第3話 同じ学園へ

 学校という閉鎖空間は、巨大な実験場に似ている。


 生徒という名の被験者が無数に集められ、階級カーストという厳格な区別によって管理されている。


 使い捨てにも満たない立場の私は、せいぜい迷惑をかけないよう、ひっそりと生きる。それが、この学園での私の生存戦略だ。


 しかし、その隠密行動に致命的な出来事が発生した。



「なんで......?」


 朝の食卓。私は目の前の光景を見て、思考停止に陥っていた。


 フィオナが、私と同じ制服を着て座っている。


 王都のエリート校の純白のブレザーではなく、我が校の野暮ったい紺色のブレザー。

 だが、素材が違うのかと疑うほど、彼女が着ると王都流行のファッションに見えた。


「転入手続きは昨日のうちに済ませた」


 フィオナはトーストにバターを塗りながら、天気の話でもするように言った。


「王都までの通学時間は往復三時間。無駄だ。こちらの学園なら往復三十分。一週間で十二時間以上の時間を節約できる」


「いや、数字の話じゃなくて......」


「お前は二年、私は三年だ。学年も違うし校舎も離れている。学園内での接触は最小限になる」


 彼女は私の懸念を先読みして潰してくる。

 確かに、理論上はそうだ。だが、現実はそう甘くない。


 こんな「主人公属性」を持った人間が、同じマップに存在するだけで、私の隠密行動が脅かされる予感しかしなかった。


◇◆◇


 予感は的中した。いや、予想以上に悪い。

 登校初日。フィオナの存在は、瞬く間に学園全体に拡散された。


 王都からの転入生。圧倒的な美貌。そして、すれ違うだけで肌が粟立つような高密度の魔力。


 休み時間のたびに、三年生の校舎からは歓声とも悲鳴ともつかない騒ぎが聞こえてくる。


 昼休み。

 私は、いつもの定位置にいた。

 中庭の裏手、廃棄された魔導具の焼却炉前。ここには誰も来ない。


 唯一の友人と呼べる野良猫に、購買のパンを分け与える時間が、私のささやかな楽しみだ。


「あら、またゴミ漁り?」


 背後から、高い周波数の声が鼓膜を刺す。

 振り返らなくてもわかる。クラスのカースト上位、ミリアとその取り巻きだ。


 彼女たちは、私を「動くストレス発散用サンドバッグ」程度に認識している。


「......何の用?」


「用なんてないわよ。ただ、目障りなの。アンタが持ってるその古臭い端末、魔力ノイズが酷くて頭が痛くなるのよね」


 ミリアが地面に置いてあった魔導端末を蹴り飛ばした。

 ガシャン、と乾いた音がしてパーツが壊れ、泥の中に散らばる。


 私は無表情を保ったまま、心の中で損得計算を行う。


 ここで怒るのは簡単だ。だが、反撃すれば事態は長期化する。教師を巻き込めば、彼女たちの親が出てきてさらに面倒になる。

 しかも私に勝ち目がない。


 最適解は『無反応』

 感情を殺し、嵐が過ぎ去るのを待つ。労力的には、拾う手間だけで済むほうが安い。


「ごめん。片付けるから」


 私は地面に膝をつき、泥まみれのパーツを拾い始めた。

 屈辱? そんな感情はとっくの昔に忘れ去った。


「ほんと、見てるだけでイラつく。魔法も使えないくせに、なんでこの学校にいるわけ?」


 そんなことを言われても仕方ない。

 祖父の偉大な実績に、勘違いして入ってくれと言ってきたのは学校側だ。


 まあ面白そうとノッた私も悪かったけど......



 ミリアがさらに言葉を吐き捨てようとした、その時だった。


 空気が、凍りついた。

 突然の静寂。鳥の声すら止まったような圧力が、中庭を支配する。


 ミリアたちがギョッとして振り返る。

 そこには、フィオナが立っていた。

 校舎の移動中なのだろう。数人の教師と生徒会役員を引き連れ、優雅に歩いている。

 彼女の視線が、ふとこちらを向いた。


 ミリアたちが悲鳴のような息を呑み、道を開ける。食物連鎖の頂点に立つ捕食者が現れた時の、草食動物の反応だ。


 フィオナの冷ややかな瞳が、泥にまみれて這いつくばる私を捉える。

 そして、私の足元に転がるパーツを見た。


 ――助けられる!?


 私は最悪の展開を予想して身構えた。

 もし彼女がここで「妹に何をする」と介入してくれば、私は「あのフィオナ・シルヴァーノの妹」として全校生徒に認知される。


 それは「空気」としての死を意味する。姉の七光りで守られる無能な妹。格好の玩具だ。


 やめてくれ。

 私は視線で訴えた。私の領域に入ってくるな!


 フィオナは、一瞬だけ目を細めた。

 そして。


「......行くぞ」


 彼女は興味なさげに視線を切ると、何事もなかったかのように歩き出した。


 私を助けることも、ミリアたちを咎めることもなく。ただの風景の一部として、私を無視して通り過ぎた。


「な、なによ今の......すごい迫力......」


 ミリアたちが安堵のため息を漏らし、私への興味を失って去っていく。

 「もういいわ、行こ」という捨て台詞と共に。


 残された私は、泥だらけのパーツを握りしめたまま、姉という名の異物の遠ざかる背中を見つめた。


 助かった。

 彼女は約束を守ったのだ。「互いに干渉しない」という契約を履行した。


 私の望み通りの結果だ。介入されれば、私の学校生活は終わっていた。

 これは、もっとも合理的で、正しい判断だ。


 なのに。

 

 胸の奥で、黒いモヤのようなものが渦巻いているのは何故だ。

 見捨てられたという事実が、ほんの少しだけ、小さなトゲのように心に引っかかっている。


「......何考えてるんだ、私は」


 私は小さく自嘲し、泥のついた銅線をポケットにねじ込んだ。





―――――――――――――――――――――――――――――――

お読みいただきありがとうございます。


姉が颯爽と助けてくれる……なんてことはなく、現実は非情でした。 でも、これでよかったはずなんです。そう願ったのはセレナ自身ですから。


けれど、助けられなかったことで生まれた「モヤモヤ」は、簡単には消えません。 家に帰れば、また二人きりの時間が待っています。


次回、第4話「守られたくない」


夕食の席で、ついにセレナの感情が爆発します。 お楽しみに!

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