第2話 ライラックを滲ませて
夏芽には夢がある。絵を描いて生きていくこと。
それは画家として大成したいとか、評価されたいというわけではない。
人見知りな自分が他者に絵を見せるなど、羞恥できっと死んでしまうだろう。
だから、息を吸うように絵を描いていたいだけなのだ。
しかし、生きていくには何かにつけてお金がいる。
絵で食べていく才能はない、と夏芽は自覚している。
だからこそ、今後の人生をどうやって生きていくか悩んでいた。
進路希望調査には適当に地元の大学を書いている。
しかし、勉強が好きでもなく、ましてや運動などはもってのほか。
そんな自分が社会の役に立てるか自信がなかった。
いつものよう準備室で絵を描く。
(今日は、調子悪いな……)
将来の不安が線に出ているのか、絵は満足のいくものではなかった。
――――――――
一学期が始まって一ヶ月がたった。
いつものように夏芽と高山は準備室で昼休みを過ごしていた。
最近絵の調子が悪い夏芽は、基礎に戻ってデッサンを中心に絵を描いていた。
モチーフを探すために、準備室を見回す。
ぼんやりと窓の外を眺める高山が目に入る。
いつものような愛想笑いを振り撒く様子はなく、持参したコーヒーを飲みながらぼんやりとしていた。
(先生、描いてみようかな)
鉛筆を握り、チラチラと先生を観察しながら線を引いていく。
教室で笑顔を振り撒く高山ではなく、準備室でのみ見せる浮かない顔の高山。
高山でなければ、疲れ切った人の絵になってしまうだろう。けれど疲れですら絵の題材になるほど高山は美しかった。
(女子が騒ぐのわかるな)
そんなことを思いながらひたすらに模写をしていく。
高山は夏芽の視線を感じ取っていた。
不躾に感じるその視線に、やや不機嫌になる。
(この子までジロジロと見るのか)
そう思い、視線を夏芽に向けると、うっかり目を合わせてしまう。
夏芽は顔を青くしながら慌てて鉛筆を置く。
「何書いてたの?」
「え、いや、あの、えっと」
言い淀む夏芽に訝しみながら近寄り、スケッチブックを見る。
そこには浮かない顔をした自分の姿が描かれていた。
「か、勝手に描いて、すみません……」
どもりながら謝る夏芽を他所に、高山は声をあげて笑い出す。
絵に描かれていた自分は、女子生徒が見たら幻滅するようなひどい顔をしていたからだ。
「僕はこんな顔をしていたのかい?」
「……準備室にいる時は、ずっとこの顔ですよ」
「そうなんだ、あはは」
目を擦りながら笑う高山を夏芽は驚いた顔で見つめる。
「高山先生が笑ったところ、初めて見ました」
「何言って」
高山はふと、教室で笑顔を浮かべていたのは全て作り笑いだったことを思い出す。
この高校に赴任して声を上げて笑ったのは今日が初めてだったかもしれない。
「いや、そうかも。ありがとう鈴山、絵すごく上手だね」
その言葉に夏芽は赤面する。
家族以外に絵を見せたのはこれは初めてだったからである。
「あ、ありがと……ございます」
夏芽は羞恥で死にそうになりながら、準備室で昼休みを過ごした。
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