第5話 日曜の午後、俺の部屋

俺は朝から掃除して、冷蔵庫のビールも全部奥に隠して、

しまいには部屋の隅にあったグラビア雑誌までゴミ袋に突っ込んでいた。

便利屋稼業で仕事じゃなく誰かを部屋に上げるなんて、10年ぶりくらいだ。


インターホンが鳴った。


「こんにちは! 佐伯です〜」


あ!ミカちゃんの声だ!

うっきうきでドアを開けた瞬間、固まった。


佐伯ミカはいた。

でも、隣に田中兄弟がいた。

(後から知ったがエホバの証人は男性は「~~兄弟」女性は「~~姉妹」と呼び合うらしい)


しかも今日はネクタイまで締めて、完全に「指導者モード」。


「……こんにちは、佐藤さん」


田中が先に挨拶して、俺の部屋に入ってきた。

ミカは後ろで小さく手を振って、こころなしか申し訳なさそうな笑顔。


肩が、ガクッと落ちた。


仕事用の応接セットで聖書レッスンが始まった。

案の定、聖書レッスンは田中が主導。

テーブルの上に『いつまでも幸せに』を広げて、

「今日は第一課『聖書は本当に神のことばですか』から始めましょう」とか言い出す。


俺は完全にテンション下がりまくりだった。


ミカは横で微笑んでるだけ。

時々俺と目が合うと、ちょっと申し訳なさそうにしている気がする。


レッスンは30分で終わった。

田中が「では次回は第二課ですね」とまとめようとした瞬間、

俺が我慢できなくなって口を開いた。


「……あのさ、ちょっと休憩しません? コーヒー淹れますよ」


田中が一瞬、目を細めたけど、

ミカがすかさず「私も飲みたーい!」って言ってくれて、なんとか雑談タイムに突入した。


「佐藤さんって、好きな食べ物なんですか?」


ミカが急に聞いてきた。


「俺? ……カップラーメンかな」


「えー! さすがにそればっかりは体に悪いですよ〜」


「でも便利屋って夜中まで仕事あるからさ。

 昨日も3時にゴミ屋敷片付け終わって、コンビニのチキン食いながら帰った」


「3時!? すごい……私、夜9時過ぎるともう眠くて」


田中が横で「ふふっ」と笑った。

珍しく人間らしい声だった。


「田中さんも夜遅くまで伝道とかあるんですか?」


「ありますよ。先週も夜9時半まで、あるお宅で聖書のレッスンしてました」


ミカが急に身を乗り出した。


「そういえば田中兄弟、昨日も遅くまで伝道してたって言ってましたよね!

 帰りにコンビニでアイス買ったって」


「そうそう。ハーゲンダッツのストロベリー。

 伝道のご褒美に自分に許した」


俺とミカが同時に「えっ!?」って顔になった。


「田中さん、ハーゲンダッツ食べるんだ……!?」


「食べますよ。人間ですから」


ミカが腹抱えて笑い出した。

俺もつられて笑った。


田中が照れ臭そうに頭を掻いてる。

その瞬間だけ、普通のおっさんに見えた。


俺が言った。


「……俺も昨日、仕事のご褒美にセブンの金のハンバーグ買ったわ」


「あーー! 私もあれ大好きなんです〜!」


完全に聖書から離れてコンビニ飯ランキング大会が始まった。

田中まで「最近のセブンの唐揚げ棒はレベル高いですよね」とか言い出す始末。

俺は肩の力を抜いて、ミカの笑顔を横目で見ながら心の中で呟いた。


――まあ、

 こんな日曜の午後も、

 悪くないかもしれない。




コンビニ飯ランキングで盛り上がって、俺は完全に油断していた。だが……


――今だ。


俺はコーヒーカップを置いて、わざとらしく首を傾げた。


「あ、そういえばさ。

 俺の取引先に東條さんって人がいてさ。

東條開発の社長さんなんだけど……

 娘さんがエホバの証人だって聞いたんだよね」


ミカの目がぱっと輝いた。


「あ! あかりちゃん……?」


瞬間、田中兄弟の表情が凍った。


「……佐伯姉妹」


低い、でもはっきりとした声で田中がミカの言葉を遮った。


ミカは「あっ……」と口を押さえて、俺に申し訳なさそうに視線を落とした。


田中は穏やかな笑顔のまま、ゆっくりと俺を見据えた。


「東條さん……確かに、昔うちの会衆にいらっしゃいましたね。

あ、会衆と言うのは私たちの地域ごとの集まりのことなんです。

 でも、今はいませんよ。

 会衆を移られたのか、あるいは……ご事情があって、ということでしょう」


完全に話をそらされた。


俺は内心で舌打ちしながら、それでも笑顔を作った。


「へえ、そうなんだ。

 なんか娘さんがすごく熱心だったって聞いてさ。

 俺も聖書の勉強始めたばっかりだから、

 取引先の娘さんだし、お話ししたいなって思ったんだけど」


田中は一瞬だけ目を細めた。


「熱心な方はたくさんいらっしゃいますよ。

 でも、個人のことはあまりお話ししないのが私たちの習慣でして」


――怪しい。


完全に怪しい。

空気が一瞬で冷えた。

ミカも俯いたまま、指先でスカートの裾をいじってる。


俺はもう追及するタイミングを失って、コーヒーを一口飲んだ。


「……そうなんですね。」


田中は時計を見て、立ち上がった。


「さて、そろそろ次の約束もありますので。

 佐伯姉妹、行きましょうか」


ミカも慌てて立ち上がる。


「佐藤さん、今日はありがとうございました。

 ぜひレッスン続けてくださいね」


俺は玄関まで見送りながらミカの横顔を見た。

彼女は一瞬だけ、 俺に小さくうなずいたような気がする。


ドアが閉まる音が響いた後、俺はテーブルに残った『いつまでも幸せに』を手に取った。


東條あかり。

間違いなくここにいる。


でもこの組織は思った以上に口が固い。


俺はタバコに火をつけて窓の外を見た。


――仕事、忘れるなよ、佐藤健太。


でも、佐伯ミカの顔が頭から離れなかった。

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