天照大御神2

「初めはここ」

 家々が並ぶその先、案内されたのは大岩の前だった。巨大すぎて見上げると首が痛くなる。

「これなんだと思う?」

 そんなこと聞かれても春香には見当もつかない。ただ、特徴と言われると注連縄が巻かれて、四方にお札が張られている。でも高天原には注連縄もお札もそこら中にあるから全く珍しくない。それでもここに案内したということは意味があるのだろう。

「実は神様とか」

 振り絞って考えた割には雑な回答に天照大御神は正解、よくわかったねと褒めてくれた。

「この岩は石長比売いわながひめ

 研磨されずにゴツゴツとした不格好な岩は野性味あふれている。

「はーちんは絶対に触っちゃダメだよ」

 天照大御神は春香の目を真っ直ぐ見て警告する。

「どうしてですか?」

「こんな馬鹿でかい神力の塊に触ったら、人間のはーちんは吹き飛んじゃうから。あたしみたいに生き物の神は神力の扱い方をマスターしてる。でも石長比売みたいに物体の神は力を放出し続けてるから札で抑えるんだけど、この子は力が強すぎて」

 そうなんですねと春香が返事をする前に、天照大御神は「次、行こー」と行ってしまった。春香はそんな天照大御神を追いかけた。

 次に連れてこられたのは小高い丘の頂上だった。向こうに大きな洞窟が見える。夏、緑の多い高天原にぽっかりと空いた穴。空洞の周りに黒い植物が張っている。入口は大きく口を開け、飲み込まれてしまうような錯覚に陥る。少し距離があるのにもかかわらず洞窟から腐臭というのか顔をしかめたくなる匂いが漂ってくる。

「あそこは黄泉の国への入り口。絶対に入っちゃダメ。なにがなんでもダメ。帰ってこられなくなるし、誰も助けに行ってあげられない」

 天照大御神は真剣な表情で教えてくれる。洞窟は入口から坂が下っているのは確認できるがその先は真っ暗でなにも見えない。脈動するようなリズムで時折黄泉の国から鼻を捻じ曲げられる悪臭が漂ってくる。それを全身に浴びるたびに体が重くなっていく。心のざわめきが大きくなっていく。

 天照大御神は絶対に入っていかないようにともう一度念を押す。もし入っていったら。

「人間のあなたは魂も残らない」


 最後はここと連れてこられたのは天之御中主神の家と同じ、神社のような外見の建物だったが、大きさを比較すると幾分か控えめだった。ただ天之御中主神の家とは違って新しかった。木造の柱は綺麗な薄橙色で木目がはっきり見てわかる。

 装飾も映えていて煌びやか。付近の建物はかなり年季が入っているから、つれてこられたここだけ異様に感じる。植わっている木も苗木が少し大きくなったほどの弱弱しいものばかり。けれど同じように敷地いっぱいにモノが置かれている。

「あたしの家。上がってって」

 和室が続く家の中には至る所に大量の本が山積みにされていた。表紙はすべて日本語で書かれている。古いものもあれば新しいものもある。それらの間を縫って縁側を進む。前を通る部屋全て、畳の香りが漂う。

「あたしの持ってる敷地だけじゃお土産置ききれなくて。あーちゃんのところにも置かせてもらってたの」

 通された部屋は片付いた一室だった。春香の部屋よりは広い和室にテーブルと椅子が置かれている。天照大御神は部屋に差し込む西日を遮るために障子を閉めて、部屋の端に立てかけてあったくたびれたバックパックを漁る。

「食べられないものとかある? 紅茶は飲める?」

「大丈夫です」

 天照大御神はケーキ箱とペットボトルの紅茶を二本取り出して、春香に椅子に座るよう促す。

「食べよ」

 天照大御神はにこやかにお茶会の準備をする。なんだかうれしそう。しかしふと目に入ったケーキ箱を見て春香はギョッとする。小さく25.4.1993と書かれていた。数字しか書かれていないがそれがなにを意味するかはわかる。

