天之御中主神3

 次の日、昨日の神社に行くと昨日とは違う半袖半ズボンの格好をした子どもがいた。どこから持ってきたのか、箒とちりとりを傍らに置いて、せっせと雑草を抜いている。春香が近づくと子どもはこちらに気づき笑顔で手を振ってきた。

「来てくれたんだね」

 子どもは作業を中断して、人差し指を社に向け、光の輪を作った。昨日と同じ、異様な雰囲気を放ちながらも不思議と恐怖は感じさせない。きっとこれを神々しいと言うのかもしれない。

「さあ、行こう」

 春香は天之御中主神に手をひかれて、光の中に入った。

 光を越えると道の真ん中に出た。光で作られた門を「通った」という感覚はなかった。あれだけの光量をまたいだにもかかわらず、暖簾をくぐるようになにもなかった。ただ空気が変わったのを感じた。

 夏、コンビニに入る時のように明らかな違いがあった。澄んでいて、肺の奥まで浄化されるような。排気ガスのにおいはもちろん、塵一つ漂っていないのではないかというほど綺麗だった。キリッとした澄んだ空気が拍車をかけて、魂が洗われるような感覚に襲われる。自動的に善人になっていくような。そしてなにより暑さが柔らかい。

「ようこそ、神の世界へ!」

 天之御中主神は両手を広げて春香を歓迎した。

 今立っている石畳は真っすぐ遠くに見える森まで続いている。その両脇に灯篭が並んでいて、不思議なことに上下対称に二つくっついている。周りを見ると地平線がなかった。空も地面も青かった。

「浮いてるの?」

 春香は恐る恐る石畳の端まで行って、下を覗こうとした。春香が顔を出すと、同時にもう一人の春香が顔を出した。

「びっくりした…」

 春香は手を伸ばし、鏡合わせになっている自分に触れた。すると目の前の自分は歪んで、指に冷たさを感じた。水が張っているんだ。春香は理解する。

 春香が感動していると天之御中主神が声をかけてきた。

「行こう」

「どこに?」

「あそこ」

 そう天之御中主神はずっと奥にある森を指さした。

「森?」

「あそこに僕の家があるから」

「すごい豪邸に住んでるんだね。でも」

 高天原。美しいことに変わりはないけど。

「高天原ってあなたの家しかないの?」

 視界にはただ広いだけの世界でポツンと森が、もとい天之御中主神の家しかない。どれだけ美しい風景も、独りぼっちだとすごく寂しく見えてくる。

「いやいや、そんなわけ。うしろうしろ」

 そう言われて、春香は振り返る。

 さっきくぐった光の門が消え、とてつもなく大きい鳥居が眼前にあった。木の質がそのままの鳥居の足の太さは両腕を広げても足りない。水面は鳥居を境に終了し、石段が下っていた。そして下には和風な大小様々な建物が連綿と続いていた。

「さ、行こうか」

 街並みに夢中になっている春香を天之御中主神は呼ぶ。その表情は照れているような、誇らしげのような、そんな風に見えた。母親に褒められた子どものように。


 石畳を進んだ終点。

「また鳥居がある」

 さっきよりも控えめな、けれどそれなりの大きさがある。

「さっきのは一の鳥居、通称大鳥居。これは二の鳥居」

 天之御中主神が教えてくれる。二の鳥居は大鳥居とは違って白い石で造られていた。そしてここから土が現れ、木々の領域が始まっている。それぞれの幹は太く、高い。

 森を少し進んで、木々に囲まれた木造家屋が自分の家だと紹介された。パッと見では神社の雰囲気があるが、賽銭箱がなくて玄関があるなど、生活するのに適した構造になっている。そして春香の家より何倍も大きかった。正面には太い注連縄がかかっている。手前には白い狛犬が厳しい表情で鎮座している。

「ここまで疲れたでしょ。ささ、上がって。お茶でも飲もう」

 天之御中主神は正面の引き戸を開けて中に入った。

 だだっ広い和室に通されて、天之御中主神は部屋の真ん中に座布団を二枚敷いた。そしてお茶を入れてくると言って襖の向こうに消えていった。

 春香は座布団に座り、部屋を見まわす。四方襖に囲まれているのに照明がない。それなのに部屋の中は優しい光で照らされている。明るさは春香の部屋と大差ない。欄間にはきめ細かい彫刻がされており質素ながら豪華だった。畳の匂いが微かにする。その畳は一枚一枚が大きい。

 誰もいないのだろうか。静かすぎて耳鳴りが聞こえてくるほどだった。

「なんか寂しい」

 無意識につぶやくと、ちょうど襖が開いた。

「でしょう。寂しいよね。昔はたくさん人がいたんだけど」

 天之御中主神はお盆に湯呑とお茶菓子を二つずつ乗せて戻ってきた。襖が開いたときにはお盆を手にのせたまま立っていた。おそらく足で開けたのだろう。敷居を踏みつけながらまたぎ、そして器用に襖を足で閉めた。

