君への純愛を、追憶の中で

月見里故

君への純愛を、追憶の中で

 水道から出た水を、空気を含ませるために低い位置でケトルにそそぐ。水道水で十分に満たされたケトルをガスコンロの上にのせ、火にかける。


 お湯というのは、ぼこぼこと泡が出始めた段階での温度はおよそ九十~九十五度、更に三十秒から一分火にかける。そうする事によってお湯の温度は九十八度になる。


 熱湯をガラス製のポットにそそぎ、中で踊らせてからカップに移してポットとカップを温める。



 二人分の茶葉とお湯を温めたポットに入れて蓋をする。約三分、ガラス製のポットの中で茶葉が踊る姿を楽しむ。


 この時間が好きだ。じっくりとポットを見つめ、茶葉がジャンピングを起こす姿を眺める。それはまるでスノードームのようだ。……いや、色からしてこれは楓か紅葉。「メイプルドーム」と言ったところかな?



 カップにあるお湯を捨て、茶こしを使って紅茶を注ぐ。

 紅茶の色を見せたいからカップは底が白い物を選ぶ。そして多人数分をそそぐ時は少しずつ均等に入れて、最初の人と最後の人の味が均等になるように注意。



 これまでの紅茶の話はすべて大切な人からの受け売り。



「お待せしました。当店のダージリンセカンドフラッシュ・オリジナルブレンドになります。君は果実系の香りが好きだからサングマをベースに、ずっしりとした味わいのリシーハットとグームティーを混ぜてみました。じゃあ、一緒に頂こうか」



 このブレンドも君からの受け売り。花の香りと柑橘系の香りの二分化、味の軽やかさ、摘まれた年によっても味や香りが変わる事。君や仕入れ先の人に教わり、少しずつ詳しくなっていった。


 季節は夏。八月中旬の「お盆休み」と言われる連休。誰もいない店内でエアコンの設定温度を少し低めに設定して、紅茶を飲む。


 自分のお店、窓際のテーブル。外に目をやると精霊馬が飾ってあり、迎え火が登っている。



(そういや、まだ迎え火を跨いでいなかったっけ)



 この紅茶を飲んだら、迎え火を跨ごうと思い、右手にティーカップ、左手にソーサーを手に取り、紅茶を口にする。



「あっ……」



 口を含んだ瞬間、目を見開いた。



『おいしい?』


「美味しい……」



 鼻から嗅ぐ香りと、口に含んで鼻から抜ける香りには差があり、しかしそのどちらも柑橘系の爽やかな香りがした。

 初めてのブレンドなはずなのに、どこか懐かしく、そして儚い香りを感じた。



「さて、と」



 席を立ち、二人分のティーセットをシンクに置く。一つ空になったが、もう一つは何も減っていない。

 その二つのカップに水を張る。洗うのは後回しにする事にして、玄関から外に出る。



(玄関側から外に向かって……)



 いちっ、にっ、さんっ、と心の中で数えながら送り火を跨ぐ。

 燃える物が無くなった火はやがて消えた。万が一にも再燃しないよう、水をかけて鎮火。


 太陽が西に傾いて、街の景色は先ほどの紅茶のような色をする。



「綺麗……」


『きれい、だね』



 君の好きな街を、夕日を見る。

 たぶん涙が出ていたと思う。それほどまでに綺麗で、暖かい。


 太陽を見ているただけだったのに、いつの間にか行く当ても無く、目的も無く、思うまま、流れに身を任せて、ただただ歩いていた。

 八月中旬、夕方とは言えまだ気温は高かったが、汗を拭うのも忘れ、店の鍵をかけたかも確認せず、ただ一秒でも長く夕日が見たくて、いつの間にか近くの山を登っていた。



 登っている最中に夕日は沈み始めてくる。



「はぁ、はぁ……」



 息を切らしてたどり着いたのは、当時通っていた高校の裏山。

 すっかり太陽は沈んでしまっていて、心地よい夜風が頬をなでる。


 けして高い山ではないが、歩いていると、次第に山頂にまでたどり着いていた。景色は良く、空気もおいしい。そこからは夜の街が見えて、家の灯りが、車のライトが、街灯が、信号が光っていて、一つの絵を描いていた。



