天照大御神

天照大御神1

「あぢぃーーー」

 春香はスマホを持って街の中を歩いていた。

 夏休みの宿題その1。美術、「自分の街の好きな場所」を指定の画用紙に描く。

 今、場所の選定を行っているところだった。だがしかし、住宅が密集している平凡な街にピンとくる場所もなく。ぞんざいに決めてスマホで写真を撮って涼しい部屋で創作活動に勤しむ、という計画の第一段階ですでに行き詰っていた。

 どこかに描きやすくて絵になるところはないか。絵のレベルが幼稚園児で停滞している春香にとって、この宿題は如何にシンプルな外見のモデルを探し出し、どれくらい上手に描けたように魅せるかが重要だった。

 朝、まだ涼しいうちに出発したのにもかかわらず、いつの間にか昼前になっていた。すぐに帰るつもりだったから日焼け止めクリームも塗ってないし、日傘さえ持ってきていない。

 あれから一週間。高天原には行っていない。特に用事はないし、もちろん呼ばれないし。

 作ってもらった神器は神力そのものだから一般の人は視認することも触ることもできないと言われた。だから隠すことなく机の上に置きっぱなしにしてある。だからこのままだと春香専用の鍵は埃をかぶってしまう。

 あの日、参道を天之御中主神と一緒に歩いているとき、たしか高天原では儀式やお祭りがあるって言っていた。けど、いつ開催するのか日程までは聞いてない。ここは積極的に自発的に行動するべきなのか。

 暑さに耐えかねて春香は策をめぐらせる。「自分の街の好きな場所」ということは自分の家の中でも許されるのではないか。そこで描きやすいもの。テレビとか。長方形に線を引いて、画面に映ったという設定で犬の絵を描く。または玄関に並んでいる靴を描くとか。サンダルなど簡単に特徴を捉えやすいやつを選ぶとか。

 しかし頭の固い美術の先生がなんと言うだろう。

「こういう時、普通風景画を描くでしょう。なんですかこれは。真面目に取り組まなかったのですね。描き直しです」

 なんて怒るに決まっている。そうなったらクラスの笑い者だ。

 こうなったらベニヤ板神社にするか。別に好きな場所ではないが、鳥居を描けば神社であることは表現できる。ここからも近いし。

 そうだ、これしかない。絵が下手な私に描いてほしいと言わんばかりののっぺりした飾り気のないあの建物。私が芸術的に描いてあげよう。


 神社に着くと汚れた鳥居に張り紙がしてあった。なんて罰当たりな。

 ところが書いてある内容を見て、ここに張り紙を貼った人物はそんなことを一ミリも気にしない人物であることがわかった。

『一週間ぶりだね。元気? ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。大きめの袋を持って僕の家に来てくれないかな』

 文章の最後に『天』に〇の字のサインが書かれていた。春香はセロハンテープで張り付けられていたそれを剥がして正面から神社の写真を撮った。そしてもう一度書置きを読む。

 和紙に鉛筆で書かれた文字は崩して書いてあったが柔らかく読みやすい。

 手ぶらで出できた春香は袋はもちろん、門を開く鍵さえ持っていない。一度帰らなくてはいけないのが億劫だった。

 お昼ご飯を食べてからでいいか。春香は急ぐことなく家に戻った。


 長い参道を歩いて天之御中主神の豪邸に到着するとたくさんの神様とモノで溢れかえっていた。そこにいる神様全員が和服を着ていて洋服の春香は悪目立ちしていた。それなのに周りの神様は春香には目もくれず、わいわい物色している。

 そんな中、シャツに短パンの子どもが春香のもとに近寄ってきた。

「やっと来てくれた。待ってたんだよ」

 笑顔の天之御中主神は口いっぱいになにかを頬張っている。

「どうしたのこれ」

 春香は敷地いっぱいに散乱している大小様々なモノを見渡す。

「天照のお土産」

 天之御中主神は食べていたものを飲み込んでゲップをした。

 春香は足元に転がっている十五センチメートル四方の箱を拾ってみてみる。手に取ってみると軽くて、振るとカサカサとかさばる音がするがパッケージには外国語が印刷されていて、なんて書いてあるのか全く読めない。

「アマテラス? お土産?」

「太陽の神、天照大御神あまてらすおおみかみ。ずっと遊学してたんだ。それで昨日帰ってきた」

「神様が遊学…。どこの国に?」

「太陽の神話が伝わる国に片っ端から行ってきたんだって」

「それでこのお土産。神様ってお金持ちなんだね」

 向こうで何柱かがじゃんけんを始めている。欲しいものがかぶってしまったのだろうか。ある神は深刻に、ある神は楽しんで、ある神は目移りしながら。各々がターゲットにそれぞれの思いを込めて、三択の中から一つの手を選択している。その周りでは誰が勝ち残るかを賭けている神がいる。勝って喜ぶ者も、負けて残念そうにする者もすぐに笑いあって肩を組んでいる。

「天照は特別。要領がいいからね。そうそう、袋は持ってきてくれた?」

「持ってきたけど」

 春香は肩にかけている中学校指定のサブバックを見せる。

「それじゃあ全く役に立たないよ」

 天之御中主神は巨大なトーテムポールを指差す。

「あんなのどうやっても持って帰れるわけないでしょ」

 大体、天照大御神はどうやって持って帰ってきたのか。

「あーちゃーん」

 人だかりのあるほうから誰かが大きな声で誰かを呼びながら手を振って走ってくる。

 横を見ると天之御中主神が手を振り返していた。そしてあの人が天照だよと教えてくれた。

 天照大御神は春香より少し年上の女の子だった。腰まである黒髪はストレートで艶がある。白いスカートは膝下丈。薄い黄色のシャツ。シンプルな黒のスニーカーでコーディネートに引き締め感を演出している。天之御中主神同様、現世にいたらこの人が神様だなんて誰も気づかない。

