姫君、女神、血の契約
放課後のチャイムは、俺にとって死刑宣告の鐘のようだった。
「…………よし、帰ろう。光の速さで」
俺はホームルームが終わった瞬間に教科書をカバンへ放り込み、誰とも目を合わせずに席を立った。背後からクラスメイトたちの「おい、皇! 転校生との関係を吐け!」という怒号に近い追及が聞こえてきたが、そんなものは無視だ。今、この場で捕まるわけにはいかない。
俺は人混みを縫い、校門へと続く最短ルートを駆け抜ける。だが、運命というやつは、いつだって俺のような平穏を望む者に厳しい。
「――どこへ行こうというのですか? 私の守り刀様」
正門の影。夕日に照らされ、燃えるような朱色に縁取られた少女のシルエット。
九条紗夜は、まるで最初から俺がここを通ることを予見していたかのように、凛とした佇まいで待ち構えていた。
「……九条。あんた、ストーカーの才能があるんじゃないか?」
「失礼な。これは
九条は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。彼女が近づくにつれ、周囲の空気が一変した。校庭の騒がしさが遠のき、古い神社に足を踏み入れたときのような、肌を刺すほどに清廉で、それでいて重苦しい霊力の
「……場所を変えよう。ここでは目立ちすぎる」
俺は溜息をつき、彼女に背を向けて歩き出した。向かった先は、学園の敷地の最奥に位置する、取り壊し予定の旧校舎。ひび割れたコンクリートと枯れ果てた蔦が絡まるその場所は、放課後には誰も近づかない。密談にはうってつけの場所だった。
◆
埃っぽい旧校舎の裏庭。 影が長く伸び、黄昏――誰そ彼と呼ぶにふさわしい、現世と異界が混じり合う時間帯。
「さて。まずはその黒いケースの中身……『紫電一文字』を見せていただけますか?」
紗夜の瞳は、昼間の転校生のそれではない。獲物を狙う鷹のように鋭く、俺の背負ったキャリーケースを射抜いている。
「…………。見せたら、納得して帰ってくれるか?」
「それは内容次第ですわ」
俺は渋々、ケースのジッパーを下ろした。中から現れたのは、黒漆塗りの鞘に収められた一振りの日本刀。一見すれば美術品のような美しさだが、その周囲には微かな紫色の火花が散り、空気中に焦げたような匂いを漂わせている。
「やはり……。間違いありませんわ。九条家が千年もの間、
「神骸……? 神の
「そうです。ですが、骸とは名ばかり。それはあまりに強大すぎるがゆえに、物質という檻に閉じ込められた"生きた神"そのもの。……そして」
紗夜が俺の右手を指差した。そこには、昨夜の戦闘以来、奇妙な火傷のような、紫色の幾何学模様が浮かび上がっていた。
「貴方は、その神と魂のパスを繋いでしまった。適合者として、その命を担保に力を引き出したのです。……蓮也様、貴方は今、自分がどれほど危うい橋を渡っているか分かっておいでですか?」
その言葉が終わるよりも早く、鞘の中の刀がガタガタと激しく震え出した。
『――くくっ、あはははは! 随分と物々しい言い草ではないか、九条の小娘!』
突如として響き渡ったのは、鈴の音を転がすような、だが氷のように冷たく傲岸不遜な女の声。刀から溢れ出した紫色の煙が、俺の背後で渦を巻き、やがて一人の女性の形へと凝縮されていく。
漆黒の髪を無造作に結い上げ、紫色の着物を大胆にはだけさせた、絶世の美女。 彼女は俺の肩に馴れ馴れしく腕を回すと、首筋に冷たい吐息を吹きかけた。
『百年、いや三百年ぶりか? 外の空気は実に不味いが……この男の魂の味だけは、格別だ。なぁ、蓮也?』
「……うわっ!? 出たな、この性悪女神!」
俺が慌てて飛び退くと、紫電姫と呼ばれたその精霊は、不敵な笑みを浮かべて俺を見つめた。
「……っ、紫電姫! やはり目覚めていましたのね……!」
紗夜が慌てて懐から五色の呪符を取り出し、防御の構えを取る。だが、紫電姫はそれを見て鼻で笑った。
『おっと、そんな紙切れで
「け、契約だと? 俺はそんなもん、した覚えはないぞ!」
『いいや、したぞ。お主が初めて妾を抜いたあの日に、な。今のお主は、妾という神の肉体を現世に繋ぎ止めるための生きた贄じゃ』
「え゛っ! そういう大事なことはもっと早く言ってくんない!?」
紫電姫の言葉は、残酷な事実を突きつけていた。俺の右手にある紋様が、拍動するようにズキリと痛む。
「……そんな。……蓮也様、貴方はもう、一人では生きていけない身体になってしまったのですか……」
紗夜が、絶望に染まった瞳で俺を見つめる。だが、彼女はすぐにその瞳に強い光を宿し、決然と言い放った。
「分かりました。ならば、仕方がありませんわ!」
「……何が?」
「蓮也様! 今日から私は、貴方のアパートに住み込みます! 私の九条流・浄化術で、貴方の霊力を絶えず補填し、その性悪な女神が貴方を喰らい尽くさないよう、二十四時間体制で監視いたしますわ!」
「…………は?」
俺の耳が確かならば、今、この超絶美少女は俺のアパートに住み込みますと言った。
『ほう? 妾と蓮也の睦まじい時間を邪魔しようというのか。面白い。せいぜい、妾の雷に焼かれぬよう励むが良いわ、小娘』
「泥棒猫に言われる筋合いはありません! 蓮也様は私の守り刀ですもの!」
俺の六畳一間のアパートに、九条の姫君と、刀の女神。どう考えても容量オーバーな居候が二人も増えることが、俺の意志を無視して決定された瞬間だった。
「……あの、俺の意見は?」
しかし、二人はワーワー言い争っていて答えてくれない。
俺は絶望し、空を仰いだ。これから始まるのは、禍津との戦いよりもずっと過酷で、そして――やかましい毎日になりそうだった。
俺の日本刀に宿る女神が転校してきた監視役の姫と修羅場を始めた 石踊 @rock-and-roll188
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