『ここ、ひさしぶりだね。何も変わらない……』


「何も変わらないこの街と、そして、君に救われているよ……」



 足下にあった大きめの石に腰をかけて空を見る。太陽が沈み、空の主がいなくなった事を喜ぶかのように星達が少しずつ顔を出していた。


 どれくらいの時間だっただろうか。空はすっかり満天の星空になっており、心地の良い風が吹いていた。



(あっ……)



 流れ星が一つ、また一つ。北東の空を中心に、四方八方へと光が走っていく。それはまるで星の鼓動のようで、夜空が流した涙のように思えた。



「そういえば今日だっけ」


『ペルセウス座流星群……』



 一筋の光が、デネブを追い越し、白鳥くちばしに消えていった。その左右にはアルタイルとベガが輝いていて、綺麗な三角形を描いている。



「ロマンティックスでリアリスティックス」 

『アルタイルの星言葉?』


「君は、どちらかというとリアリスティックスかな」

『君は間違いなくロマンティックスだね』


 

 星空を堪能したところで腰を上げる。

 スマホも持っておらず、時計もしていなかったせいで今が何時なのかも分からない。



「でもまぁ、明日も休みだし」



 足下に注意してゆっくりと下山する。学生時代はあまり登った記憶がなかったけれど、山頂は思ったより良いところだった。街灯がないから、街の光と星がよく見える素敵な場所だった。



(ふぅ……)



 あと一息、最後に少し坂を下りたら学校の門といったところにベンチがあったので、腰を下ろす。



「ちょっと、疲れたなぁ」



 また空を見上げる。頂上で見た時ほどの星がなくて、代わりに木が多く植えられていた。



(白い花、こんなのあったっけ?)



 見ことのない木と花だった。



「これは、だいだい?」



 花は木に残ったのが半分、残りの半分は地面に散らばっていた。足下に落ちている花を拾い上げ、指先でクルクル回す。



「橙にしては遅すぎるかな。あの花は春が終わる頃だしなぁ。香りも若干違う気がする……」



 首をかしげながら白い五弁の花の匂いを嗅いだりするが、その日のうちに答えには辿り着かなかった。


 家に帰ると、まさかというか、やはりというか鍵が開いてた。恐る恐る中に入ったが、特に誰かが入ってきた形跡も無く、出てきた時のままになっていた。平和な日本で良かったと思う。



『急に飛び出してきたもんね』

「洗い物だけしておこうかな」



 シンクに置いてある二人分のティーカップを洗って水切りラックに収める。



「つかれた……」

『お疲れ様』



 家事をすべて終わらせてお布団に潜る。日課のスマホ日記アプリを開いて今日の出来事を残した。




     ◇◆◇




 八月十三日


 今日から三日間は例年通り盆休み。

 一日目の今日は昼まで寝てしまった。お昼からはお風呂を洗ったり、キッチン周りを掃除したりしてキュウリや茄子で馬を作ったよ。これで君が帰ってきてくれたらいいな。


 それから夕方には迎え火をした。初盆だし、最初くらいはやろうと思ってね。コレが三日坊主、三年坊主かな? に、ならないといいけれど……。


 新しいブレンドをした。香りと味を重くするようなイメージだったけど、凄く懐かしさを感じた。いつか君が淹れてくれた紅茶だったのかな?とりあえず、レシピは残しておいた。


 また、君の紅茶が飲みたいな。

 夜には高校の裏山でペルセウス流星群を見たよ。とても綺麗で時間を忘れてしまってたね。

 下山した時、橙っぽい花を見た。でも橙はもっと早い時期だし、あの花はなんだろう? 冬になったら実が出来るのかな?


 明日は頑張って午前中には起きるよ。寝坊はしない、多分しないと思う。しないんじゃ無いかな? ま、してもお店は休みだし、覚悟はしておこう。


 明日の目標はお店と自室の掃除を頑張る。




     ◇◆◇




(よし。おやすみ……)



