未完成のプライド



文化祭まであと二日。停学中の身でありながら、三人は真夜中の校庭に集結した。


「壁が消されたなら、もう隠れる必要なんてない」

トオルが取り出したのは、数百枚に及ぶ「未完成のスケッチ」だった。挫折した夜に描いたもの、怒りに任せて塗りつぶしたもの、そしてハルの涙が滲んだもの。


彼らが選んだ新しいキャンバスは、中庭の壁ではなく、校舎の「窓」そのものだった。


三人は、学校中の窓ガラスに、内側から透ける薄い紙を貼り、そこに光を通す「ステンドグラス」のように自分たちの叫びを描き込む計画を立てた。


「これなら、夜が明けて電気がつけば、校舎全体が巨大なメッセージボードになる」


作業の最中、暗い廊下に足音が響く。

現れたのは、一ノ瀬だった。


「……まだ、そんな無意味なことを続けているのか」


いつもの冷徹な声。だが、その声は微かに震えていた。


「無意味かどうか、あんたが一番よく知ってるはずだ」


トオルは一ノ瀬の前に、一枚の古いスケッチブックを差し出した。それは、トオルが美術室の奥の倉庫で見つけた、数年前の「ある生徒」の記録。


そこには、今のトオルたちよりもずっと緻密で、けれど同じくらい熱い「化物の絵」が描かれていた。

作者の名前は、一ノ瀬 慎二。


「……黙れ」


一ノ瀬がスケッチブックを奪い取ろうとする。


「あんたも戦ってたんだ。でも、途中で化物の正論に負けた。だから、自分を殺して『完璧な生徒会長』を演じてる。僕たちが羨ましくて、怖くて仕方ないんだろ。自分が見捨てた自分を、僕たちが見せつけてくるから!」


「うるさい! 現実はそんなに甘くないんだ!」


一ノ瀬が叫んだ。それは、ドラマを通じて初めて彼が剥き出しにした「本音」だった。


「どれだけ描いても、卒業すれば誰も見ない。評価されなければゴミだ! 僕は、ゴミになりたくなかったんだ!」


「ゴミかどうかなんて、他人に決めさせるなよ」


トオルは一ノ瀬の手に、一本の筆を握らせた。


「あんたの『未完成』を、ここに置いていけ。それが、あんたが自分を守るために被った仮面への、唯一の弔いだ」


一ノ瀬は筆を握りしめ、膝をついた。


完璧だった彼のプライドが、音を立てて崩れていく。


しかし、その顔は、何年も止まっていた時間が動き出したような、幼い少年の表情に戻っていた。


一ノ瀬は、ゆっくりと立ち上がると、窓ガラスに向かった。


彼が描いたのは、美しく整った図形ではない。

暗闇を切り裂くような、鋭く、痛々しいほど真っ直ぐな「光の筋」だった。


「……朝比奈。これだけは言っておく。……教師たちは、明日の朝、強制的にこれを剥がしに来る。僕が止められるのは、そこまでだ」


一ノ瀬という最大の敵が、最強の共犯者に変わった瞬間だった。

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