七福神2
あの日から学校に行っていない。学校への欠席連絡は自分でしている。親には報告していない。一日中ベッドの上でゴロゴロしていたが、それが三日も続くと飽きてきた。だからと言って学校に行く気はない。
春香は今日もベッドに寝転がる。うつ伏せて無気力にスマホで動画サイトを漁る。メッセージアプリには誰からの連絡もない。
三日前から床に置きっぱなしのリュック、椅子に掛かったままの制服。鉛筆すら握っていない。
まだ十時。お腹は減らない。
春香はスマホを置いて仰向けになる。窓から空が見えた。天気は晴れ。理科で習ったばかりの巻雲が空の高さを教えてくれる。
突然インターホンが一階で鳴り響いた。そのピンポンの音は二階の部屋で引きこもっている春香にも聞こえた。春香は布団を頭までかぶった。出るつもりはない。面倒だからというのが一番の理由だが、ずっと家にいたという証拠を残すわけにはいかないし、人と関わりたくないという気持ちもあった。
一分ほど経ってもう一度インターホンが押された。春香ももう一度無視をする。
今度は三十秒ほどしてインターホンが押された。春香は布団から顔を出す。そのまま様子を見ようとしていたが鳴らす間隔はどんどん速くなり、ほぼ連打されているようになった。春香に恐怖が湧き上がる。
春香はベッドから起きて部屋から顔を出す。家中にピンポンが鳴り続ける。音をたてないようにおそるおそる階段を下りてリビングにあるモニターを確認した。
画面下部に見たことがある顔が映っていた。春香が通話ボタンを押して、はいと一言だけ発した。
「やーっと出てくれた。何回押してもうんともすんとも言わないから直接部屋にお邪魔しようかと思ってたところだったんだよ」
長袖長ズボンに衣替えした子どもはむくれてクレームを述べる。
「……」
「なに? どうしたの? 元気ないの?」
天之御中主神はカメラに顔を近づけた。
「あっ、もしかして怒ってる?」
「いや、別に」
「そう? まあいいや」
天之御中主神は踵を上げたようで、顔の位置が少し高くなった。
「今日は祥子さんの伝言を預かってきたんだ」
天之御中主神の顔に占領されたモニターを前に、春香は一度会っただけの女の人を思い出す。
「祥子さん、君とお喋りしたいんだって。元気にしてるかなぁって言ってた。もちろん無理強いはしない。たまたま会ったら挨拶する程度でいいからさ。それにちょうど今、七福神祭が始まったから気が向いたら遊びにおいでよ」
言うことを言い終わると天之御中主神は画面からいなくなった。春香はモニターの通話を切る。自由で勝手気ままに行動する天之御中主神と話したらウジウジしていたのが馬鹿らしくなってきた。
春香は部屋に戻って机の引き出しを開けた。時計の横にしまってあった神器を手に取る。それをポケットに突っ込んで春香は三日ぶりに外に出た。
門をくぐって高天原に入った。
「さむっ」
現世は暖冬だが高天原はしっかり冷え込んでいた。春香は腕をさする。上着を取りに帰ろうかとも考えたが動いているうちにあったかくなるだろうと思い、石段を下った。
街に降りるとたくさんの神が道に出ていた。建ち並ぶ和風の建物の前でお喋りしていたり、ボードゲームで遊んでいる神様もいる。
春香はとりあえず人の流れるほうについていく。
少し歩くと広場に出た。所々に人だかりができている。その中でも広場の奥にはより大きな人だかりがあった。舞台があるのが見える。舞台では和の音楽が奏でられていて誰かが舞っている。
とりあえず春香は一番手前にある人だかりのなかに入っていった。内側にはいくつかの巨大な生け簀が置かれていた。皆で囲んで釣りをしているところもあれば、生け簀の中に入って魚を手掴みしようと皆で躍起になっているところもある。
誰でも自由に参加できるようで誰にもなにも許可を取らずに出入りしていて、道具もそこらに置かれていた。
各生け簀のそばに建てられた看板には海か川か、そして放たれている種類が書かれていた。中には「釣ってからのお楽しみ」と書かれているところもあった。春香は生け簀の間を縫って見て回る。
釣果はそれぞれで籠を何個も使っている神もいれば、調子がいい神からお裾分けしてもらっている神がいる。
そして少し離れた場所では七輪で釣った魚を焼いて、美味しそうにかぶりついている。
一つ、周りに比べると一際小さい生け簀があった。五十代前後の小太りで顎と鼻下にちょび髭を生やしたおじさんと、さっき人ん家のインターホンで遊んでいた子どもが生け簀を挟んで対面でなにかをしている。おじさんは小さい椅子に座っているが、子どもは袖をまくってしゃがんで生け簀の中をジッと見つめている。
生け簀を覗くと赤く小さい魚がウジャウジャ泳いでいた。天之御中主神はポイを持った右手を水に沈めて素早く金魚をすくい上げて、左手で水面近くに待機させていたお椀に入れた。お椀にはすでに四匹の金魚がいる。
「あれ、もう来たの?」
天之御中主神は隣にいる春香に気づいて見上げる。
「君も小さい頃ははしゃいでやったでしょ?」
天之御中主神はもう一度金魚すくいに集中する。
「やったことない」
春香が答えると天之御中主神は再び春香を見上げて「それは一大事だ」と途端に真面目な顔になる。
「恵比寿、この子にもやらせてあげて」
恵比寿と呼ばれた男は足元に置いてあったお椀に生け簀の水を直接すくって水面に浮かべて、ポイを手渡してきた。
春香は少しためらってからそれを受け取って、両袖をまくってから見様見真似でポイを水中に沈める。水温はかなり低い。一匹の金魚に狙いをつけて、下にくぐらせる。
今だ。
意を決してすくい上げると、しかしポイは簡単に破れて金魚は逃げてしまった。
「お嬢ちゃん、ポイは持ち上げるんじゃなくて、こう滑らせるように水面から出すんだ」
恵比寿がジェスチャーで指導してくれる。
「もう一回もう一回。当たって砕けろだよ」
天之御中主神は自分が使っていたポイを渡してくる。すでに水に濡れて、雫が滴り落ちている。
神様二人が見守るなか再チャレンジする。けれど一匹も捕まえられないまま破れてしまった。「あー」と二人は声を揃えて落胆する。
「お嬢ちゃん、センスないなぁー」
そう言いながら恵比寿はポイがダメになるたびに新しいものを渡してくる。
「たくさんあるから何回でも挑戦できるぞ」
それを繰り返して、やっと一匹すくえた時には手は悴み、指はふやけ始めていたが大歓声だった。天之御中主神はハイタッチを求めてきた。春香はぎこちなくそれに応える。
「お腹減ったー」
天之御中主神は前触れもなく大きな声で呟いた。春香も金魚すくいに集中していたから気づかなかったが、言われてみればお腹がすいていた。
「御中主様、是非ともウチで食べてってください。網を使って捕まえる準備もしてありますんで、すぐに用意できますよ」
恵比寿の好意に天之御中主神は答える。
「いや、この子、七福神祭初めてだから大ちゃんのところに行こうかなあって思うんだ」
恵比寿は春香を見る。
「お嬢ちゃん、今回初めてなのか。そりゃあ大黒天のところがいい」
恵比寿は気さくに答える。
天之御中主神は金魚を捕まえていた自分のお椀をひっくり返して全て逃がしてしまった。
金魚たちはすごい勢いで仲間たちの元に紛れた。
また明日来るよと天之御中主神は立ち上がった。
でも春香は同じようにお椀をひっくり返すことができなかった。初めての、そしてやっと苦労してすくい上げた金魚。春香はこの一匹に愛着が湧いていた。
「お嬢ちゃん、どうかしたか? もっと遊んでいくか?」
恵比寿が新しいポイを足元から拾う。
「あ、いえ。もう大丈夫です」
「違うよ、入れる袋だよ。ね?」
天之御中主神が春香に確認を取る。
「おぉ、そうでした。お嬢ちゃん、悪いな、今取りに行ってくるからちょっと待っててくれ」
「袋も大丈夫です。持って帰ってもウチ飼えないんで」
春香は心の中でバイバイを言う。そしてお椀を傾ける。
「僕が面倒見てもいいよ」
天之御中主神が提案した。春香の動きは止まった。
「面倒見るって言っても裏の池に放つだけだけど。どうする?」
春香は途端に恥ずかしくなる。
言えなかった。中学生にもなって一匹の金魚が欲しいなんて。でも欲しい物は欲しいし、手放したくなかった。
春香は顔を真っ赤にしながら黙って小さく頷く。
「じゃあご飯食べた後にも色々見て回るから、他のとは別にして取っておいてくれる?」
天之御中主神は恵比寿に頼む。
相わかりましたと了解して恵比寿は春香のお椀を水面から持ち上げる。
春香はボソッとお礼を言った。
「ありがとう」
天之御中主神と恵比寿は首をかしげた。
何列も出店が並ぶエリアを抜けると、フードコートのようにテーブルと椅子が大量に置かれている場所に出た。
奥の厨房では恵比寿よりも一回りも二回りも大きいおじさんが大汗をかきながら巨大な鍋をかき回している。
「満席だね」
空席がないから少し時間をずらして出直そうという話になったとき、天之御中主神と春香を呼ぶ声が聞こえた。
「ここ空いてるわよ」
祥子がこちらに向かって手招きしていた。そして祥子の隣には周りと比べると派手な着物を着た若い女の人が座っていた。
「いいの? 助かったよ」
天之御中主神は喜んで相席した。春香もついていって祥子と見知らぬ神に挨拶をした。
「こんにちは」
「春香ちゃん、久しぶりね。こんにちは」
「こんにちは、初めましてですね。わたし、
のってりと話す鹿屋野比売神は顎の下で指を組んでニコニコする。
「今日は随分と煌びやかなのを着てるね。らしくないじゃん」
「これは舞台衣装なんです。天照さんからは直前に着替えるように言われていたのですが、面倒でしたのでお家を出てくる時からこの格好なんです。皆さん、内緒でお願いしますね」
鹿屋野比売神は唇に人差し指を立てる。
「二人とも食べ終わったの?」
「まだよ。私たちもちょうど空いてる席を見つけたところだったの」
祥子はテーブルの上に置いてあったお品書きを開く。達筆の手書きで書かれていた。A2サイズの二つ折りに文字がびっしりと詰め込まれている。四人で一緒にのぞき込む。
「さすが大ちゃん。またメニュー増えてる。七福神祭に命かけてるよ、絶対」
白飯から炊き込みご飯、釜めしもある。他にはチャーハン、ビビンバ、カレー、ロコモコ、パエリア、ピラフ、リゾット、ナシゴレン、カオ・パット・サパロット、ゼルダ、セコ・デ・ポロ、ジョロフ・ライス…。
そして一行の空白を開けて味噌汁から始まり、徐々に見たことのない文字列が始まる。その連続。一行の空白から馴染みのある単語から始まり、聞いたこともない単語が並ぶ。
春香は安パイにチャーハンに決める。天之御中主神が注文してくると言って厨房に向かった。小さい体を利用してテーブルと椅子の間をスイスイと抜けていった。
「春香さんも是非わたしたちの舞台を見に来てください」
「なにをやるんですか?」
「それも内緒なんです。天照さんが見に来ていらっしゃる方々を驚かせたいそうで、口外厳禁なんです」
それに祥子が追及する。
「舞であるとか劇であるとか、そのくらいは教えてくれてもいいじゃない」
「いいえ」
鹿屋野比売神は口にチャックを閉める動作をした。
天之御中主神がお冷を四人分持って戻ってきて、よいしょと椅子に座った。
「僕は知ってるよ。なにせウチで練習してたからね。天照なんか今日も自主練してるよ」
「あーちゃんさんも他言無用ですよ」
「ごめんごめん」
料理がサーブされるまで談笑が続く。前後左右からいい匂いが漂ってきて、腹の虫が暴れまわる。
「そういえば、僕この前、夏樹と一緒に遊んだんだ」
「は?」
「みんなと公園でサッカーやったんだ」
「勝手に」
「あ、夏樹っていうのはこの子の弟でね」
天之御中主神は春香の肩を叩く。
「春香ちゃん、弟がいたのね」
祥子が興味を示す。
「どこの馬の骨ともわからない僕にもたくさんパス回してくれて、しかも体の小さい僕に合わせて優しくね。子どもはいいね。けど、途中からきた年寄りたちにゲートボールやるからって場所取られちゃって」
「世知辛いのはいつの時代も変わりませんね」
「そういうのには強気にいかなくちゃ駄目よ。ちゃんと言ってやった?」
「いや、みんな素直で真面目だったから萎縮しちゃって。他に場所もなくて解散しちゃった」
「あなたがどうにかするんでしょ。夏樹君だってまだ小学五年生だっていうのに」
「?」
春香は不思議に思う。たった今夏樹のことを知った祥子さんが、なぜ弟の学年を知っているのだろう。
「神は昔からそう。ただ高みから傍観するだけで、助けを求める人々を足蹴にして」
テーブルの上に置いている手を祥子は握って震わせている。
祥子が生きていた時だって、弟がされたような世代間のいざこざくらいは珍しいことでもなかっただろうに。そこまで怒ることでもないと思うが。