 目を閉じるとすぐに眠気が来た。流石に今日は色んな事があったし、時間も遅くまで活動していたから疲れていたらしい。その睡魔に身を任せるように眠りについた。



 翌日、午前十一時。


「午前中には起きたから」


 誰に言い訳をしたのだろう。ベッドから降りて、寝室になっている二階の部屋を出て階段を降りる。一階はお店になっていて、そのお店のマスターをやっている。



『あ、おはよう』

「おはようございます。今日も一日、よろしくお願いいたします」



 と言っても休みなんだけれど。など思いながら、昨日洗ったティーセットを棚に戻す。

 洗面台に行き、顔を洗い、歯を磨いて、くしゃくしゃになった髪の毛を戻す。



「よし、じゃあ掃除からやりますか」

『張り切っていこう!』



 お皿やグラスのある棚は日常的にやっているので、他の細かい所だけをやっていこう。


 掃除用具用のロッカーから羽はたきを出してホコリを落としていく。棚のホコリ取ったら拭き掃除。キッチンにシンク、オーブンもくまなく掃除をしていく。

 厨房が終わると客席のテーブルをアルコールで消毒。そして床をモップがけ。



『おぉ~、綺麗になったねー』

「疲れた……。今何時?」



 時計を見ると短い針が『4』を指していた。日はまだ高い。



「ちょっと疲れたね。休憩~」

『さんせー!』



 綺麗にしたお客様用の食器を使いたくなかったので、普段使いのグラスに牛乳と生クリームを少量入れて、電子レンジで温めためる。


 熱くなった牛乳にココアの粉を入れて溶かす。すべて溶かしきったら、冷たい牛乳と生クリーム、氷を入れてアイスココアを作る。

 できたてのアイスココアを持って窓際の客席に腰を下ろした。



「特に連絡なし。さて……、今日はあと何をすれば良いんだろう。寝室の掃除でもしようかな」



 この家は一階に喫茶店とキッチンと浴室。二階にリビングと物置、あと広めの寝室がある。賃貸物件で、彼女とのお店。



『このお店もだいぶこの街に馴染んで、みんなに助けられてきたね』



 なんとか、ではあるが家賃を払って利益が出ている。最初は色々考えた、お店をやめて生きていく事も考えた。それでもやっぱり君との居場所が欲しくて、ずっとここに留まった。

 寝室は特に何かするわけでも無く、いつも通り掃除機で掃除をするくらいだった。



「ふぅ……」



 浴室で髪の毛に付いたホコリをおとし、身体を洗い、湯船に浸かる。

 掃除だけとはいえ少し疲れていたようだ。疲れたお湯が身体に染みる。



(そろそろ九月かぁ。明日は新メニューでも考えようかな)



 湯船に浸かりながら目を閉じる。ゆっくりと明日の事を考え、一日が終わっていく。

 お店のメニューは奇数月を初めてとして二ヶ月ごとに季節のメニューを変えている。その為、偶数月の中旬は大忙しなのだ……。



 寝室で日記アプリを開き、今日もまた日課を済ませ、眠りにつく。




     ◇◆◇




 八月十四日



 今日は昼前に起きてお店と部屋の掃除。午前中に起きてえらい。

 特に書く事は無いが、休みもあと二日。明日は季節限定メニューのポップを書こう。


 去年のこの時期はマスカットのタルトを作っていたっけ。あれも美味しかったね。

 お盆が過ぎるとダージリンもセカンドフラッシュが次々と入荷して、爽やかな物が増えていく。今年はどんな出来の物が入ってくるんだろう。


 秋にはまだ早いから、新メニューはまだ夏っぽいものが良いかな?


 どんなものを出せばお客様が喜んでくれるだろうか。


 どんなものを出せば君は笑ってくれるだろうか。


 君が淹れる紅茶には何が合うのだろうか。




     ◇◆◇




 アラームをかけないと起きない事に自覚はあったが、起きたらまさかのお昼を過ぎ、おやつの時間になっているとは思わなかった……。



「おはよう……」

『おはよう、ねぼすけさん』

 


 ベッドから下りて、顔を洗い、当初の予定通りA型看板にチョークで絵を描いていく。 次の季節限定は桃のパフェとショートケーキ、マンゴーのパフェとタルトにしようと思う。ポップには桃のショートケーキとマンゴーのパフェの絵を描いていく。



「こんな感じかなー」

『おいしそう』



 ポップを書き終えるとすっかり日が落ちそうになっていた。

 試作用の材料がないので、急いで買い物に出かける。



(結構買っちゃったな)



 両手いっぱいの袋。近くのスーパーとは言え、これほど多いと少し疲れる。

 今日は試作やめようかな……。果物を冷やして翌日の自分に任せようか。



(今日はポップも描いたし、良しとしよう)




     ◇◆◇




 八月十五日



 今日は起きたら十五時。思っていたより寝てしまったため、ポップを描いて、買い出しをしただけだった。君は怒るだろうか、いや、もしかしたら呆れているかな?

