第4話 西口の夕方、再び

三日後、俺はまた西口のベンチ脇に立っていた。

仕事だと言い訳しながら、胸の奥がドキドキしているのは、もう隠せない。


佐伯ミカは今日もいた。

白いブラウスに薄いベージュのスカート。

風が少し強くて、髪が頬に張りついているのを指でそっと払う仕草がやけに色っぽい。


俺は深呼吸して近づいた。


「……こんにちは」


ミカは顔を上げて、ぱっと笑った。


「あ、また来てくれたんですね」


「あの雑誌、読んだよ。『物価高にどう対処するか?』ってやつ」


俺はポケットから、しわくちゃになった『めざめて!』を出す。


「いや〜、マジで参考になったわ~。レトルトカレーを常備しとけって書いてあったから、昨日スーパーで20個買い占めた」


ミカが吹き出した。


「レトルトカレーって、そんなこと書いてないですよね。

 それに20個って……! 賞味期限大丈夫ですか?」


「3年持つやつにした。俺、便利屋なんで、なんか備蓄癖があってさ」


「便利屋さんなんですね! すごい〜、どんなことするんですか?」


「ゴミ屋敷片付けたり、夜中の酔っ払い介抱したり、ペットの散歩代行とか」


「ペットの散歩!? 私、猫が大好きなんですよ〜」


ミカの目が急にキラキラし始めた。


「うちの実家に昔、茶トラの猫がいて、『みかん』って名前だったんです。

 もう亡くなっちゃったけど、今でも写真見ると泣いちゃう」


「みかん! 最高の名前じゃん。俺も猫飼いたいけど仕事が不定期で……」


「飼ってください! 絶対幸せになりますよ!」


完全に聖書と関係ない話で盛り上がってる。

俺は完全に鼻を伸ばしていた。


「でさ、昨日も仕事でさ、ゴミ屋敷の片付けしてたら、棚の奥から20年前のカップラーメン出てきて……」


「え〜! まだ食べられるんですか!?」


「賞味期限切れ15年だった。さすがに捨てたけど」


ミカが腹を抱えて笑った。

その笑い声が、夕方の雑踏の中で妙に響いて俺の胸がまたズキズキした。


そのとき、隣に立っていた40代スーツの男性が声をかけてきた。


「ミカちゃん!ちょっと声が大きいかも」


「あ、田中兄弟、すみません!つい……話に夢中になっちゃって」


ミカさんは、俺の方をみて言った。


「そういえば、お名前を聞いてなかったですよね?」


「佐藤です!佐藤健太。」


「佐藤さんですか。そしたらこれ」


ミカさんが一冊の冊子を傍らにある雑誌スタンドから抜き取って差し出した。


いつまでも幸せに、というタイトルが書いてある。


「私たちは無料で聖書を学べる、聖書レッスンをおすすめしています。だれでも聖書のことを学べます。」


なんか営業トークみたいになってきたぞ。


「この冊子は聖書レッスンのお試し用のテキストなんです。」


差し出されたので受け取ってしまった。

ミカさんが今までと打って変わった真剣な表情でこちらを見つめる。


「聖書レッスンやってみませんか?」


「へ?」


ミカさんと話すのに夢中になっていた俺は、本来の仕事を忘れていた。

これはエホバの証人の組織に潜入するチャンスじゃないか?


俺は答えた。


「ぜひ!興味あります。」

「よかった~。」


ミカさんがまた笑ってくれた。

俺は完全にミカさんに魅了されていた。


「佐藤さん、おうちはどこですか?今度おうちの方へうかがわせてください」

「へ?俺のうち?」


俺はまたもや完全に間抜けな顔をしていたに違いない。


「ええ、私たちはおうちに伺ってお話しするのが本来のスタイルですから」


「そうなんだ。そういうことなら」


俺は事務所兼自宅のアパートの部屋を教えた。


「じゃあ、日曜日に伺いますね。」

「はい!お待ちしています。」


俺はもう完全に油断しきった顔をしていた。

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