1.不憫な悪役令嬢
「くわぁあ、よく寝た」
上体を起こし、大きく伸びをする。すると両方の腕にサラリと長い何かが触れた。真っ黒くて艶のある髪だ。確認するとお腹くらいまである。
私は生まれてこの方、肩甲骨が隠れるレベルまで髪を伸ばしたことはない。
冷静になって考えると、仕事帰りに自宅のドアを開けたところで記憶が途切れている。ベッドで寝た記憶もない。
「夢か」
そう結論づけて辺りを見回す。部屋には見覚えのある家具やぬいぐるみが一切ない。
あるのは一人用の机と椅子、シンプルな木製ドレッサー、そして子供用のハンガーラック。
ハンガーラックには服が何着か吊り下げられており、その上に小さめの棚が2つ。保育園にあった棚を彷彿とさせる。
ひとまずベッドから降り、ずらりと並ぶ服に着替える。ドレッサーに腰掛けて髪を梳かす。鏡に映っていたのは、見覚えのある顔よりもやや幼い。けれどおそらくこの身体はーー。
「ロゼ様。朝食をお持ちしました」
ドアの向こう側からの声で、推測は確信へと変わる。
どうやら今の私は、乙女ゲームに登場する悪役・ロゼ=シュバルツらしい。
ロゼはいわゆる悪役令嬢というポジションのキャラだ。ただし多くのプレイヤーからお邪魔キャラではなく、不憫キャラとして認識されていた。
部屋にある家具や目線の高さから察するに、今は4~5歳くらいといったところか。
ロゼは家族に愛されず、幼い頃から部屋で隔離されていた。貴族としての教養も身につけさせてもらえず、学園入学時の彼女は到底貴族には見えなかった。メイドが食事を部屋の外に置いていくのも、とある理由が関係している。
家にも学園にも居場所を見つけられなかったロゼは、禁忌である闇魔法に手を染める。孤独な少女には闇魔法に縋るしかなかったのだ。
ヒロイン達に倒されたロゼが浮かべていたのは、憎しみでも絶望でもなく笑顔。
何周も回って悪役令嬢救済ルートを探したプレイヤーは私だけではない。だがいくら探しても見つからなかった。
ロゼの待遇に主人公の行動は何一つとして関わっていなかったから。
彼女はプレイヤーのことなど見ていなかった。家族に愛されたかっただけ。主人公ごときが何か変えられるはずがなかった。
シナリオとしては筋が通っている。
ロゼが悪役として立ち塞がるからこそ、ヒロインは攻略対象者と共に成長し、自らの地位と気持ちを固めていく。理解はできる。だが納得できるかどうかはまた別問題。
苛立ちを覚えていると、ドアの下に設置された扉から朝食が登場した。
トレイの上には、シンプルな丸パンと、気持ちばかりの肉と野菜が入ったスープ。そしてベリーソースで『12th』と書かれたカップケーキが載っていた。
「そっか、今日は12歳の誕生日……」
ケーキを見た途端、ロゼの記憶が流れ込んでくる。
といっても変わり映えしない日常で強く記憶に残っているのは、目の前のケーキだけ。ロゼにとって今日は誕生日ではなく、年に一度だけ数字の書かれたお菓子が出てくる日。
流れ込んできた記憶の中には『誕生日』なんてものはなかった。
このケーキも、ロゼの状況を哀れに思った使用人の誰かが用意しているのだろう。
「あー、なんか腹立ってきた」
同じ建物内に諸悪の権現が住んでいる。
そう思うと我慢できなかった。夢であろうと関係ない。
いや、夢だからこその行動力というべきか。部屋から出ると、大きな部屋のドアを端から開いていく。
「ロ、ロゼ様、一体何を……」
怯える使用人達の言葉を無視し、家族探しを続ける。彼らに止められる心配はない。家族も使用人もロゼを恐れているのだから。
「見つけた」
リビングに到着した頃には、息が上がっていた。夢なのに不思議と身体も重い。
体力がないところまで忠実に再現しなくてもいいのに……。
体調不良に慣れすぎた我が身が憎い。同時に、このくらいの不調では私の怒りは収まらない。
「ロ、ロゼ。なぜお前が部屋の外に……」
ビクビクとする家族をギロリと睨む。
そしてスゥッと息を吸い込む。
「いつまであなた達は娘を虐待し続けるつもりですか」
「虐待なんてそんな……」
「私たちがいつそんなことをしたというのだ!」
両親の言葉と表情には焦りや後ろめたさは感じられない。
浮かんでいるのは恐れと驚き。彼らは虐待をしているという自覚がなかったのだろう。ロゼとは違い、両親と共に食事をとっていた子供はプルプルと震えている。
彼らの様子には思わず深いため息が出てしまう。
「正当な理由もなく子供を隔離するのも、教育の機会を奪うのも、風邪を引いた子供を半日以上放置するのも全て立派な児童虐待です」
「理由ならある! お前は呪われているんだ。だから私達は余計な知識を付けぬよう……」
「呪いって黒い髪と黒い目のことですか?」
「っ! なぜお前がそれを」
ロゼが恐れられているのは、数百年前に魔王の封印を解いた女性と外見的特徴が似ているためだ。
ロゼは幼い頃から軟禁状態で育てられており、自分の状況を理解できるだけの知識すらなかった。おかしいと気づけたのは学園に入学してからのこと。
本物のロゼはまだ、人とろくに話すことすらできないはずだ。
けれど彼らがそれを指摘することはない。12歳ならこのくらい話せて当然だと思っているのか、はたまたこれが夢の中だからか。
そのことが私の怒りに油を注いでいく。
「馬鹿馬鹿しい。こんなのただの遺伝と確率です。何代にも渡って同じコミュニティの中で子孫を作り続けていれば、発生しづらい色が同時に発現することだってあるに決まってる」
ずっと抱えていた言葉を吐き捨てる。
黒髪黒目を恐れるくせに例の女性が生まれた家はまだ残っている。本家も分家もまだまだ健在。多くの家系がその血を取り込み続けているのに、何が呪いだ。ふざけている。
「この外見が呪いだというのなら、それは血の繋がりのある人間にすら愛されず、一生孤独に苦しめられる呪いなのでしょうね」
乙女ゲームの悪役・ロゼ=シュバルツが闇魔法に手を出したのは、孤独だったから。
ロゼは学園の図書館で偶然手にした書物を通し、かつて魔王の封印を解いた女性の存在を知った。彼女の記録を辿ることでその思いに共感、闇魔法を習得することとなった。
魔王の封印を解いたのも、唯一の繋がりである彼女と同じ道を歩むことで孤独から解放されるため。
血の繋がりがあったら、どんな存在であっても愛せるとは思わない。
逆に血の繋がりがなくとも信頼できる相手はいくらでもいる。
だがそれは長年日本で過ごしてきた私が導き出した答えに過ぎない。
ロゼは何年も何年も、それこそ最後の瞬間まで『家族の愛情』を期待し続けてしまったのだろう。
「ロゼ……」
両親の顔が歪んでいく。
いや、彼らの顔だけではない。机も壁も全てがぐにゃりと歪んでいった。
どうやら体力の限界がきたようだ。
そう気づいた時には遅かった。視界が大きく揺らぎ、闇の中に取り込まれていった。
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