 今年の九月からは桃とマンゴーを使うことにした。


 桃のパフェとショートケーキ、マンゴーのパフェとタルト。ショートケーキもパフェも生クリームがメインだから、タルトはカスタードクリームを使おうかな。マンゴーは味が濃いから負けないくらいの味付けにして……。


 紅茶も頑張らないと……。最初から紅茶は君に任せきりだったね。君がいつも淹れてくれていたあのお茶。先々日淹れたブレンドに似ていたけれど、あの味や香りには遠く及ばなかった。


 君は、何をブレンドしていたのか教えて欲しい。君の味がどこに居るのか、ずっと探しているよ。


 明日は送り火で、お盆休み最終日。

 お店の掃除は終わっているし、試作だけしてゆっくりしよう。しっかり送り届けないと、怒られてしまうからね。




     ◇◆◇




 今日はスマートフォンのアラームで目が覚める。



「おはよう」

『おはよ……』



 時間は午前十時。


 キッチンに立ってタルト生地を焼く。材料を混ぜ合わせてラップで包み、冷蔵庫で寝かせる。一時間ほど待って冷蔵庫から取り出した生地を均等に麺棒で伸ばし、タルト型に敷き詰めて、フォークでピケをし、温めたオーブンで生地を焼く。



(うん、良い香り)



 タルトが焼き上がる。この後クリームやフルーツを乗せると水分がタルトに移り、しなしなになるので、卵黄を溶いたものをタルトに塗って、オーブンでもう五分程追加で焼いてコーティングをする。


 マンゴーのタルトはホイップを入れたものとカスタードクリームのものを用意して。ゼラチンを砂糖水で溶いた物を塗りつける。



(こんなものか……な?)



 冷蔵庫で冷やしている間に洗い物をする。



『まっだかなー、まっだかなー?』



 洗い物がすべて終わり、続けて晩ご飯の支度を始める。

 次第に、日が暮れてきた。



「さて……」

『そろそろ、だね……』



 玄関に出て送り火の準備をする。

 帰りは茄子の精霊馬に乗って帰る。数々のお土産を乗せ、ゆっくり帰るために。



(タルトを乗せるには、小さいかな。)



 精霊馬を見ながら変な事を考えて笑ってしまう。


 茄子の精霊馬を撫でて、おがらに火を付ける。


 満足してくれていたかな、ちゃんと見守ってくれていたかな、怒ってないかな、笑ってくれていたかな。


 色んな想いが頭の中を駆け巡る。


 みるみるうちに煙は上がっていき、天に昇る。外にキャンプ用の椅子を出し、煙を見上げ、一人思いはせる。




『また、またね』




 夕食とお風呂を済ませた後、紅茶を淹れる。今日は去年に収穫されたウバ茶。ミルクティーにも合うが、今日は抽出時間を短めにしてストレート。


 試作の時は季節のスイーツと一緒に紅茶をいただく。お客様に提供する時と同じ状態でテイスティングと試食を行う。


 今日はタルト生地の味の濃さと、ホイップかカスタードの選択しなければならない。


 ホイップのと、カスタードのタルトをカットした。同時に紅茶をカップに注ぐ。パイプ椅子をキッチンに持って来て腰を下ろす。



「いただきます」



 まずは紅茶に手を付け、身体を温める。タルトに手を伸ばし、ゆっくりと味わって、再び紅茶を口に含む。



「うーん。……うん」



 このあと、二時間ほど頭を抱えてレシピを見直したのは別のお話……。





 季節は流れ、朝晩は寒くなる季節。九月から始めたマンゴーと桃のフェアは成功で終わり、次の栗と林檎りんごのフェアも一ヶ月が過ぎた頃。


 十二月初旬。またあの山に来ていた。今度はしっかりと戸締まりをして、閉店作業も終わらせ、防寒着を着て山のふもとに立っていた。



「寒い……」



 十二月の夜ともなればとても冷え込む。雪こそ降ってはいないが、山の麓で吐く息は白く、頬は冷たくなっていた。


 吐息で手を温め、足下を注意しながら山を登る。一歩、また一歩と頂上に向けて。


 ようやく頂上に立つ。ずっと腰を丸くして下を向いていたからか、少し背中と首が痛い……。一息ついて空を見上げる。



「きれい……」



 そこには、あの夏の日に見たものとは違う表情の星達が輝いていた。西の方にはアンドロメダ座からペガスス座に向けて、アルフェラッツ・シェアト・アルゲニブ・マルカブからなる秋の大四辺形。東の空にはベテルギウス・シリウス・プロキオンからなる有名な冬大三角が見え始めていた。



