第2話 生活のズレ

 私の朝は、極限まで無駄を削ぎ落とした「省エネ設計」で成り立っている。


 起床は登校時刻の二十分前。洗顔三分、着替え五分、朝ごはんは作り置きの果物ジュースで十秒。残りの時間は精神統一と言う名の二度寝の誘惑との戦いに充てる。


 これが私の最適解。低スペックな私の身体を、学校という戦場へ送り出すための最低限の用意だ。


 だがその完璧な流れは、次の日にガラガラと音を立って崩れ去った。


 午前六時。

 まだアラームも鳴っていない時間帯に、異臭によって意識が覚醒した。いや、一般的には「芳醇な香り」と定義される類のものだ。


焼きたてのパン、淹れたてのコーヒー、そしてベーコンが脂を弾く音。

 私の家では発生し得ないはずの生活感が、嗅覚を通して脳を揺さぶってくる。


 のろのろとリビングへ這い出すと、そこは異世界だった。いや異世界と思いたかった。


 散らかり放題だったテーブルの上には『幸せな家族』というタイトルが付きそうな朝食が並んでいる。

 埃を被っていた窓ガラスは磨き上げられ、朝日が不愉快なほど眩しく差し込んでいた。


「......おはよう。早いな」


 キッチンに立っていたフィオナが、エプロン姿で振り返る。

 その姿に、私は絶句した。


 ......あまりに似合わない。

 王都の魔法学園のエリート制服の上に、市場で買った安物のエプロン。


 だが彼女が身につけると、それすらも『あえて選んだ機能美』に見えてしまう。


「規則正しい生活は魔力効率を高める。座れ、冷めるぞ」


 有無を言わさない圧力。

 私は何も答えず席に着き、出された皿を見下ろす。完璧な火加減のスクランブルエッグ。


 一口食べた瞬間、敗北を悟った。

 美味い!

 悔しいが私の果物ジュースとは次元が違う。


 母が起きてきて、「まあ! お店みたい!」と歓声を上げる横で、私は砂を噛むような気分で咀嚼を続けた。


 フィオナは無言だった。

 恩着せがましく「作ってあげた」とは言わない。ただ淡々と、それが当然の義務であるかのように振る舞う。


 それが余計にキツい。

 彼女の完璧な動きが、私のズボラな生活を無言で断罪しているように感じるからだ。

 比較対象が近くにいるだけで、こちらの粗が目立つ。


 これが「生活のズレ」か。いや、格差社会の縮図だ。


◇◆◇


 学校での『陰キャモード』による擬態活動を終え、逃げるように帰宅する。


 以前なら、玄関を開けた瞬間に安堵の息が漏れたものだ。

 だが今は違う。

 靴はミリ単位で揃えられ、廊下の床はワックスがけでもしたかのように輝いている。家全体が「管理」されている。


 あぁ、息が詰まる......

 私は「ただいま」も言わずに、自室という名の最後のシェルターへ飛び込んだ。


 鍵をかけ、カバンを放り出す。

 作業机に向かい、ハンダごてのスイッチを入れる。

 机の上に散乱するジャンクパーツ、銅線、書き殴った回路図。母さんが『ゴミ』と断ずる、私にとっての『宝の山』


 それらを眺めることで、ようやく私の心拍数が落ち着いてきた。

 ここだけは私の領域だ。


 昨日の続きだ。魔力伝導率の悪い安物のジャンクパーツに、並列の回路を刻んで強制的に出力を上げる。理論上はショート寸前だが、ギリギリのバランスで安定させる綱渡り。

 このスリルだけが、私の開発の原動力だった。


 コンコン。


 無機質なノック音と共に、返事も待たずにドアが開いた。

 フィオナだ。

 私は反射的に手元の回路を隠そうとした。


 見られたくない。高尚な魔法を操るエリート様に、こんな泥臭い魔導工作を見られたら、どんな軽蔑の言葉を投げつけられるか。


 彼女は私の部屋の惨状ーー足の踏み場もない素材や部品の海ーーを見ても、眉一つ動かさなかった。


 手には紅茶の乗ったトレイを持っている。


「茶を入れた。休憩にしろ」


「……勝手に入らないでって言ったでしょ」


「鍵がかかっていなかった・・・・・・・・・


 嘘だ。かけたはずだ。

 こいつ、魔法で解錠しやがったな。

 プライバシーって言葉を知らないのか?


 フィオナは部屋の入り口で立ち止まり、ふと机の上に視線を固定した。

 隠しきれなかったパーツの一部が覗いている。彼女はトレイを乱雑な本棚の隙間に置くと、私の制止を無視してパーツを拾い上げた。


「あ、ちょっと!」


 取り返そうと手を伸ばすが、ひらりとかわされる。

 終わった。


 どうせ馬鹿にするんだ。「こんな非効率なゴミを作って何になる」「正規の魔導具を買えばいい」と。正論で私を殴るんだ。


 フィオナは数秒間、パーツの裏側の回路を凝視していた。

 そして、短く呟いた。


「......並列処理か」

「は?」

「本来、直列で繋ぐべき術式回路を、あえて三分割して並列化している。これなら安価な素材でも熱暴走を起こさず、高出力を期待できる」


 彼女の指先が、私が一番苦労した回路の跡をなぞる。


美しい処理だ・・・・・。無駄がない」


 予想外の言葉に、私は口を半開きにして固まった。

 今、なんて?

 美しい? この、ツギハギだらけのガラクタが?


「学園の教科書には載っていない設計思想だ。......悪くない」


 フィオナは部品を丁寧に机に戻すと、私を一瞥した。

 その目に、初めて「色」が宿ったように見えた。

 道端の石ころを見る目じゃない。

 未知のサンプルを発見した研究者のような、あるいは同じ言語を話す人間を見つけたような、微かな光。


「冷めないうちに飲め」


 それだけ言い残し、彼女は部屋を出て行った。

 残されたのは、湯気を立てる紅茶と、呆然とする私だけ。


 心臓が嫌なリズムで跳ねていた。

 肯定された。

 母ですら理解しなかった、誰にも見せたことのなかった私の聖域を、あろうことか「侵入者」に肯定された。


 その事実が、たまらなく居心地が悪く、そして――どうしようもなく胸をざわつかせた。


 紅茶を一口飲む。

 ......悔しいが、これも完璧な味だった。





―――――――――――――――――――――――――――――――

お読みいただきありがとうございます。 完璧な姉からの、まさかの「技術への高評価」。 人間性は無視されましたが、技術屋としてのプライドは少し救われた……のかもしれません。


さて、次回からは舞台が「学園」に移ります。 家では同居していますが、学校では「赤の他人」として振る舞う契約。 その契約が、さっそく試される事態が起きます。


次回、第3話「同じ学園へ」


お楽しみに!

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