七福神3
舞台は観客でごった返していた。舞台に近い場所には座る場所が用意されているようだが数は全く足りていなかった。ほとんどが立ち見をしている。
現在行われている演目は能だった。天照大御神たちの出番は次だというから仕方なく見物していたが春香にはなにを言っているのか、なにを表現しているのかさえもわからなかった。
それは祥子も同じようで退屈そうにしている
内容が理解できない表現物ほどつまらないものはない。見かねた天之御中主神があらすじと今がどの場面なのかを事細かく説明してくれたが感情が動くことはなかった。
春香はすっかり飽きてしまった。じっとし続けるのもきつくなってきて、体重をかける足を頻繁に入れ替えるなどして無駄に動く。天之御中主神からはもうすぐ終わるからと諭されてしまった。春香たちが到着していたときにはすでに始まっていた能はそれから二十分ほど続いた。
やっと終わった。役者たちがはけた舞台上では転換が行われている。そして舞台袖から黒い四角い塊がいくつか運び込まれた。他はいくつもの太鼓に似たようなものがセッティングされていく。能の余韻に浸っていた神たちは見たことのない物体に興味を示していた。
だが春香はその神たちよりはそれを知っていた。実物を見るのは初めてだったがテレビで見たことがあった。天之御中主神が天照たちの番だよと教えてくれる。
鹿屋野比売神と他にも神二柱が出てきた。全員、鹿屋野比売神と同じように煌びやかな着物を纏っている。最後に少し遅れて天照大御神が出てきた。天照大御神も華美な着物を着ていて、冠も身に着けている。
着物を着ている天照大御神を春香は初めて見た。綺麗だった。あの友だちは、本物の神様なのだと感じた。
四人は準備された楽器を手に取る。天照大御神がマイクに向かって声を出した。
「GMTSの初ライブ、楽しんでいってね!」
ドラムがスティックで拍子をとる。ワン、ツー。ワン、ツー、スリー、フォー。
激しい音が空気を突き破った。ギター二本とベースとドラムが音楽を奏でる。ロック調の前奏。天照大御神が大きく息を吸う。歌い出す。透き通った強い歌声が客席を貫いた。
高揚する。リズムを刻む。二十分。短い持ち時間に全力を尽くしている。
初めはリードギターが特に目立つ曲、次は一曲目よりも穏やかだけれどパンチのある曲、三曲目は慰めるような歌声で詞を訴える曲、最後にもう一度盛り上がる曲。
祥子は手拍子をして、天之御中主神はジャンプして体を使ってライブと一体になる。
合計四曲披露して、天照大御神たちが頭を下げるとパラパラと拍手が送られ、再び舞台転換が行われて神楽が始まった。
そのまま見ていても三人中二人が理解できないため、舞台裏に回って天照大御神たちにお疲れさまを言いに行くことになった。
舞台の裏は日陰で演目に必要なたくさんの道具が整然と置かれていた。春香たちは片付け作業をしているロックミュージシャンたちを見つけて挨拶しようとした。
「なんなんだあれは」
怒号が聞こえた。天之御中主神はあららと呟く。
「伝統をなんだと思っている。よくも俺の舞台を台無しにしてくれたな」
五十代くらいの男が顔を真っ赤にして天照大御神を頭ごなしに怒鳴りつける。さらにお前たちもだと鹿屋野比売神たちをも指さす。周りも男に落ち着いてと声を掛けるが男は怒ることに夢中になっていて収まらない。
「大丈夫だと言うから申請を受け付けた。ふざけやがって。今まで築き上げてきたものがぶち壊された。台無しだ」
それに対して天照大御神はいつもの調子で男に返す。
「それがロックだから。反社会的であり、反体制的でもある。あなたは今、ロックを感じているの。新しい風が吹いて気持ちいいでしょ」
そんな天照大御神に男は声を荒げる。
「黙れ」
男の口から唾が飛んで、それが天照大御神の顔についた。さすがに不快に思ったのか天照大御神は顔をしかめて袖で拭く。
「現世ではポピュラーな音楽で人気なんだよ」
「俺は人間なんかを相手にはしていない。ここは高天原だ」
男は天照大御神にさらに詰め寄る。
「お前は黄泉津大神にとり憑かれたんだ」
「……」
その言葉に他の神たちも黙ってしまった。観客席を担当していた神が焦った様子で走ってきた。
「表にまで聞こえています」
「ならさっさと言いに来い」
男は知らせに来た神にも暴言を吐くとまだ言い切れていない文句を拳に握り、振り上げた。
それを周りが慌てて止める。
「おぼえてろよ」
最後に捨て台詞を伝えて男は去っていった。
天之御中主神が大変だねと天照大御神を労う一言を掛けた。その言葉に天照大御神は高天原で唯一のファンたちに振り向いた。
「はーちんも来てくれてたの!?」
天照大御神は春香を見ると満面の笑みで走ってきて抱きついた。
その衝撃を受け止めた春香は反射的に「イタッ」と口に出す。天照大御神は「ごめんごめん」と一歩下がった。
いつも通りの天照大御神の様子に春香は心配になる。
「大丈夫?」
天照大御神は一瞬、なにを心配されているのかを考えてから納得した。
「あー、大丈夫。最初から怒られることは予想してたし。まあたしかに、あんなにカンカンになるとは思ってなかったけど」
天照大御神はエヘヘと笑う。
そんな天照大御神に対して春香に感情が湧く。
憧れ? いや、嫉妬。
クラスでは春香はおとなしい、所謂陰キャ。手のかからない地味な女子。波風が立たない生活をしている。
けれど進級するたびに皆悪口というものに目覚めた。他人の気に食わないところを友だちと共有して優越感に浸る。自分たちは正解。あの子がおかしい。それが楽しくて仕方がない。アドレナリンが出て癖になる。新たな感覚、マウントを取ることから感じる愉悦。
