2.夢、じゃない?!

「身体が痛い……」

 意識が浮上し、第一声がそれだった。


 やはりベッド以外で寝るのは身体に悪い。うつ伏せの状態で手を伸ばし、近くにあるスマホを探す。


 だが手にはスマホどころかバッグも壁も家具も当たらない。

 昨日の私は一体どこで眠りについたのか。頭をボリボリと掻きながら起き上がる。


「ここ、ロゼの部屋じゃん。……ん?」


 もしかして。

 急いでベッドから降り、鏡を覗き込む。そこに映っていたのはアラサーの日本人ではなく、成長が遅れた少女ロゼ=シュバルツの姿だった。


「私、死んだの?」

 真っ先にその可能性が浮かんだのは、持病が悪化していたから。もう何か月も前から薬で誤魔化していたが、寒暖差が決定打となったのだろう。


 病弱にとって季節の変化はわりとハードなイベントなのだ。


「死ぬ間際の記憶はない、かな?」

 いくら首を捻っても、私の記憶は『仕事帰りに自宅のドアを開けたところ』で止まっている。ゲームの電源が落ちたように、綺麗に途切れている。


 前世の家族とはわりと仲がよかった。友人との別れは悲しいし、やりたいゲームも完結を心待ちにした小説や漫画だってあった。悔しいことや悲しいことを挙げていけばキリがない。


 だが死ぬ間際の記憶がまるでないのは救いだった。


 今の身体にある痛みは、両親の前で倒れた際に身体を打ちつけたせい。

 もしくは部屋の外を歩き回ったために起きた筋肉痛。ロゼの身体は病弱アラサーよりも体力がない。だが持病があるわけでも、虚弱体質というわけでもない。


 机の上には手付かずのケーキと食事が載っていた。

 朝よりも豪華になっている。寝ている間に新しいものを用意してくれたらしい。スープが入った皿に触れると、まだほんのりと温かい。


 好き放題言ったつもりだったが、彼らにもまだ家族の情が残っていたということか。今のところ、家から追い出すつもりはないようだ。


 椅子に腰掛け、真っ先にケーキを手に取る。


「美味しい」

 今日はロゼの12回目の誕生日。

 そして私が転生した日でもある。


 始まりには小さなケーキがピッタリだった。


 家族の真意は分からない。

 家から追い出されずとも、断罪や魔王襲来など暗い未来が待っている。

 乙女ゲームシナリオ開始もとい学園入学までの3年間で何かしら手を打たなければ。


 ◇ ◇ ◇


 転生してから早3ヶ月。

 私は未だ自室からほとんど出ずに過ごしている。


 家族は相変わらずロゼに関わろうとしないのはもちろんだが、体力がなさすぎて少し動くだけで疲れてしまう。初めの数日なんて軽いストレッチだけで息が切れた。それでも病弱というわけではない。


 自発的に動くようになれば、着実に体力が付いていく。たくさん食べても胃もたれしないし、食べている時にむせることもない。


 前世の私が求め続けた『健康体』そのものである。

 今のところ、転生してよかったと思えること第1位である。


 一方で、ゲームプレイ中はまるで気にならなかった不満も浮き彫りになってきた。


「今日はここまででいっか」


 机の上に広げていた教本とノートを片付け、引き出しにしまう。

 そしてクローゼットからパジャマを取る。手洗い場横の棚から綺麗なタオルも回収し、部屋を出る。


 向かう先は風呂場。

 今日は3日に一度のお風呂の日。


 転生してから知ったのだが、この世界では風呂に入る習慣がない。水が貴重なのではない。浄化魔法を使えば汚れが綺麗になるから、入る必要がないのだ。


 洗濯も風呂と同様に、浄化魔法で済まされることがほとんどだ。水や洗剤を使う洗濯は、魔法道具のような浄化魔法が使えない特別な物を綺麗にしたい時のみ行われる。


 なんと便利な生活か。

 水魔法の恩恵はトイレにも活かされており、そちらはノンストレスで使わせてもらっている。洗濯も我慢できる。


 だがお風呂だけはダメだった。

 部屋にある手洗い場で頭と顔は洗えても、5日目で限界が来た。


 毎夜部屋を抜けだし、風呂を探した。そこで3日に一度だけ浴槽に湯が張られることに気付いた。


 どうも過去に膝を痛めた父が、身体を温める目的で入浴しているらしい。お風呂の湯が捨てられるのは完全に冷えた翌朝以降。


 その間なら誰かに咎められずに入浴ができるというわけだ。

 今日も浴室に入ってすぐ浄化魔法をかける。そしてぬるくなった湯にファイヤーボールを落とした。


 どちらもこの3ヶ月間で習得した魔法だ。

 完全に独学で習得しているため、火の玉は拳の半分ほどの大きさしかない。だがお風呂を温めるのにはちょうどいい。


 少し熱めのお湯に肩まで浸かるだけで、心も身体も癒やされる。お風呂の日は心の平穏を確かめるための日でもある。


「そろそろダンジョンに行きたいけど、なんて言って説得しよう」


 まだ体力に不安は残るが、一般常識の方はだいぶ身についてきた。

 転生を自覚した翌日、部屋に置かれていたお下がりの教本ももう少しで読み終わる。


 あまり時間に余裕がない身としては、そろそろ次の段階に移りたい。


 それに加護を受ければ、信仰する神に応じたステータスやスキルにも補正がかかる。レベルアップするごとに自然と体力も付いてくるというわけだ。


 幸い、シュバルツ領内にはダンジョンが存在する。

 ダンジョンは全5階層ほどの小規模なもので、出てくる魔物も比較的弱いものばかり。


 冒険者として稼いでいきたい人には不向きだが、加護を受ける目的でダンジョンに潜る人にとっての『ファーストダンジョン』としては最適だとか。


 乙女ゲームの舞台である王立学園にも加護を得ることを目的とする『加護コース』があったくらいだ。シュバルツ家も初心者向けダンジョンとして売り出すことで、そこそこの収入を得ているのだろう。


 少し足を伸ばす形にはなるが、屋敷から徒歩圏内にあるのはありがたい。髪さえ隠せば私一人でもダンジョンに通えそうだ。


 唯一の難点は、どうやって髪を隠すか。


 ショートカットなら、大掃除の時みたいにタオルを頭に巻きつければいい。だがロゼの髪は長い。


 全て隠すならターバンのように巻き付ければいいのだろうが、動いているうちに落ちる可能性も高い。


 フード付きのローブや帽子が最適だが、あいにくとロゼの手持ちにはない。代用できそうなものも見当たらない。そもそも服だって一人で着られるような、スッポリと頭から被れるワンピースばかり。


 グルグルと考える。だがいい案が浮かばない。

 ひとまずお風呂から出て、身体を拭いた後に髪の毛をタオルで包んでみる。


「結構難しいな……」

 四苦八苦しながら全て隠せたものの、頭にはズッシリとした固まりが載っているかのよう。意外と髪は重い。固定が甘いせいか、歩くと固まりが揺らぐ。どうしたものか。廊下を歩きながら頭上の固まりを弄る。


「ヒッ……!!」

 後方から何者かの声がする。タオルを押さえながら振り返ると、廊下の端で縮こまり、震える男の子と目が合った。


 どことなく見覚えのある顔だが、使用人の子供だろうか。


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