第2話 俺は世界一不幸な男だ sideジョーイ
俺は世界一不幸な男、ジョーイ・ボインスキー。
ボインスキー子爵の二男だ。
家を継ぐのは双子の兄。俺の役目はタイラー家に婿入りして家の役に立つこと。
シンシアは父上の親友の娘だから、俺の一存で断りづらい。
すごく不幸な人生だとわかってくれるだろう。
今年十七歳になったばかりで、温室育ちを体現したような世間知らずのお嬢様。
タイラーの領地は広大な農地を有しているため資産も豊か。
相手が貴族なら文句を言うのは贅沢だと言われるだろう。
だが、好きでもない女の夫となり、一生支えないといけないんだよ?
一番堪えるのが、そのシンシアのこと。
シンシアときたら、タイラー家の領地と同じで胸部が平野なんだ!!!
丘陵ですらない。
平民より良いもの食べて暮らしているはずなのに、毎日食べているミートパイはどこに消えているんだ!
頭にも胸にも栄養がまわってないとはどういう了見だ。
婿入りだから、自分好みのスタイルの第二婦人を迎えるなんてこともできやしない。
こんな人生では生きている価値を、生まれてきた喜びを感じないではないか。
そんな不幸のどん底にいた俺の前に天使が舞い降りた。
シンシアの家のメイド、ルナ・ナルシーだ。
俺は初めてこの屋敷から帰るときに庭園で迷ってしまい、そのとき庭の掃除担当をしていた少女が俺を見つけて出口まで案内してくれた。その時は名も聞けずにいた。
二度目の邂逅はそれから半月後。道案内してくれた少女がシンシアの部屋の清掃をしていた。
「昨年から働いてくれているルナよ」とシンシアが教えてくれた。
月の名前を持つ、真面目で慎ましい性格の少女。
屋敷に帰り、思い出すのは婚約者シンシアの顔ではなくルナの顔。
道案内してくれたときの微笑みだ。
髪に触れてみたい、名前を呼びたい、名前を呼んでほしい、抱きしめて口付けてみたい。
眠るたびに夢にルナが出てきて、夢がさめなければいいと願った。
この気持ちが恋だと気づくのに時間はかからなかった。
いや、だめだ。相手はシンシアの家のメイドだ。
平民と子爵家の二男ではどうあがいても結ばれない。
気持ちがおさえきれなくなり、三度目にタイラー家を訪れたときに、庭園を見せてくれとシンシアに頼んでみた。
一人でまわらせてもらい、運良くまたルナが一人で落ち葉をはいていた。
そこで声をかけて、俺たちの秘密の関係がはじまった。
はじめのうちは「お嬢様が悲しみます」と抵抗していたルナだったが、何度も逢瀬を重ねるうちに俺に応えてくれるようになった。
知れば知るほどルナを好きになった。
ルナは出自こそ平民ではあるが、真面目で仕事熱心。
慎ましい性格に反して、この手に収まらないほど豊満な丘陵を持っている。そこがまた魅力的だ。
今すぐ愛を叫んで抱きしめたいが、今の俺はシンシアの婚約者。
誰かに見られたら大変だ。
人がほとんどこない庭園の端の農具小屋に場を移して、気持ちを確かめあう。
最愛のルナと出会えたのは、俺の不幸な人生で唯一の幸運だ。
父上に婚約解消したい、ルナと結婚したいと頼んだら、「庶民なんかと結婚するつもりなら別の婚約者を用意しよう」と言われ無理やり引き離されるに決まっている。
ならシンシアと結婚して形だけの夫婦になり、シンシアと秘密の扉の中で会う方がいい。
答えが見つからないまま時だけが過ぎたある日、シンシアが一通の招待状を渡してきた。
「ジョーイ。わたくし今度、この屋敷でパーリーしようと思いますの。あなたのご両親も招待していますから、家族揃っていらしてくださったらうれしいですわ」
「そうかい。できる限り予定を開けておくよ」
健気にも、シンシアはこうしてお茶に誘ってきたりパーティーに招待したり、ちゃんと俺の婚約者を全うしようとしている。
だが俺の心はもうルナのもの。どんなに俺に取り入ろうとしても、シンシアが入り込む隙間なんてないんだ。悪いな。
客間には俺とシンシア、ティーセットを運んでくる侍女、そしてシンシアの背後に常に控えている護衛のグレルという大男の三人だけだ。
グレルはお世辞にも人相がいいと言えず、スラムをうろついている野盗を雇ったのかと思うほどだ。
ドラゴンを人間の姿にしたらこうなるだろうと言うと伝わるか?
一応シンシアの乳兄弟らしい。こいつがクロウニン男爵家の長男だというのだから、世の中はわからない。
なぜこの野盗の頭領みたいな風貌の男が男爵家を継げる長子なのに、美貌も才能ある俺には実家を継ぐ権利がないのだろう。
兄上には領地を運営する才能なんてない。俺のほうが向いているはずだ。
あぁ、同じ日に生まれたのに、本の数時間の差で家を継ぐか他家にやられるか決まるなんて。
せめて俺が長男に生まれていたなら、親の反対なんて無視してルナを嫁にできるのに。
神はとかく理不尽なことをする。
とてもきれいに掃除が行き届いているというのに、グレルは俺が客間に入ってからずっと顔をしかめている。
俺はいつかシンシアと結婚してこいつの主になるわけだし、一応気を遣っておこう。
「シンシアの護衛殿。気分が優れないなら休んだらどうだい?」
「心配無用。任務に支障はない」
今にも獲物を喰い殺さんばかりの猟犬みたいな声音で言われても、説得力が皆無だ。
シンシアがミートパイをフォークで一口とりわけ、斜め後ろにいるグレルに差し出す。
「グレル。また顔がこわばっていましてよ。ばあやのミートパイを食べたら元気になるかしら? 美味しいからどんな暗い気分も吹き飛びますわよ」
「……………そうやってお嬢がミートパイをべた褒めするせいで、婆さんは家でもミートパイしか作らないんだですよ。『シンシアお嬢様が美味しいと思う至高のミートパイを目指すから味見してね!』と。どうしてくれるんです。僕は他のものも食べたいのに」
「あらまぁ、三食ミートパイだなんて羨ましいですわ」
俺に対する殺意もりもりの低音と同じ声とは思えないくらいに、柔らかい声音にかわった。
せっかく俺が声をかけてやったのに、俺には反抗的な態度なのか。気に入らない。
シンシアの婚約者であるということを除いても、俺のほうが家格が上なのに、だ。
どんな教育を受けたらこんな失礼な男が育つんだ。
俺がタイラー家の当主になったらこの無礼者をクビにしよう。
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