(来て良かった)



 夏の星空を思いだして衝動的に山を登ってきたが、本当に来て良かった思う。大好きな君の事を考え、君を想い、こうして二人の時間を作る事が出来たのだから。


 彼女は星を見るのが好きだった。


 紅茶を淹れるのが得意だった。


 ずっとそばで笑ってくれていた。


 そんな、そんな貴方が……大好きでした。



 泣いていたのだろう。風が吹く度、濡れている頬がより冷たく感じる。



 満点の星、寒空の下でどれくらいの時間が経っただろう。

 身体が冷え込み、動き辛くなくなる前に再び歩き出す。帰りは上を向いて、木々の間だから覗く星空を眺めながら。


 君が残した紅茶と道具。淹れ方もわからず、記憶の中の味覚を頼りに再現して提供している。



(大変だったんだよ……。最初はお客様にも「味が違う」って怒られたんだよ)



 それでも成長を見守りながら来てくれる常連さんに助けられている毎日だ。



(ホントは、君とだから始めた喫茶店だから、あの時閉めるつもりでいたのにね)



 君なら続けても、辞めてしまっても怒らないって分かってる。新しいパートナーとやっていても見守ってくれそうなほど、君は優しすぎるから。


 そんな君のオリジナルブレンド、あれだけはどうしても再現出来なくて、メニューから消してしまった。


 レシピくらい残してくれても良かったのに、君は「茶葉の声を聞いて」って言うんだろうなぁ。あの柑橘系の香りが、あの味が忘れられない。特別な事はしてなかったように見えてたのに……。



(優しいのに、意地悪……)



 山ももう少しで下りきるといったところ。夏のあの日に見た白い花の木には緑色の果実が生っていた。



「え……。これ、橙じゃない?」



 橙はオレンジ色で十一月にはもう収穫が始まっているため、十二月の今であればもっと大きくなっていたり、足下にも転がっていて良いはず。だけど、ここの実はまだ緑色で、足下に転がっている形跡もない。



(じゃああの時の花は、この果実は……?)



 スマートフォンで果実を照らそうと掲げた瞬間、大きく風が吹いた。



(さむ……、いたっ!)



 丁度果実が振り落とされて顔面に直撃した。鼻が赤くなってはいるだろうが、今は許そう。むしろ感謝……。


 足下に転がった果実を手に取り、持ち帰る。



 店に帰り、手洗いうがいをすませる。果実を洗って半分に割ると、柑橘系の爽やかな香りと、甘いフローラルな香りがする。凄く懐かしい香り。



 (この香り……)




     ◇◆◇




『これはね、私の好きな紅茶。アールグレイって言って、ベルガモットで香り付けされてるフレーバードティーの総称なんだけど』



 君は嬉しそうにお湯を注ぐ。



「その場合はどの茶葉でもいいの?」

『そうだね。市販のアールグレイだとキームンが使われる事が多いかな?あ、たまにダージリンでも見るかも』



 そういってポットをテーブルに出す。それと同時に四等分に切った果実を一つ。



『これがベルガモット。匂いと味を確かめても良いよ』

「柑橘系だけど、少し甘い香りがする……。いただきます」



 鼻に当て、香りを楽しんでから口に含む。



「っ!?」

『ふふ、苦いでしょ』



 パチパチと目を丸くしていると、君はクスクスと手を口元に笑った。



「はい、お口直し。お待たせいたしました」



 ポットからカップに注いで、桜の造花を添えて出してくれる。



「香りと裏腹に、とても苦いね……」



 出された紅茶を頂く。



「お客様用の桜の造花なんて良かったのに」



 ティーソーサーに載せられた造花を手でくるくると回す。



『これはね、絶対一緒に出さないとダメなの。この桜には私の思いが込められているから……』




     ◇◆◇




 君が淹れていたのは「アールグレイ」だけど、使った茶葉は教えてくれなかったね。



「そういえば、桜の花が大事って、どんな意味があるんだろう……」



 スマートフォンで『桜』『花言葉』と検索をしても「精神美」「優美な女性」「純潔」しか出てこなくて、特にピンとくるものが無い。様々な桜の花言葉や由来を調べるがこれと言った情報が出てこない。



