第2話 夕方の西口
午後、ちょっとした仕事を済ませた後で、俺は軽バンの運転席で、スマホのメモを見ながらため息をついた。
――東條あかり
――三ヶ月前から消息不明
――エホバの証人
――最後に目撃された場所:地元の王国会館(集会所)
東條さんとの出会いを思い出す。
喫煙所の風が冷たかったあの日。
写真を渡した後、東條さんは最後にこう付け加えた。
「あいつは……この街のエホバの証人の集会所に通ってたんだ。
駅からバスで十五分くらいの、住宅街の中にある小さな建物だ。
看板も派手じゃねえが、『エホバの証人の王国会館』って書いてある。
まずはそこから当たってくれ。
俺はもう顔を知られてるから近づけねえ」
それだけ言って、東條さんは連絡先として名刺をピッと差し出して、背を向けた。
東條開発 社長 って書いてある。
あの人、社長だったのか!
だが、スーツの背中が、妙に小さく見えた。
――で、どうすりゃいいんだ?
俺はエンジンをかけながら考える。
エホバの証人の集会所って、普通の人がそう簡単に入れんのか?
興味本位で行っても「聖書の勉強しませんか?」って優しく追い返されるだけなんじゃねえか?
しかも俺みたいな三十路の冴えない男が急に現れたら、絶対警戒される。
潜入するには、ちゃんとした“理由”が必要だ。
俺は一旦家に戻り、パソコンを開いた。
検索ワード:「エホバの証人 集会 参加方法」
出てくるのは公式サイトと、元信者たちの体験談ばかり。
- 誰でも歓迎します
- 服装は清潔であればOK
- 初めての方は入口で「初めてです」と言うだけで大丈夫
- 無理に勧誘はしません(← これが一番嘘っぽい)
……いや、意外とハードル低いやん。
でも、俺はただの“通りがかった興味がある人”じゃだめだ。
東條あかりを探してるってバレたら終わりだ。
もっと自然な理由が欲しい。
そこで俺は、あることに気づいた。
俺は駅前を車で通るたびに、必ず見ていた光景があった。
――駅の西口、夕方になると必ず立ってる二人組。
スーツを着たおじさんとおばさん、または若い姉弟みたいな組み合わせ。
手にパンフレットを持って、通りすがりの人に声をかけている。
「あの人たちは、エホバの証人だ」
昔、誰かに聞いたことがある。
あの丁寧すぎる笑顔と、絶対に押しつけがましくならない距離感。
あれがエホバの証人の伝道スタイルだと。
もしかしたら、あの人たちに声をかければ、
集会所に連れて行ってくれるんじゃないか?
とりあえずそっからやってみよう。
俺は時計を見た。
17:42
なんとなく今までの感覚から言って今から駅前に行けば、たぶんいる。
俺はジャンパーのポケットに写真を忍ばせ、
軽バンを西口のコインパーキングに滑り込ませた。
案の定、いた。
四十代 くらいのスーツの男性と、二十代後半くらいの優しそうな女性。
二人で小さなスタンドにパンフレットを置いて、静かに立っている。
俺は深呼吸して、近づいた。
「あの……すみません」
女性の方が、満面の笑みで振り向いた。
「はい、こんにちは!」
俺は胸を打たれた。
ズキューンと音が聞こえた気がする……。
白いブラウスに紺のロングスカート、薄いグレーのカーディガン。
シンプルすぎて、逆に目を引く。
笑顔を浮かべてはいるけど、どこか儚げで、今にも風に溶けて消えてなくなりそうだった。
かわいい……。
俺は完全に固まっていた。
「……こんにちは?」
小首を傾げて、彼女が声をかけてきた。
声まで優しい。
「あっ、いや……えっと、いつも見かけてたんですけど、この展示?って何なんですか?」
なんとか言葉を絞り出す。
仕事だ、仕事だ、仕事だ……。
「あ、これは聖書に基づいた雑誌なんですよ〜」
彼女はパッと顔を明るくして、
「あっ、聖書って聞くと怪しい宗教みたいに感じると思いますけど、違うんです!
すごく私たちの生活に役立つことがたくさん載ってて……
例えばこの『めざめて!』とか」
指差す先には、表紙に「物価高にどう対処するか?」って書いてある雑誌があった。
「へ〜……じゃあ、一冊もらって帰ろうかな」
ご自由にお持ちください、と書いてある。
「ぜひどうぞ! 今、ほんとに何でも高くなっちゃってますよね〜」
口調は熱心なのに、どこか力が抜けてる。
押しつけがましくなくて、でもちゃんと伝わってくる。
不思議な人だ。
俺は雑誌を手に取りながら、
今回はこれくらいでいいと、考えた。
これ以上話したら、絶対変なやつだと思われる。
彼女はにこっと笑って、
「私は佐伯ミカって言います。またぜひ来てくださいね」
絶対来ます。
俺は心の中で即答していた。
無言で固まっている俺を見て、彼女が小さく笑った。
「いつも夕方のこの時間にはここでやってますので〜」
「……はい!」
俺は思わず声が裏返った。
慌てて頭を下げてその場を離れた。
俺は軽バンに戻って運転席で深呼吸した。
助手席に置いた『めざめて!』を手に取る。
胸の奥が、ズキズキと痛いくらいに熱かった。
さっきの彼女の声が、まだ耳に残ってる。
「私は佐伯ミカって言います。また来てくださいね」
最後にそう言って、小さく手を振っていた。
――佐藤健太、31歳。
便利屋稼業で女の子にドキドキしたことなんて、ここ何年もなかったのに。
……絶対また来る。
仕事だから、じゃなくて。
俺はエンジンをかけた。
夕方の西口が、少しだけ優しく見えた。
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