第2話 推しの妻が…

「…翠?」


間違いない。遠目で顔はよく見えないけど、あれはずっと画面の向こう側にいた、私の推し…翠だ。隣にいるのは、多分妻だろう。


そっか、ここは古くて若者少ないし、有名なキャンプ場でもないから…ファンが少ないと思ったんだろう。


じゃあ…話しかけないほうがいい?


話しかけたい、もちろん。けど、そんな勇気出ないや。じーっと眺めていると、二人は受付の中へ入って行ってしまった。


「…今日は一人の時間!とりあえず漫画読もう」


私は、木々の音をを耳に漫画を読み始める。幼馴染の、儚いラブコメ漫画。驚愕のラストで涙は確実だと聞いたことのある漫画で、ずっと気になっていた。

…けど、内容は何一つ入ってこなかった。


「…焚き火でもやろうかな。薪貰いに行こ」


漫画を開いたまま椅子に置き、私は薪を貰いに行った。受付から距離があって移動が大変だけど…自然に囲まれてるから、嫌とは思わない。


移動ついでに、横目で彼を探してみる。私のテントと…近い。え、近い!後ろにいるじゃん!

私は興奮を抑えきれず、スキップしながら受付へ向かう。…そういえば、彼の妻見当たらないな。


「薪貰いま…す」


――――――――――――――――――――


パチパチと音を立てて燃え上がる焚き火は、いつまでも見つめられるような気がした。

翠の近くには…行く勇気が出ない。ていうか、顔がよく分からないからあの二人に近付くことすら出来ていない。


私はテントに置いていた漫画を手に取り、続きから読み始める。が__


「…どうしてこうなった?確かこいつが呼び出されて…いや、呼び出したんだっけ?」


内容が全く分からない。読み直すか…?


「あ、あの!」


漫画を眺めていた目が無意識に大きく開く。聞き覚えのある声に、私の心臓はドッドッドッと大きく、速くなる。

この声は確実に…そう、翠だ。


「晴海…晴海を見ませんでしたか?あ、茶色い髪の…えっと…」


彼は焦り口調で、舌があまり回っていない。見たこともない、絶望しているような顔つきでこちらを見つめてくる。

何か、ドラマを見ている気分。だけど、これは演技じゃない。翠のことは、ずっと見てきたから分かる。

…それより、晴海ってあの女のことだよね。


「編み込みしてる、ボブの方ですよね?」


「そ、そうです!見かけましたか?」


「いえ…お二人でいた時にしか見かけてません」


もしかして、どこかいなくなっちゃったのかな。道にでも迷った?けど、道に迷いそうな場所は大体立ち入り禁止になってたし…


「どうしよう…十分前くらいに薪を取りに行ったんですが、戻ってこなくて」


推しが…翠が困っている。二人きりになれないかな…なんて、思ってはいけない。

ファンならば、助けてあげないと__


「よければ一緒に探しますよ、暇なので!」


ほんとは一人でのんびりするために来たけど、仕方ないこと。

これは推し…じゃなくて人助け。人助けしてるだけだから。


私は妻がいる有名人を狙うほど最低な女じゃない。


――――――――――――――――――――


「晴海さーん!どこですかー!」


「晴美!晴美ー!」


キャンプ場を歩き回りながら、大きく声をあげる。だが、返事はない。

有り難いことに人がいないから、安易に大きい声を出すことができるのはいいけど…


「あっちにも行きましょうか。急な斜面が多いので気を付けて下さい」


「は、はい」


私達は少し歩いたところにある、斜面が多いハイキングコースへ向かった。今はハイキング目当ての人、いないけど。


「この辺です…ねっ!?」


ズルっと地面に滑り、後ろに向かって倒れそうになった、そのとき。

大きくて硬い、でも柔らかい何かの上に、私の背が乗っかった。


「大丈夫ですか?滑りやすいですね」


それは翠の腕だった。細いけど、筋肉がついているのが背中越しでも分かる。


「あ、ありがとうございます…すみません」


彼は“大丈夫ですよ”と言わんばかりに首を振って微笑むも、すぐに真剣な表情に戻る。


「晴美さ…ん?」


声を上げようとしたとき、肩に何かが落ちる。気になって肩に目をやると、服が湿っていた。


「どうかしましたか?」


「いえ…もしかして、今から雨降ります?」


そう問いかけた瞬間、明らかに水滴が肩に落ちてきた。が、それも束の間。段々と雨が強まっていくのが分かる。


「雨…降ってますね」


「雨の中ここにいると、私達まで帰れなくなるかもしれません…けど…」


チラリと彼に目をやる。彼は真顔で、真剣な眼差しをしていた。けど、どこか不安げで、絶望に満ちた表情をしている。


「そう…ですよね」


小さく呟くと、翠はスマホを取り出した。

ここからでも分かるくらい、その手は震えていて。


「け、警察とかって呼んだほうがいいんですかね」


「警察…ですか」


確かにこんな雨の中、男女二人だけで人探しをするとなると…かなり危険な気がする。

ここは警察とかに任せるのが一番だろう。


「…そうですね、とりあえず受付の方へ戻りましょうか。私、電話しますよ」


翠がこの状態じゃ、まともに電話できないだろうし。

私はスマホを取り出して、寒さに震える手で電話をかける。すると、彼は歩き出した。


「僕は、もう少し探します」


「…はい?」

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