二軍、いや三軍の弱い春香は一軍のグループの目をつけられないように世渡りしなければならなかったし、そのグループから見て異端なやつだと思われないように周りを気にして学校生活を送っていた。毎日毎日気を張って、とてもじゃないけど勉強になんか手につかなかった。
神様が羨ましい。天照大御神が羨ましい。自分のやりたいことをやりたいままに実行している。舞台上であんなにキラキラしている。誰に気を遣うでもなく、誰になにかを言われても笑っていられる。
私もこんな風になりたい。強くなりたい。
意識が遠くに行った春香に天照大御神が怪訝に思ったその時。
祥子が頭を抱えてふらついた。そして、悲鳴であり、怒号であり、叫びをあげながらしゃがみこんだ。
天之御中主神と天照大御神が駆け寄る。そして天之御中主神が鹿屋野比売神に指示を出す。
鹿屋野比売神は了解を示さずに行動して祥子を引っ張るように連れて行った。
そこに居合わせた全員がその後ろ姿を見送った。天照大御神がたまらず後を追いかけた。
天之御中主神は祥子たちの姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
金魚を取りに行こうと言われて、恵比寿の釣り堀に戻って金魚を受け取った後、天之御中主神の家の裏にある池に放しに行くことになった。
オレンジ色の太陽が左に沈んでいこうとしている。今日は楽しかったか、美味しかったか。そんな他愛のない会話をしながら賑やかで騒がしいお祭りを背にして階段を登って、石畳を進んで、家の裏手に回った。小さい子どもが一人暮らしするには大きすぎる神社は街からかけ離れているせいで静かさが行き過ぎていた。不安になってくるほど。
裏手には小さくはないが大きくもない池があった。丁寧に手入れされている池で水は透明で底がはっきり見える。
どうぞと促されて、生き物どころか、塵さえも浮いていない池に小さな金魚を放つ。春香の金魚は体の大きさを比べたらもったいない新しい住処にご満悦のように見えた。
「色々驚いたでしょ」
天之御中主神が立ち話を始める。
「人を見下してくる神も一定数いるから、なにか言われても気にしないで。あまりに酷いようだったら僕に言って。もししつこいようだったら僕の名前を出していい」
「そんなに偉い神様だったの?」
過去に天照大御神からそういうことはないと聞いていたが、わざとからかうように聞いてみる。
「いや、僕たちには人みたいに年齢でとか性別でとか、上下関係は無い。それに僕は男でも女でもないし。ただ高天原の神の一部は僕が創ったから、とりあえず話は聞いてくれる神が多いってだけ」
「ふーん」
「……、数か月前から黄泉の国からの高天原への干渉が激しくなった」
天之御中主神の口調が重くなった。
春香にはなんのことだかわからない。
葉々が風で揺らされて音を立てる。一つ一つの音は小さいものの、それに三百六十度囲まれると逃げられない。
「五百年前、初代の伊邪那美が黄泉の国に堕ちた」
いつも丁寧に一から教えてくれる天之御中主神が一人で勝手に話を進める。
「それも高天原のど真ん中で。伊邪那美命が黄泉津大神になった時、それと同時に高天原の神たちを喰らっていった。その喰われた神たちの次代たちがここ最近、黄泉の穢れに苦しんでいる。幻聴、幻覚、体の痺れに意識障害…。軽ければ耳鳴り程度で済むけど、場合によっては発狂状態になる」
……、耳鳴り…?
「それらの症状が顕著に出ているのは伊邪那美命を継いだ祥子さん。見たでしょ? 今日の様子を」
天之御中主神は池を眺めながらも虚空を見つめる。
「神力が大きくて且つ人間の祥子さんなら穢れた伊邪那美命の席に吞まれないと思った。でも今の状況を見ると甘く見すぎていたと反省している」
一度見に行った。黄泉の国への入り口。穏やかな高天原にぽっかりと開いた穴。背筋が凍るようなその不気味さは今でも鮮明に思い出せる。
天之御中主神は思いつくことを考えるよりも先に口に出す。
「思い出せないくらいもの長い間存在して、僕たちは疲弊していた。日々を厭悪に思って、恒久な明日に倦怠する。倦怠しながらも伝統に固執するしか能がなくて、それが正しいと妄信していた。伝統が、伝統が。決り、慣例、仕来り、因習。呆れちゃうでしょ。伝統なんてもの、原初に立ち戻ればなんてことはない。ほんの些細な事柄だ。僕たちはその原初を知っているのにも関わらず、それに囚われて思案することを止めていた」
水面にぽつんとあって木に囲まれた天之御中主神の家は周囲に障害物がないため、ありのままの強風が轟々として巨木を困らせる。
「自分の足で歩んでいると認識していたけど、それは勘違いだった。例えるなら僕たちは川下りをしているだけだったんだ。景色が動いているのをいいことに、自分たちはサボってなんかいないと思い込んでいた。確かに最初は船を造った。でも浮かべてからはただ乗船しているのみでそれで満足していた。増水しないから、座礁しないから。穏やかな川に甘えてなにも行動しなかった。でも安定していて心地よくても、川はだけど永遠には続かない」
「……」
「伊邪那美は思いやりがあった。優しかった」
悲しげに懐古する。
「だからこそ、余計、一番に疲れていた」
億年を生きた神が春香を見る。
「僕たちは、僕はそんな彼女を否定した。僕も疲れていたんだ」
子どもが泣きそうな、なにかを求める面様で人間を見る。
「こんな僕をどう思う?」
「……」
「僕はどうすればよかった?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます