pièce seconde
トン、トー……ン……
店の奥から、よく通る楽音。入り口チャイムの音とは違う。引き寄せられて足を運ぶと、明瞭になる。これはピアノだ。
「あれっ、お客様でしたか」
途切れた音色と交替したのは空間に弾ける明るいソプラノ。
「今日初めましての方ですね! ようこそ」
ピアノの前に座っているのは長いストレートの黒髪が艶やかな、くりっとした目の可愛らしい女性。
「いらしたお礼にお耳に入れますよ。お好みの曲、あります?」
曲?……なんだろう、ある気がするけれど。思いつかなくて。
「実は私も。寒くて指先もまだ固くて」
えへ、と相好を崩して告白すると、「末端冷え性なもので」と右の指先を左手で包む。
「でも私もあなたもまだ思いつかないなら——これがいいかも」
ふわりと上がった手首がしなった。かと思えばもう、細長い指先が鍵盤に降りる。
立ちどころに生まれる音と音が、連なってまとまって形になって。気づけば耳が認めるひとつの旋律、それは確かにひとつの歌に。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、《インベンション》第一番。作曲の基礎を学ぶために書かれた、初学者用の一曲。
「どれがいいか考える時に、ぴったりだと思いません?」
自ら楽想を
「ね、指もちゃんとあったまりました」
声と同じで笑顔が眩しい。まるで転がるピアノの音みたいに。
そして気づけばインベンションは形になって、すとんと頭に収まっている。
残響に包まれ、彼女が微笑む。
「やっぱり初めましても、ひとつの曲みたいですから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます