3.ダンジョンと加護
このまま立ち去ってもいいのだが、トラウマになっても可哀想だ。
幸い、今は黒い髪も隠れている。お化けではないのだとアピールするためにも、少年に近づくことにした。大して高くはない視線をさらに下げるため、その場にしゃがみ込む。
「こんな夜中に何してるんですか?」
深夜に入浴している自分のことは棚に上げ、質問する。
「と、トイレ……。お前、ロゼだよな? なんで部屋の外にいるんだよ」
「お風呂に入ってたもので。ところであなたは?」
「ブラン。お前の兄だ」
「ああ、教本の」
教本の裏側には必ず『ブラン』という文字が刻まれていた。本も使い込まれていたこともあり、おさがりだとすぐに気付いた。どうやら元は目の前の彼の所有物だったらしい。
そういえばあの日、リビングに彼の姿もあったような気がする。夢だと思っていたため、正確には思い出せない。
だが渡りに船とはこのことだ。私の悩みも解決するかもしれない。ほんの少しだけ前のめりになって質問する。
「そうだ、フード付きの服も余ってませんか? できれば小さくなって着られなくなったズボンもあると嬉しいです」
「……何に使うんだ」
ブランは私の様子を訝しむ。交流のなかった妹が突然服をくれだなんて言い出したら、警戒するのも当然だ。だがお構いなしと話を続けていく。
「ダンジョンに行くのに髪を隠したいんです。今のままだと少し不安で」
頭の上を指差しながら、目的をザックリと告げる。
詳しい説明をする必要もない。ロゼに関する情報の中に、兄はロゼの入学と入れ替わりで卒業したとあった。
私の記憶が正しければ、近々彼は王都に向かう。それから6年間、互いに顔を合わせる機会はない。私が無事に卒業できたとしても、接点が残るか分からない。
長くて1~2か月の付き合いだ。
多少の図々しさくらいは見逃してくれるだろう。
「ダンジョン……」
「6歳以上なら加護を授かれるんですよね? それでお下がりの服なんですけど……」
物置きで眠らせるくらいだったら、着られなくなった服を寄越せと。
自分の要求をグイグイと押し出していく。
「服はある。だがお父様に相談しないと渡せない。お前が外に出て、怪我したら俺が叱られる」
怪我したところで誰が見にくるわけでもない。それに知ったところで気にしないと思うが……。
そんな言葉が喉元まで出かかった。
教本を用意してくれたとはいえ、この3ヶ月間も交流があったわけではない。大した関心もないのだろう。
ロゼの待遇が変わることを期待していなかったといえば嘘になる。だが彼らの中にある『常識』も染みついた考え方も簡単には変わらない。
現実として受け入れた今、生活を保障してくれているだけで万々歳だと考えるようにしている。
それでも口にしなかったのは、目の前の少年の言葉が妹を心配する兄のようだったから。もっとも彼はつい先ほど全力で怯えていたのだが。
「ならいいです。おやすみなさい」
「……俺がお父様を説得する。だから行くのは少し待っててほしい」
「説得ってそんな、面倒ごとを背負わなくても」
「約束だからな! 絶対一人で行くなよ!」
ブランは「絶対だからな!」と繰り返し、ダダダと走り去って行った。
そういえばトイレに向かう途中だと言っていた。我慢の限界だったのかもしれない。
「失礼致します」
昼食を食べ終わってから少し経った頃。
珍しく使用人が部屋に入ってきた。いつも食事を運んでくるメイドではなく、初めて見る男性だ。
年はロゼの父親よりも上で、顔には深い皺が刻まれている。まじまじと観察していると、服と手紙を差し出される。
「ロゼ様、こちらを」
「これは……」
「公爵様とブラン様からです」
どうやら本当に説得してくれたようだ。昨日の今日で話をしてくれるとは思っていなかっただけに、驚きが隠せない。それでも差し出されたものを受け取り、一旦服だけ机に置く。
そして封筒を開く。
家庭内での伝言程度なら切れ端でもいいのに、わざわざ封筒を使うのは貴族だからだろうか。もったいないから、後で解体してメモ用紙にしてしまおう。
そんなことを考えつつ、便箋に目を通す。