 天之御中主神は座ってから春香の前に湯吞とお茶菓子を置いてくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 天之御中主神は自分で注いだお茶を飲んで一息ついている。春香もいただくが普通のお茶だった。おいしい。

「昔はたくさんいたって、どうして今はいないの?」

「うーん。簡単にいうと時代が変わったってことが大きな理由かな」

「時代?」

「昔は生きること自体がすごく大変だったのは知ってる? 疫病、飢餓、戦、災害。それから、その時代の考え方だけど悪霊とか。神もその一つだったけど。その日を生きるのが精一杯だった人がたくさんいた。だから二度と向こうに戻れないとわかっていても喜んで来てくれる人がたくさんいた。ここには疫病も飢餓も戦も災害もないから。ああ、向こうっていうのは現世うつしよのことね。君が住んでいる世界」

「二度と帰れないって、わ、私も帰れないの…?」

「君は自在に出入りできる。神力があるからね。後で渡す神器と少しの神力があれば行き来は自由にできる。でも神力を持っている人間なんてそうそういない」

「じゃあ家族と永遠に会えないことと引き換えにこっちに来ていたんだ。辛いね」

「そうかなぁ? 昔と今の価値観はだいぶ違う。跡取り息子さえいればその他の子どもなんてただの労働力で、お金に困ったら売る。生まれた女の子の間引きなんかもあったね。他にも姨捨山って話、知ってる? 喰いぶちを減らすために親を山に捨てる。人殺しだって別に特別なことじゃなかった。だから高天原に来ることは願ってやまない幸せだった」

「……」

「でも時代が変わった。娯楽がない、進歩がない。なにもない。なにも変わらないこの世界は人間にとってつまらないものになった。それに今は人と人のつながりが深いから、数日いなくなっただけで大騒ぎになるし。特に、君のような子どもは」

「確かに」

「まったく、ここはいつも人手不足だよ」

 天之御中主神の視線が少し下がる。それからなにも喋らなくなってしまった。しーんとした時間が流れる。

 なにか話したほうがいいのか。それともこの空気を壊さないほうがいいのか。春香は天之御中主神の顔色を窺う。教室の春香であるならばすぐに話題を作る。つまらない奴だと思われないように。

「どうしたの?」

 春香の感情の揺らぎを感じ取ったかのように天之御中主神は穏やかに声をかける。

「あ、いや、私なんの神様になるのかなーって思って」

 春香はとっさにいつものようにお茶を濁す感覚で質問する。

「そのことなんだけどね、実は決まってないんだ」

「でも最初に会ったときに神様になってほしいって」

 予想外の答えに春香は呆気にとられる。そんな春香を見て天之御中主神は神になってはもらいたいってことは決まっていると言いなおす。

「でも神には何種類かあるんだ。簡単に説明すると、一つ目、まずは僕のように存在そのものが神力、神力の塊で意思がある、要するに生まれながらの神。そして二つ目、付喪神。神の影響で物体に神力が宿ったもの。三つ目に君。人間でありながらも神力を持っている稀な個体。現人神になりえる人。そしてその現人神になってもらうには神名を与える必要があるんだけど、既存の神に当てはめるか、新しく創るか——」

「……」

 相槌も返事も帰ってこないため天之御中主神は話の途中で春香の顔を見る。

「ついてこれてる?」

 春香は首を横に振る。

「もっと簡潔にまとめると、僕が君に椅子をプレゼントしようとするでしょ。椅子というカテゴリーは決まっているけど、自作で木材からDIYするか、アンティークものにするか、どっちにしようか悩んでるって感じ」

「はぁ」

 健気に説明してくれる天之御中主神に申し訳なく思い春香は頷く。

 その時、突然玄関の引き戸が力任せに開く音が響いた。

「なに!?」

 春香は振り返る。

「怖がらなくて大丈夫。いつものことだから」

 天之御中主神はお茶を飲みほしてから気持ちよさそうに伸びをした。

「君のも片付けていいかな」

「はい」

 春香はなにがなんだかわからないが、とりあえず残っていたお茶菓子をお茶で流し込んだ。

「じゃあ、片付けてくるから。君はここで待ってて」

 天之御中主神は湯呑とお皿をお盆に乗せて台所の方へ行ってしまった。その間にもドカドカと音はどんどん近づいてきている。もうすぐそこに来ていることがはっきりわかる。

(一人にしないでよ)

 言いつけ通り、おとなしく待つ。春香はいざという時のために敷いていた座布団を盾にして構える。そして襖が暴力的に開けられ、ガンと大きな音を立てた。

「ひゃっ!」

 春香は反射的に体を強張らせ、座布団を手が痛くなるほど強く握った。

「私やっぱり神、辞めるわっ!!!」

 突撃してきた人物はいきなりそう宣言した。

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