「あの、これ、食べられるんですか」

 春香の青ざめた顔に天照大御神はキョトンとする。

「もしかしてアレルギーある?」

「いやそうじゃなくて、日付」

 春香が指差す文字を天照大御神は確認する。

「ああ、消費期限ね。なんの問題もないよ、気にしないで」

 天照大御神は怯える春香を気にせずに四角く焼かれたお菓子を差し出す。

「…ありがとうございます」

「これはバクラヴァって名前のお菓子でね、ギリシャにいるときに買ったの」

 天照大御神は大きな口を開けて食べ進める。口に運ぶたび、「んー」唸って顔を綻ばせている。その表情を信じて春香もバクラヴァを食べる。

「おいしい」

 触感は薄いシュー生地が重ねられていてサクサクしている。パイを食べているような。そして噛みしめるとシロップが溢れ出してくる。同時にナッツの香りが口に広がる。

 異国のお菓子にフォークが止まらない春香を天照大御神はじっと見つめる。そんなに見つめられたら食べられない。

「あの、なんですか?」

「あのね、あたしと友だちになってほしいの」

 思いがけないお願いに春香は考える前に反射的に「いいです」と答える。その返答に天照大御神は身を乗り出す。

「YESの「いいです」だよね? NOじゃないよね?」

 自分が瞬間に答えた言葉を思い出して「はい」と頷く春香に天照大御神は安堵の表情を浮かべた。

「これからはタメでいいから」

「はい、あ、うん」

「じゃあ、ギリシャのお菓子のついでにギリシャ神話の太陽神のお話をしてあげよう」

 天照大御神は得意げになって胸を張る。

「ギリシャ神話の太陽神はヘリオスって言ってね、毎日朝に、四頭立ての黄金の馬車? 戦車? で空を東から西に横切るんだって。それで夜のうちにこれまた黄金の杯でオケアノスっていう海を渡って東に戻って、を繰り返すんだって」

 天照大御神は楽しそうにわかりやすく説明してくれた。

「ギリシャにも高天原みたいな神様の世界ってあるんだ」

「それはどうだろう、わかんない。あたしも世界には神が実在すると思って。それで、いろんな考え方を聞きたくてあっちこっち周ってたの。「日本の太陽神、天照大御神だ。話がしたい。出てきてくれないか」って叫んだんだけど、どこに行っても誰もうんともすんとも言ってくれなかったの。ひどくない?」

「カチコミだと思われたんじゃないかな。怖いよ。そんなこといきなり宣言されたら、誰だって」

「そうかな」

「ギリシャだと神殿があるんだっけ?」

「そうだよ。すごかった。マジで目玉が飛び出るかと思ったもん」

「まさか、そういう観光地で」

「叫んだ」

「恥ずかしくなかったの?」

「あたしが何年間生きてると思ってるの? 恥も外聞もないよ、とっくに」

 天照大御神は次のお菓子を開けている。これは日本語で書いてあるから読める。

 トリュフチョコ。

「あたし、トリュフチョコって、あの三大珍味のトリュフが入ってると思ってたの」

 天照大御神はトリュフチョコを一つ、口の中に放り投げる。

「思い込みはよくない。場合によっては誰かが傷つく」

「トリュフチョコじゃあ誰も傷つかないよ」

「フフッ、甘いものは皆を幸せにしてくれるもんね」

 春香も過去に思い込んでいたことを口にする。

「私は夏の夜に聞こえる「ジー」って音、ずっとミミズが出してる音だと思い込んでた。ミミズが体を小刻みに振動させて音を出してるって、昔、友だちに間違ったこと教えてちゃってた」

「間違いは誰にだってあるよ。ただそれが、取り返しがつかないことかどうかの問題。はーちんのはかわいい」

 天照大御神はチョコが入っていた袋を限界まで小さく畳んでいる。気が済むと立ち上がり障子を開いた。

「もう夜だけど泊まってく? どうする?」

「え、うそ!?」

 確かに夜の虫の鳴き声が聞こえる。部屋の中が明るかったせいで時間を誤認していた。

「もう帰らなきゃ」

 春香は急いで玄関に向かい靴を履いてから神器を取り出し、門を開く。形はまだ歪だがそれでも前回よりは上手になったと思う。

「お菓子、ありがとうございました!」

 見送りとしてついてきていた天照大御神にお礼を言って門に飛び込んだ。

「いつでも遊びに来てね」

 天照大御神は口にトリュフチョコを放り込んで春香に手を振った。


 街灯が整列する道路。歩道は無い。時々点滅する蛍光灯の光では夜道を照らしきることはできない。夏の大三角が夜空にか細く瞬く。肌に張り付く湿気は暑さをより不快なものに昇格させる。

 走る春香は天照大御神から貰った時計で時間を確認する。八時十五分。現世に戻ってきてから数秒後にスマートフォンに大量の不在着信の通知が届いた。すぐに折り返して嘘をつく。友だちの家でゲームに夢中になっていた。

 お父さんが迎えに行こうかと心配してくれたが、もうすぐ着くからいいと断った。

 道の向こうで自転車を押しながら屯している七人の集団がいる。出来上がってない華奢な身体を服で飾りつけて、おしゃれという名目で肌を露出している。そして蚊に刺された箇所に爪を立てて搔いている。

 春香はそいつらを知っている。知っているからこそ、目を合わさずに黙って横を走り去る。

 春香が通り過ぎると後方からクスクス嗤う声が聞こえた。

「あれ野口じゃない?」

 夏休みの終わりにいないはずのクビキリギスが鳴く。

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