「どう? 気に入ったのあった?」

 大和撫子はキラキラした目で子どもを見下ろす。対する子どもは、光り輝く眼差しを無視して自分の横に立っている中学生を指差す。

「あれ、人間」

 天照大御神は目をパチクリとまばたきさせて高天原訪問二回目の春香を確認する。そして満面の笑顔で両手をとって握ってきた。

「ごめーん。小さくて気がつかなかった! アハハッ」

 春香は唖然とする。陰でコソコソと悪口を言われたことはあったが面と向かって言われたのは初めてだった。それに春香は大柄ではないが小柄でもない。

「神力の話だから気にしないで」

 天之御中主神のフォローに、天照大御神がンフフと笑う。

「この子は野口春香ちゃん」

 前回と同じように紹介されて春香はよろしくおねがいしますと頭を下げる。

「よろしくー。私のことは天照って呼んで。ねーこの置物チョーかわいくない?」

 天照は蛙のように認識できる生き物を模ったガラス細工をポケットから取り出した。カラフルに色づけされていて毒々しい。

「蛙が好きなんですね」

「蛙なのかな。わかんない。なんだろう」

 天照大御神は手に持った四つ足の生き物を見つめて悩んでいる。

「自分で買ったんじゃ…」

「これはどうだろー。買ったんだっけ? 貰ったんだっけ?」

 天之御中主神はいつの間にか向こうで箱を開けてお菓子を頬張っている。そして近くにいた神にこれおいしいよと話しかけている。

「四十年くらいあっちこっち行ってたから、もうなにがなんだかわからなくって。まあそんなことはいいじゃん。はーちんはどう、気に入ったのあった?」

「えっ? えっと、まだ見つけてないです」

 はーちんとは私のことだろうかと疑問に思ったが黙って受け入れることにする。

「マジ気合い入れて選んできたの。これとかいいんじゃない?」

 天照大御神は足元に落ちていた正方形の紙箱を拾って渡してきた。

「なんですかこれ?」

 包装に描かれた文字はぐにゃぐにゃしていて、くるくるしている。

「スフィンクスクッキー! おいしいから食べて」

 天照大御神は紙箱を春香に強引に渡すと次の神のところに走っていった。

 春香は他にも中身が予想できる食べ物をもらっていくことにした。多分チョコレートと恐らくケーキともしかしてスナック。

 異国情緒多彩な宝の山から食べ物を探すのは労力を使ったけど、見たことのないものをたくさん見て触って、春香は久しぶりにわくわくした。

 目に入るモノ入るモノに手が伸びていく。幾何学模様の皿、花柄のコースター、陶器製の象の置物に木製のしゃれこうべ。

 他の神たちは春香に話しかけてこなかった。高天原では珍しい人間がいることを気にする素振りもない。見ず知らずの人間だからかそもそも興味がないのか天照大御神と同じようにここにいることに気づいていないだけなのか理由はわからない。

 誰にも認識されていないとしても春香はそこにいる。そこにいるから神たちの会話が聞こえてくる。皆口々に同じことを言う。天照大御神は変わったと。

 時間が経って神たちは続々と帰っていく。賑わっていた敷地も閑散となり、疎らに残っている神たちは談笑している。足の踏み場もなかった地面にはゆとりが生まれていた。

 周りを見回す春香は棚の上にある時計が触られた形跡がないまま丁寧に並べられているのを見つけた。春香は余り物たちを眺める。子どもが買ってもらうようなおもちゃから社会人が身に着けるような本格的なもの、そしてインテリア用の砂時計。

「やっぱり時計が残っちゃったか」

 いつの間にか隣に立っていた天照大御神は自分の腰に手を当てて春香に話しかける。

「皆さん時計は使わないんですね」

「うーん、疲れちゃってるから」

「たしかに。あんなにモノがたくさんあると、探すのも疲れちゃいますから。ほとんど帰っちゃいましたし」

 天照大御神は後ろを振り返って居残って駄弁っている神を見る。

「…そうだね」

 一瞬なんとも言えない表情になったがすぐに笑顔に戻って春香に勧める。

「でもまあ、まだまだたくさんあるから持ってって」

「いえ、もうたくさん貰いました」

 春香はお菓子で少し膨らんだサブバックを肩にかける。

「えー。それだけでいいのー?」

「これ以上は申し訳ないです」

「あたしも余ったら困るんだよね。置くところないし。だって私の家にまだ山ほどあるの」

 じゃーんと手に持っている雑貨を見せてくる。

「これとかどう? ブレスレットなんだけど。たしか南米で買ったやつでね、こわーい悪霊を祓ってくれるんだって」

 自分の腕につけてジャラジャラと鳴らす。

「これだけで大丈夫です」

 断ると天照は残念そうに腕から外して時計の横に置いた。

「じゃあ時計あげる。人間には必要でしょ」

 天照大御神は大人の女の人が身に着ける少し小さめのシルバーの腕時計を手渡してきた。

「こんな高価なもの貰えません」

「遠慮しないで。これ太陽光で動いてるの。エコでしょ。今日会った記念に、ね?」

 太陽の神の素直で屈託のない微笑は優しくて眩しくて、気づけば自分も笑っていた。

「じゃあ、行こうか」

「どこに?」

「はーちんに高天原を案内してって、さっきあーちゃんに頼まれたの」

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