七福神
七福神1
天照大御神と海に行ったのが金曜日。土日を挟んで月曜日。私は巣から落ちた小鳥になった。
ルーティン。朝ご飯を食べた後、体操着を着て、その上に教室に着いたらどうせすぐに脱ぐセーラー服に腕を通して家を出る。衣替えは十月から。まだ半袖の夏服を着ることを義務づけられている今はいいが、来週からは長袖の冬服を着ることを義務づけられる。
学校開校時に制定されたルールは「校則」という誰も変更することができない伝統となった。担任からはまだまだ暑い日は続くが冬服を準備しておくようにと去年の担任と一言一句、同じ憂いと通知を言ってきた。
地球温暖化が進んだ昨今も百年前と同じに生活しろというのは誰もが合理的ではないと理解していることなのにこれからも変わることはない。少名毘古那神が言っていたことが思い出される。
金曜日には落ち着いていた耳鳴りは次の日の土曜日には復活して、今日も春香を苛つかせる。
登校して教室に入る。左から三列目、一番前の自分の席にリュックを置く。教科書類を机にしまって、脱いだ制服を空になったリュックに雑に詰め込む。
そして後ろで群れているいつものメンバーにおはようと声をかけて合流する。
「…おはよう」
その声量、間、表情から春香は理解する。
あぁ、私はハブかれたのだ。
木曜日まで友だちだった二人は、片方は気まずそうに、もう片方は迷惑そうに互いに顔を見合わせている。
この二人のルーティンから春香はいなくなった。
春香が予想するに、海に遊びに行って休んだ金曜日、スクールカースト上位のやつらからの投擲攻撃がなかった。だから標的は春香一人なのだという結論に至り、春香を切り捨てることにした。自分たちが二度と害を被らないために。
汗が噴き出す。鼓動が速くなる。耳鳴りが脳みそにガンガン響く。早く取り入らなければ。なにを言えばいい。どの言葉を言えばいい。どうしたらもう一度、私を仲間に入れてくれるだろうか。気に入られるためには。
でも、もう媚びたくない。
私は、羊でも、犬でも、ピエロでもない。
トイレに行こうと片方がもう片方に耳打ちする。
(こいつらが逃げる前に)
「ああ、そう」
だるそうに、だがハッキリと言ってから、春香はわざと舌打ちをした。そしてわざと乱雑に音を立てて席に着いた。
二人はそんな春香の態度に目を丸くしたが、そそくさと教室の外に出て行った。
涙がこみ上げる。机に突っ伏したい。でも、一度下を向いたら今日一日、顔を上げられない気がする。
朝礼が始まる。全員が席に着く。おんなじ服を着て、おんなじ髪形をして、皆で西に向かって座っている。
なにもかもがおんなじなのに、ここに春香の居場所はない。
席替えは自分たちで決める。だからあの二人は春香の真後ろに一列で座っている。
朝一番は掃除の時間。教室担当の春香は他の誰とも会話することなく雑巾がけをする。
一時間目は数学。図形の証明は板書をノートに書き写すのが精一杯で理解するどころではない。先生は答えを教える前に周りの人と一緒に話し合って考えてくださいという。後ろの二人は前に座っている春香を背にする。教室がワイワイとするなか、春香は一人でノートを見つめる。
二時間目は英語。今日はALTの先生が来て、担当教員と教科書に書かれた会話を実演している。そして隣の男子と実際に練習。登場人物は二人だから交代して二回同じ会話をする。本物の英語を聞いたのにも関わらず、皆日本語で英語を喋る。
三時間目は理科。今日は実験をするから休み時間のうちに理科室に移動する。後ろの二人は春香に声を掛けることなく先に行ってしまった。電流の実験。回路を繋げると光る電球は照明を消した理科室で生徒たちの顔を照らした。
四時間目は国語。もちろん春香は取り残されて一人で教室に帰った。帰って席に座っていたら始まった授業。文法だの活用だのと配られたプリントに言われたとおりに書き込んでいく。他の人は色ペンを使いけて丁寧に書いていくが、春香はやる気が出ずにシャープペンシルのみで空白を埋めていく。
給食。前三列、後ろ三列で班ごとにお昼ご飯。机を向かい合わせて島を作るが男子は男子、女子は女子で喋る。机をくっつけて隣になっても友だちだった二人は春香がそこにいないかのように二人だけで喋る。
昼休み。全員が固まって過ごしているなか、春香は一人、席に座っている。どこに視線を向けていいのかわからず、自分の手元を見る。しかし時間は進まない。二十分間、自分の手を見ているのは苦しすぎる。
春香は立ち上がって窓際に移動した。外を見る。青い空にはまだ夏の雲がある。近くにいる男子たちは年末商戦に向けて発売されるオープンワールドゲームの話をしている。どうやって手に入れるか。中学生を相手にしないサンタクロースではなくお年玉を頼るらしい。そんな平凡な会話がある一方で、一軍の生徒からの遠投が背中に刺さる。
五時間目は社会。前半は都道府県庁所在地のテスト。漢字で書かなければ得点にはならない。復習をしていない春香は半分と少ししか埋められなかった。けれど埼玉県には自信がある。ダサいがひらがなでいいのだ。埼玉県出身のお母さんはさいたま市に用事があるたびに合併なんかしないで浦和市のままのほうがよかったと文句を言っていたから余計に覚えていた。