「うーん……あれ?」



 画面をスクロールをしていると『ルクリア』というアッサム地方に咲く桜についての記事が目に止まった。



 別称「アッサムニオイザクラ」花言葉は「清純な心」



「君らしいね。でもこれがそんなに……?」



 それからルクリアについて調べていると誕生花の日付に目がとまる。



「誕生花の日付が二つ……。えっ、この誕生日って」



 自分たち二人の誕生日と一致する。

 そんな花があるんだな……。あの時の嬉しそうな君の顔を思い出すと、自然と涙が出た。


 こんなにも君に想われていた事、そんな君に何も返せていなかった事。後悔と悔しさが目元からにじみ出た。


 涙を拭き、アッサムを淹れる。スライスしたベルガモットの皮を少量入れて香り付け。 カップに注ぎ、香りを嗅ぎ、口に含む。



 「これだ……。やっと、やっと会えたね」



 お盆休みが始まった頃、セカンドフラッシュのオリジナルブレンドが懐かしく思えたのは、この味に似ていたからか。ベルガモットほどでは無いが、ちゃんとした柑橘系の香りと、しっかりとしたボディーの味。



 「……ばか。やっぱり君は、意地悪だ」



 ベルガモットの花言葉『愛らしい』『寛大』は君を思わせるものばかりだった。長かった。長かったけど、やっとメニューに復活させられる。


 君の残した、最後の……。



(このドリンクメニューは、レシピとして残さないでおこう)



 君がそうしなかったように、あえて誰にも触れられないように。記録より記憶に残しておこうと思った。

 これは君との思い出だから……。




 また月日が経ち、桜が咲く季節。新しいメニューとして、ふたつの紅茶を出した。




「いらっしゃいませ。今月から新しい紅茶がありますので、よろしければご注文下さい」



 カウンターに案内した常連のお客様に、新しい紅茶メニューのページを開いてお渡しする。



「これって、もしかして……」



 昔から来て下さっているお客様だ。サンプルの写真を指さし、驚いてこちらを見る。



「はい。この紅茶は、あの子の……、です」


「ついに、できたんだね。じゃあ、これをワンポットお願いしようかな」


「かしこまりました」



 オーダーを取りキッチンへ戻る。


 アッサムとベルガモットの皮をポットに入れ、お湯を注ぐ。

 あれから何回も何回も淹れた。ベルガモットの量や茶葉のアッサムの選別をして。

 何度も味わった君の大好きな紅茶を、中途半端な再現ではお店では出したくないから。


 間違えないように、ゆっくり、確実に……。



「お待たせいたしました。オリジナルブレンド、「桜」です」



 ティーソーサーにスプーンと桜の造花を添えて、お客様の前へお出しする。



「ありがとう」



 キッチンカウンター越しにお客様の反応を伺う。あの紅茶が昔からの常連様には伝わるのか、独りよがりの味になっていないのか。


 お客様が香りを嗅ぎ、深く息を吐く。

 目を閉じて口を付けた。



「ありがとう」



 そう、一言だけ。



「いえ、こちらこそありがとうございます。その一言で、彼女も喜んでると思います。ごゆっくりどうぞ」



 それ以上の言葉はかけず、背を向けて裏へ下がろうとした。



「あのっ」



 お客様に呼び止められる。



「はい?」 

「この、新メニューにあるもう一つの紅茶は?」



 もう一つの紅茶。そう、もともと紅茶のブレンドはあの子の専門だ。そんな彼女がいなくなって初めての新作ブレンド。名前は「楓」。



「これは、彼女が残してくれたメッセージの……その返事です」


「そうか。それは、君じゃないと淹れられないね。今度来た時はそちらを頂くようにするよ」


「ありがとうございます。お待ちしていますね」



 君の持つ豊富な知識には遠く及ばない。そんな彼女に送る自分なりのメッセージ。


 この店に留まる事を許してくれた寛大な君に、ありがとうを込めて。キャッスルトンをベースに、リシーハットとグームティーで味を落とし込んだダージリンブレンド。


 ダージリン、ひいては茶の木の「追憶」や「純愛」といった花言葉を返事として。


 それと横に、花言葉「大切な思い出」という意味を持った、秋を代表する「紅葉」を添えた初めてのブレンド……。





 ……大好き、だよ。





 それは自分の声か、彼女の声だったか。誰にも聞こえない想いが通り過ぎていった。

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