お待たせしましたと給仕係が料理を持ってきた。どの料理からも湯気が立ち上っている。見るからに熱々だ。
春香は早速チャーハンをレンゲで口に運んだ。お米はパラパラであるにもかかわらず油っこくなくて、それでいてパンチがある味だった。食べるスピードが速くなる。
天之御中主神はトムヤムクンを、祥子は蕎麦を、鹿屋野比売神は煮物定食を食べる。
青天井で秋風が通り抜ける。春香はその寒さに身を縮める。
「春香ちゃん、寒いでしょう、我慢しないで」
祥子は着ている半纏を貸してくれようとしたが春香は断った。
「現世は今日暖かかったからね」
天之御中主神がスープをフーフーして冷まそうと試みる。
「行ったのなら教えてあげればよかったじゃない」
祥子は薬味を豪快につゆの中に入れた。
「だって、今日来るとは思わなくて。ごめんね」
天之御中主神は口先だけで謝る。
「これまでも暖かい時代と寒い時代がありましたけど、最近は一年を通してやけに暑いです。わたしもこの前現世に行ったのですが、あまりの暑さに眩暈でクラクラしてしまいまして、通りがかりの方に助けてもらったんです」
「地球温暖化、勘弁してほしいよ、本当」
天之御中主神、鹿屋野比売神二人して春香を見る。
「私のせいにしないでよ」
春香が不機嫌に言い返す。
「うちの子のせいにしないで!!!!」
祥子がいきなり怒鳴った。
「!?」
周りの食事を楽しんでいる神たちが何事かとこちらを見る。そして怒鳴った人物が祥子だとわかると、迷惑そうにしたが、いつものことだと、なんともないように食事を再開した。
天之御中主神と鹿屋野比売神は目配せをした。そして天之御中主神が目で春香になにかを伝えてきた。春香は「いつも通りにしていろ」と言われたような気がした。
鹿屋野比売神が祥子の手を握り、無理やり話題を変えた。
「
「カヤ、いいね。賛成」
天之御中主神がすかさず同意する。
「私は行けないわ。だって天照に舞台を見に来てほしいと言われているんだもの」
祥子は目の焦点が合わないまま断る。この数秒で明らかに体調が悪くなっていた。
「もう行かなくちゃいけないわ」
右手で箸を持ったまま立ち上がって、左手で頭を押さえた。
「天照さんの出番にはまだまだ時間があります。もう少しゆっくりしていても問題ありません」
鹿屋野比売神は祥子に座るように促す。
「お水を飲みましょう」
鹿屋野比売神はコップを手に取り無理やり祥子に手渡した。
それでその場は収まった。
食後のデザートに寿老人の桃汁を飲むころには祥子は元気になりケロッとしていた。
「おいしい」
木製のカップに注がれた桃汁は鼻を近づけるだけでその甘さがわかった。一口、口に含む。五十度程度のとろみのある桃汁は冷えた体に染みた。
桃汁提供所は大黒天の食卓から少し離れた果樹園の隣の小屋にあった。
「寿老人さんが今年の桃の出来は最高だと仰っていましたよ」
鹿屋野比売神は先ほどと全く同じ会話を繰り返した。それを受けて祥子は初めて聞いたというような反応をする。
「あら、そうなのね。やっぱりジュースは百パーセントがいいわ」
春香はなにもおかしいところはないと振る舞う。
桃汁には果汁のほかに果実もゴロゴロ入っていて、飲むというより食べているようだった。春香は器の底に張り付いた果実も食べるために顔を上に向けて器の底を軽く叩いた。天之御中主神は指を使ったせいでベタベタになった人差し指を舐める。
寿老人の桃の園は大黒天の食事処に比べると集客は落ち着いていた。天之御中主神とともに春香は何度も桃汁をおかわりする。金魚すくいの時からお金を払わずにその場を立ち去るのには抵抗があったが、それは三件目になっても慣れない。それでも春香は所持金ゼロ、財布未所持で堂々と飲食する。
春香が五度目のおかわり分を飲み終えた時、鹿屋野比売神は立ち上がった。
「それではわたしは準備に向かいます」
「もう行くの? 少し早いんじゃないかしら」
「演目が前倒しになっていて遅れてしまったら、天照さんが悲しみますので」
「それもそうだね。それじゃあ僕らも行こうか」
天之御中主神は十杯目を一気に飲み干した。
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