『外出を許可する。ただし隠密ローブを着用の上、使用人を連れていくことが条件である』
長々と書かれていたが、要約するとこんな感じだ。
知らないところで部屋を抜け出されるくらいなら、管理下に置いてしまおうといったところか。あの兄が何か言ったのかもしれない。
「隠密ローブってあの服のことですか?」
「さようでございます。ブラン様が使っていらしたものなので、ロゼ様には少し大きいかもしれませんが、ご容赦ください。またダンジョンに潜られる際ですが、私が同行させていただきます。ロゼ様のご都合のよいタイミングでお声がけください」
「それは今からでも?」
「構いません。それでは私は馬車の準備をして参ります」
ペコリと頭を下げて部屋から出ていく。
馬車まで用意してくれるとは想像以上の高待遇だ。
着ている服の下にズボンを穿き、裾をまくる。そしてワンピース用のベルトをキツめに締める。これでズボンが落ちてくることもないはず。少々不恰好だが、どうせローブで隠れてしまうのだ。問題ない。
それからまもなく戻ってきた使用人と共に馬車に乗り込む。
ダンジョンまでは10分もせずに着くはずだ。馬車が走り出してすぐ彼は口を開く。
「手短にダンジョンについてご説明させていただきます。ダンジョンとは創造神様が作り出されたもので、これから向かうシュバルツ領管理下にあるダンジョンの他にも多数存在しています。フロアの数や発生する魔物などはダンジョンごとに異なりますが、入り口は必ず神域と繋がっています。神域は火神の神域、水神の神域、風神の神域、土神の神域、そして食神の神域の5つが存在し、信仰対象を決めた後は入り口が直接その神域と繋がるようになります。初めてダンジョンを訪れた際はまず信仰したい神に対応する神域に進み、神より与えられた入信試験をクリアする必要があります。試験の内容は試験の度に変更され、難易度も変わってきます。最悪、命を落とすこともあります。3年待っていただければ、安全に加護を受けられます。それでもこのままダンジョンに向かわれますか」
まるで脅しだ。
だがダンジョン内で死ぬ可能性があるのは事実。彼の説明はかなり簡略化されているが、大まかな部分はゲーム内の設定と同じだった。
3年後なら、というのも、学園直轄ダンジョンは一般のダンジョンとやや仕組みが異なるから。
学園直轄ダンジョンは内部に特殊結界が張られており、魔物に倒されてもダンジョンの外に転送されるだけ。死ぬことはない。代わりに死亡ペナルティが課せられる。
学園在学中は原則として、学園直轄ダンジョン以外のダンジョンに潜ることは許されていない。他のダンジョンで死なれては困るからだ。
学園直轄ダンジョンの中でもなるべく死なないためのルールが課せられており、学生はそれらに従う必要がある。特例が許されていた乙女ゲームヒロインですら、ゲーム中盤まではひたすら学園直轄ダンジョンでレベリングを行っていた。
弱い魔物しか出てこないので、1周目はヤキモキさせられたものだ。
といってもベースは乙女ゲームなので、RPGのような本格的なレベル上げは必要ない。
探索パートも前後左右を選んで進むだけ。マスごとに『戦闘』『アイテム採取』のコマンドが選べる。
階層ごとのフロアマップは狭く、出てくる魔物と採取アイテムの種類はフロアごとに固定。
1周目の時点でプレイしながらマップをメモしておけば、他の攻略ルートでもそのまま使える。基本的には目的のアイテムや魔物が見つけやすい仕様になっていた。
そう、基本的には。
このゲームで重要なのは信仰する神を誰にするか。攻略したいキャラと合わせるのが楽だが、一部スチルや特殊会話を発生させるためにはあえて別の神を信仰する必要がある。
また信仰する対象によって上がりづらいスキル・獲得しづらいアイテムも存在する。達成率100%になるための道のりは遠く険しいもので、私は達成率40%ほどでギブアップしてしまった。
だが基礎的な部分は押さえているつもりだ。
次の更新予定
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