一番まともに見える白シャツと紺のスラックス、くたびれたジャケットを引っ張り出した。

ネクタイはさすがにやめたが、鏡の前で髪を整える自分に苦笑いした。


こんな格好で出かけるなんて何年ぶりだ?


日曜、10時前。

俺は当初から狙っていた場所に立っていた。


住宅街の真ん中。小さな看板。


『エホバの証人の王国会館』


ドアを開けると、予想外の歓迎が待っていた。


「あなたが佐藤さん!?」


大きな眼鏡で派手な花柄を着た知らないおばちゃんが両手を広げて近づいてきた。

そしてなんとハグされた!


「ミカちゃんから聞いてたのよ〜!」


ハグされながら背中をバンバンたたかれる。

次に地味なスーツのおっちゃんが握手を求めてきた。


「田中兄弟が自慢してました! すごく熱心だって!」


俺は完全に面食らって、

「は、はい……よろしくお願いします」と頭を下げまくった。


王国会館の内部は、柔らかな日差しが差し込むシンプルなホールが広がっていた。

壁は白く塗られ、派手な装飾は一切なく、ただシンプルな椅子が整然と並び、中央に小さなステージ。

棚には聖書や色鮮やかな雑誌が並んでいる。

信者たちが穏やかに座り、雑談?にいそしんでいる。


一人のおばあさんが俺に近づいてきて、

「ようこそ、佐藤さん。エホバがあなたを招いて下さったのね」

と優しく手を握った。

その温かさに、俺は、緊張した心が少し溶けるのを感じた。


出席者は70人くらい。

みんなが俺を見て笑顔で頷く。


ミカは一番後ろの席で、小さく手を振ってくれた。

田中はステージの上に立ってウンウンと頷いている。


集会が始まった。


賛美歌。

祈り。

そして聖書の話。


テーマは「神の王国はもうすぐそこにある」


壇上の兄弟が聖句を読み上げるたび、俺の胸の奥にスッと入ってきた。


俺は気づいた。


俺はもう、 組織を「調べる」んじゃなくてまじめに話を「聞く」ようになっていた。


集会が終わってまたおばちゃんたちに囲まれた。


「佐藤さん、ぜひまた来てくださいね」


俺は笑って頷いた。

ミカがそっと近づいてきて小声で囁いた。


「……似合ってますよ、ジャケット」


俺は照れて、

「久しぶりに引っ張り出したよ。変じゃない?」

と返した。


「全然変じゃないよ!かっこいいですよ。」


ミカは本当に嬉しそうに笑った。

でもすぐに作ったような険しい顔をする。


「う〜ん、でも、佐藤さん。

 そのジャケット似合ってますけど……

 若干……古びてません?」


俺は苦笑いした。


「10年選手だからな」


「ですよね〜! 襟がヨレてて、なんか可哀想になってきちゃった」


ミカは完全に素で言ってる。

悪気ゼロ。天然100%。


「もし良かったら、新しいの買った方がいいですよ!

 そしたら佐藤さん、もっとかっこよくなるのに!」


俺の心臓がドクンと跳ねた。


「そ、そうかな……?」


「うん! 絶対!」


ミカは目をキラキラさせて、まるで友達に服を勧めるみたいに続けた。


「ちょうど明日、祝日でしょ?

 私、モールに用事あるから、一緒に買いに行きません?

 私、コーディネート得意なんです!」


――二人でモール?これってデートじゃん?


俺は頭が真っ白になった。


「い、一緒に?」


「はい! 佐藤さんのために、絶対いいの選びますから!」


ミカは満面の笑顔で、完全に「妹が兄の服を世話してあげる」モード。

異性としての意識はゼロ。


でも俺は、もう完全に舞い上がっていた。


「行く! もちろん行く!」


声が裏返った。

田中兄弟が後ろで「明日も伝道ありますよ〜?」と笑ってたけど、

耳に入ってこない。


帰りの車の中で、俺は窓に映る自分のニヤケ顔を見て一人で赤面していた。


完全に勘違いしていた。


そして、俺はもうエホバの証人の地元のグループに馴染んでいる。


しかし、ある意味これは完全に潜入出来たってことじゃないか?

とりあえず東條にも良い報告が出来そうだ。


しかし、仕事と芽生え始めていた自分自身の信仰?の間で揺れ動いていたのも事実だった。

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