第3話 フォグブルーが溢れて


 その日の高山は大分疲れていた。

 担当しているクラスの小テストが思いのほか点数が悪い上に、授業の進行も遅れている。

 理由は明白、自分の容姿のせいだ。

 どうにか授業に集中してもらうため、声色や表情を変えたり、興味の出そうな話題を出してもどうにも集中している場所が違うのだ。


 (点数が悪い子たちには補修を……いやそもそも補修ありきの授業なんて)


 頭を悩ませながら高山が社会科準備室に入ると、そこにはいつものように夏芽がいた。

 机に向かって一心不乱に線を引き、絵というものに向き合っている。

 授業中も、まっすぐな瞳でこちらの授業を聞いてくれている。

 

 (鈴山みたいにみんな集中してくれたらな)


 そんなことを思いながら高山は椅子に座り、水筒に入れていたコーヒーを煽る。

 準備室の中にコーヒーの匂いが充満し、夏芽はようやく高山が準備室に来たことに気付く。


「あ、先生……」


「すごい集中力だな」


「あ、ありがとうございます……」


 高山はなんとなく浮かんだ一つの提案を夏芽にする。


「なあ、僕を描いてみてくれないか?」


「先生を、ですか?」


「今僕がしてる顔を描いてみてほしい」


「いい、ですけど……下手でも笑わないでくださいね」


 そんなことするわけない、と思いながら高山を机に肘をつき、魂が抜けたような顔をする。

 夏芽はそんな気の抜けた表情を笑うこともなく、真剣に高山を観察し、デッサンに落とし込んでいく。

 高山は真剣な夏芽の表情をみて、どこか心地よく感じる。

 散々盗撮や覗き見をされてきた人生だった、その度に他人の視線を鬱陶しく感じることもあった。

 夏芽の視線は一切の不純物を含まない観察者の目だった。


「でき、ました」


 夏芽のまっすぐな視線がすぐに伏せられ、自信なさげにスケッチを差し出す。

 高山は夏芽の絵を見る。

 そこには疲れ切った自分の姿があった。

 教室の外では見せない、高山本来の姿だった。


「あははは、僕ってこんな顔をしてんだ」


「へ、下手なのは分かってます……」


「違う違う、よく描けすぎてて感心してるんだ、あはは」


「先生……」


「はぁ……もう辞め時なのかな」


 高山は髪をかきあげながら自嘲気味に笑う。

 

「鈴山はさ、僕に授業を受けてどう思う?」


「え、っと」


「率直に話してくれていいよ」


「……すごく、分かりやすいです……暗記はあんまり得意じゃなかったんですけど、先生のおかげで社会が好きになりました、もっと早く先生の授業受けたかったです」


 夏芽に言葉に高山は驚きで目を見開く。

 

「……本当に?」


「ほん、とうです……あの、先生辞めるって」


 夏芽の言葉に高山は困ったように笑う。


「教師向いてないなって、思ったんだ」


 高山は思わず心中を吐露してしまう。


「みんな、僕の授業より顔が好きなんだよ」


 そんなことはない、とは夏芽には言えなかった。

 現に、高山の授業の時は、女子のテンションが異様に高い。

 それだけ高山の容姿が優れている証なのだろう。

 それが、高山を傷つけることだということを理解してほしくはある。


「勉強が楽しくて教師になったのに、今では勉強の楽しさを教えることより授業の進捗ばかり気にしてしまう自分が嫌でさ……だから、やめようかなって」


「あの」


「ん?どうした?」

 

「俺の、勝手な考えなんですけど……見た目が良くても、性格が悪かったら誰も先生に興味を持たないと思います……先生が慕われてるのは、先生が優しい人だって、皆思ってる証拠なんじゃないでしょうか」


「そんなこと……」


「……俺は、友達いなくて、根暗で卑屈だけど、先生は気にせずこの準備室で話しかけてくれるじゃないですか、絵だって褒めてくれるし」


「鈴山……」


「先生は、俺が出会った先生の中で一番優しい先生です」


 夏芽は顔を上げて高山の目をまっすぐに見る。

 しかし、すぐに視線を逸らし慌てて言葉を紡ぐ。


「す、すみません、俺なんかが知ったような口を聞いて」

 

 夏芽が言葉を切ったタイミングで予鈴が鳴る。


「あ、次移動教室だった……!」

 

 夏芽は慌ててスケッチブックを片付けると、転けそうになりながら準備室を出て行った。

 高山はその姿を見つめるだけだった。

 ふと我に帰り、熱くなった顔を抑える。


 (なんで僕は赤くなってるんだ)


『先生のおかげで社会が好きになりました』

『先生の中で一番優しい先生です』


 夏芽の言葉を頭の中で反芻する。

 教師冥利に尽きる、とはこのことなのだろう。

 先ほどまで頭の中にあった辞めるという選択肢が少しずつ消えていく。

 

(僕は存外、ちょろい人間なのかな)

 

 もう少しだけ、教師を続けてみよう。

 高山は、緑が濃くなる木々を窓越しに見ながら笑みを浮かべた。

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