六時間目は美術。点描で作品を作りましょう。三人でつながる作品を作ろうと提案され、指示されるままに創作していた。だけどもう指示はない。だから春香にはこの作りかけの作品をこれからどうすればいいのかわからない。完成まで六割も進んでしまった用紙を見つめる。パズルのピースの一つとして点を描いていっただけに後戻りができなかった。
終礼が終わって下校。バイバイもまた明日も誰にも言うことなく教室を出て下駄箱で靴を履く。入学した時から履き続けている白い靴は洗っても落ちない泥や砂で汚れている。履いている人物が中学生という身分でなければ、新しいキレイな靴を買うことができない貧乏ですと宣言しているかのよう。
部活を引退した三年生に混じって校門を出る。明日も朝からここに通わなくてはいけないのだと思うと憂鬱で仕方ない。
帰宅。夏樹は春香よりも先に帰ってきているが、友だちと遊びに行っているようで家には誰もいない。黙ったまま自分の部屋に入ってリュックを下ろし、制服を脱ぐ。それから明日の時間割を見てリュックの中身を入れ替える。
明日。明日からのことを考えると耳鳴りがひどくなっていく。
血眼になって守っていたものが露として消えた。六十四平方メートルしかない空間で村八分にされた。
これからの身の振り方を考えなくてはならない。
いや、その必要はないか。選択肢などないのだから。体育の授業でも二人一組になれだの、チームを組めだのと言われるが春香は一人突っ立っているしかないだろう。ホールを借りて行われる合唱祭では一言さえも発することはないだろう。
三年生のクラス替えで、一年に渡って仲良くしてくれるまだ見ぬ誰かと同じクラスになることを願うしかない。だがそんな人がいるだろうか。一年生では入部することが義務づけられていた部活でもうまくいかず、幽霊部員の末、一年生の三月で早々に退部した春香には友だちが少ない。
明日が来ないでほしい。ただの雑音だった耳鳴りが話しかけられているような音に変わっていくのを感じる。耳元で誰かが囁いている。
神様に願う。どうかいいことがありますように。
神様と関わりを持つようになったあの日から春香は「神様」というものを少し調べた。
キリストもムハンマドもブッダも人を救済してくれるらしい。しかし春香が知っている神様は違う。
彼らは「人間よりも人間らしく」をモットーにしている。本人が、天之御中主神が言っていた。神は祟るもの。
人を救ってくれる聖人君主などいない。
春香は窓枠に置いてある天照大御神から貰った腕時計を身に着けてみる。調整されていないメタルバンドは春香の手首には大きくて垂れる。
太陽光で動く針は時間が進んでいることを淡々と示している。心の中で時が止まってほしいと祈る春香を腕時計は無視する。
現実を見たくなくて、春香は腕から時計を外して机の引き出しにしまった。
日にちが経って十一月初週。朝の朝礼で、先週行われた中間テストが全て返却された頃、主要五科目の総合順位が配られた。二百人ちょっといる二年生のなかで春香は百十九位。百位以下にはならないという春香の一年生からの目標は今回でダメになってしまった。
休み時間になるとすぐ、春香は本を開く。孤立してから春香は暇つぶしに小説を読んでいる。今読んでいるのは政変と戦争をテーマにした架空の国の物語。リビングの本棚からなんとなくで選んだ一冊。
ただ耳鳴りは相変わらずで、集中できずになかなか作品に入り込めない。それだけならまだよかったが、ひどい時には授業中の先生の声が聞こえなくなることもあった。クラクラしたり、気持ち悪くなることもある。
耳鼻科に掛かったが異常はないと言われた。脳のほうに問題があるかもしれないから紹介状を書くと提案されたが春香は断った。原因はストレスだとわかっている。なにかしらの薬が欲しくて診察を受けに行ったのだが、異常のない人に処方箋は出されなかった。
毎日通う学校。人の声をかき消す耳鳴りは春香への嘲笑は遮ろうとはしなかった。
昼休み。今日も楽しそうに春香を見て嗤っている。その春香はいつも通りに本を読んで大人しくしていた。
あと五分。五分耐えれば授業が始まる。だが、春香の奥から「なにか」がこみ上げてきた。
それは勢いよく上昇してきた。春香はそれを抑え込もうとした。だが抑えきれず春香のストッパーは吹き飛んだ。そしてその「なにか」を受け入れた瞬間、霧が晴れるように感じた。いつもは邪魔をしてくる耳鳴りも春香の背中を押してくれる。
春香は読んでいた本を叩きつけるように机に置いて乱暴に立ち上がった。椅子の勢いは強く、後ろの裏切り者の机とぶつかって押して、大きな音を立てた。
クラス中が春香に注目している。
春香は教室の後ろで群れている女どものほうへ歩いていく。目の前に立つ。春香はその中のリーダー格の女の髪を掴んだ。
周りがざわつく。
春香は相手を殴りつけるような感覚で怒鳴った。
「私にだってプライドがあるんだ!!」
髪を掴まれた生徒は状況が飲み込めず固まっている。教室も時間が止まったかのように静まり返った。掴んだ髪を引っ張って頭を横に投げる。そして群れてしか行動できない女たちを睨みまわす。
チャイムが鳴った。だが、誰一人として授業を受ける準備をしない。
全員が啞然としているなか、遅れて先生が教室に入ってきた。
「もうチャイム鳴ったでしょ。席に座って」
その指示に春香が一番最初に従った。春香は黙って自分の席に戻って教科書を取り出した。
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