魔力ゼロの技術屋、学園の裏支配者になる

八坂 葵

第1話 不可侵領域の崩壊

 学校なんて最悪なシステムだ。


 友情? 成長? そんな美辞麗句で飾ったところで、実態はただの『逃げられない実験場』に過ぎない。


 だから私は、学校という実験場の中で『陰キャ』という保護色をまとう。誰の視界にも入らないよう、背景の一部としてただ無難に過ごす。

 家に帰れば、私だけの聖域がある。

 それが正解。私のささやかな人生における、唯一の真理だったはずだ。


 その真理が壊れ始めたのは、夏休みに入る少し前、汗ばむ初夏の休日だった。



「セレナ、ちょっとリビングに来てちょうだい」


 自室の作業机。ジャンク屋で拾った旧式端末の基盤を焼き切ろうとしていた私は、ハンダごての手を止めた。


 母の声が弾んでいる。

 嫌な予感がした。


 普段の母は、私の「ガラクタ弄り」には無関心を貫いている。それが互いのためだと知っているからだ。


 なのに、今の声には妙な熱があった。


 溜め息を一つ。重い腰を上げる。

 リビングへ続く廊下で何かが香る。


 家の匂いじゃない。

 雨上がりのような、あるいは高価な香水のような、澄んだ香り。さらに肌がチリチリするような強い魔力の密度。


 リビングのドアを開ける。

 そこには、私の知らない女性が座っていた。


 銀髪の女。

 私とはまったく違うその髪は、月の光でも浴びたみたいに艶やかだ。

 着ている制服を見て、思考が止まる。王都の魔法学園。エリート様ってわけね。


 彼女は出された紅茶に口もつけず、ただそこに居た。まるで、最初からこの空間の支配者であるかのような顔をして。


「......誰?」


 極力、関わりたくないという意思を込めて問う。

 母が立ち上がった。その顔を見て、私はゾッとした。頬が紅潮している。まるで恋する乙女みたいに、あるいは、何かに陶酔しているように。


「驚かないでね、セレナ。この子はフィオナちゃん。あなたのお姉さんよ」


 は......?


 処理が追いつかない。

 姉。ああ、そういえばいたっけ。離婚した親父が連れて行った、顔も覚えてない血縁。


 だが、そんな情報はどうでもいい。

 今は私の本能が強く警報を鳴らしている。

 こいつは劇薬だ。混ぜるな危険。

 私の平穏で退屈な日常をガラッと変質させるだろう革命者。


「......冗談でしょ? いきなり現れて姉です、はいそうですか、なんて」


「鑑定済みだ」


 低い声。

 フィオナが初めて口を開いた。温度のない何とも冷たい声。


 彼女が顎でしゃくったテーブルの上には、羊皮紙が一枚。魔法鑑定局の印章が毒々しい赤色で輝いている。血縁確率99%。とりあえず姉というのは逃れられない事実のようだ。


「父が死んだ。向こうの家は借金で差し押さえられた。私がここに来る権利は、その紙切れが保証している」


 そう言って視線を送った先には戸籍証明。

 父と母は......夫婦!?


「離婚したって言ってたよね!?」


 思わず母に大声で確認をする。


「ええ、離婚届をあの人が出すって言ってたから任せたんだけど......出してなかったみたい」


「父は休日もなく毎日朝早くから夜遅くまで働いていた。おそらくそんなものを出す時間はなかったはずだ」


 淡々とした説明だ。

 悲しみ? 不安? そんな人間らしい感情は見当たらない。

 まるで業務連絡でも聞いてるかのようだった。


「母さん、正気? こんな狭い家、もう一人増える余裕なんてないでしょ」


 私は母にすがる。

 こんなヤツ追い出して!金なら私がバイトして入れるから!!


 けれど母の視線は私を通り越してフィオナに釘付けだった。


「......似てるのよ、お父さんに」


「はあ?」


「魔力の質も雰囲気も。あの子を受け入れなきゃいけない、そんな気がするの。......それに、行き場がないなんて可哀想じゃない」


 出た。母の悪い癖だ。

 論理よりも感情。現実よりも「物語」を優先する。


 敬愛する父、私にとっての祖父のイメージを重ねて、これを救うのが私の使命だ!とか思い込んでるのだろう。


 私は唇を噛む。

 この人は一度こうなると、テコでも動かない。


「私は認めないから」


 精一杯の虚勢で、フィオナを睨みつける。

 彼女は涼しい顔で私を見返した。その瞳には、私への興味なんて欠片も浮かんでいない。道端の石ころを見る目だ。


「私の大切な空間に入ってこないで!」


「個室はいらない。リビングの隅でいい」


「物理的な話をしてるんじゃないんだけど!」


「なら精神的な話か。安心しろ、お前の矮小な内面になど興味はない」


 カッ、と頭に血が上る。

 矮小? 今、なんて言った。


「母さん、世話になる。今日からここで暮らす」


 私の反応など待たずに、フィオナは決定事項として告げた。足元のトランクを持ち上げる動作には、一分の隙もない。


 母は「ええ、もちろんよ」と嬉しそうに頷き、客間の準備を始めている。


 ......ダメだ、詰んだ。

 私の発言権なんて、最初からなかったんだ。


『かわいそうな姉』という母の物語と、『圧倒的な強者』であるフィオナの前では、私は無力なモブに過ぎない。



 フィオナが私の横を通り過ぎる。

 ふわりと、あの澄んだ匂いが鼻をかすめた。

 彼女は立ち止まりもせず、私に目線もくれず、吐き捨てるように呟いた。


「邪魔はしない。だから、私にも構うな」


 それは休戦協定のようでいて、明確な拒絶だった。自室に戻り、ドアを叩きつけるように閉める。


 作業椅子にドカリと沈み込む。視線の先には、作りかけの基盤が無機質に転がっているだけ。


 最悪だ。

 明日からの生活を想像するだけで、胃酸が逆流しそうだ。あんな完璧超人が視界にいるだけで、私のアイデンティティが揺らぐ。


 壁の向こう。微かに荷物を置く音がした。

 その音が、私の平穏の終わりを告げた音のように聞こえた。





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お読みいただきありがとうございます! 平穏を愛する陰キャ妹の元に、台風のような完璧超人の姉がやってきました。

突然の同居生活。 「私の聖域(部屋)には入るな!」とあれほど言ったのに……。


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次回、第2話「生活のズレ」


早くも二人の関係に変化が? お楽しみに!

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