宣戦布告


文化祭前夜。校舎は静まり返っているはずだった。

しかし、停学処分を無視して現れたトオルたちの背後には、思わぬ影が続いていた。


リョウ率いるサッカー部、ハルが声をかけた図書委員、そして、一ノ瀬の呼びかけに応じた数名の有志たち。


「お前ら、主役は遅れて来るもんだなんて、本気で思ってんのか?」


リョウが不器用な笑みを浮かべ、重い脚立を運んでくる。


作戦は始まった。校舎全ての窓に、三人が描き溜めた「叫び」が貼り付けられていく。


一ノ瀬は生徒会長の権限を最大限に利用し、警備システムのログを書き換え、教員たちの巡回ルートを密かに操作した。


「……一ノ瀬さん、いいんですか? これで本当に、あなたのキャリアは終わる」


作業の手を止めた佐々木が問う。


一ノ瀬は、自分の指についた黒い絵具を愛おしそうに見つめ、静かに答えた。


「『完璧な次期官僚候補』の僕なら、死んだよ。今ここにいるのは、ただの、絵を描くのが好きな一ノ瀬慎二だ」


作業が佳境に入った頃、異変に気づいた学年主任たちが血相を変えて中庭に駆け込んできた。


「何をしている! 直ちに中止しろ! 朝比奈、佐々木、これはもはや退学処分では済まないぞ!」


教師たちが校舎へ突入しようとしたその時、リョウが部員たちと共に階段の入り口を塞いだ。


「先生、今は文化祭の準備期間ですよ。僕ら、出し物のリハーサル中なんです」


「どけ、リョウ! これは業務妨害だぞ!」


「……現実を見ろって、いつも言ってるのは先生たちだろ。僕らにとっての『現実』は、今、この瞬間にあるんだよ」


リョウの言葉に応じるように、校庭に集まった生徒たちが、一人、また一人と「人間の鎖」を作り、校舎を取り囲んだ。


彼らもまた、化物の餌食になりかけていた者たちだ。誰かの顔色を伺い、正解のレールを歩くことに疲れた彼らが、トオルたちの背中を守るために立ち上がった。


トオルは最上階の窓に、最後の一枚を貼り終えた。

それは、高橋優の楽曲にある「笑うんだ」というフレーズを、形にしたような、泣きながら笑う巨大な自画像。


「部長、一ノ瀬さん、ハルさん。……準備はいいですか?」


トオルが屋上の配電盤のレバーを引いた。


瞬間、真っ暗だった校舎の全ての窓に、一斉に明かりが灯った。


それはステンドグラスのような輝きとなり、夜の闇に「僕らはここにいる」という巨大な叫びを映し出した。


消されたはずの壁画が、校舎そのものとなって蘇ったのだ。


罵詈雑言、嫉妬、理想、そして希望。全てが混ざり合ったその光景に、怒鳴り散らしていた教師たちも、ただ言葉を失って見上げた。


「……綺麗だ」


誰かが呟いた。



それは、彼らが世界に突きつけた、最大で最後の宣戦布告だった。

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