天之御中主神2
かつての新興住宅街。古いデザインの一軒家が建ち並ぶ地区。春香の自宅はそんな家々のなかでも比較的新しい一軒家だった。二階建ての我が家は外壁が白いゆえ、ところどころの雨だれが目立つ。
「ただいまー」
春香はサンダルを乱雑に脱ぎ捨て、ダイニングテーブルに荷物を置いた。そしてマイバッグの口を広げ冷食とアイスの様子を見る。と、只今お店の冷凍庫から出したかのようにガチガチに凍っていた。
「どうして…?」
夏休み。
その間、帰宅部の春香は家事の一切を任されていた。春香は買い込んだ食品たちを冷蔵庫の中に押し込む。安売りしていたからと少し買いすぎてしまったと反省する。
収納し終えると一息つく。と同時に動きを止めたせいで汗が噴き出してきた。暑くてたまらない。急いでクーラーの電源を入れて冷風が直接当たるポジションに立つ。
「涼しいー。ここは天国か」
心地いい風が春香の体にぶつかる。さらに扇風機も追加し体の熱を一気に冷やしにかかる。
汗が引き始めると、春香はさっきの不思議体験のことを冷静に思い出す。それにしてもあの子ども、怪しい。
(新手の詐欺か?)(それとも宗教勧誘かもしれない)
だとしても子どもを遣わせるだろうか。そしてあの怪奇現象。大体「アメノミナカヌシノカミ」ってなんだ? 聞いたこともない。
春香はバッグからスマホを取り出して検索エンジンに聞いてみる。
…………。日本神話の天地開闢において登場する神。日本神話の別天津神にして造化三神の一柱。
「ん?」
別のページを開く。
「うん?」
説明を見てもよくわからないから画像を検索してみるがムッとしたおじさんだったり、綺麗な女の人だったりして、あの子どもとは似ても似つかない姿ばかり。
やはりからかわれただけなのか。そう思ったがあの超常現象が印象に強く残っている。
「本当に神様なのかなあ」
無意識にそう呟くと、ちょうど二階から降りてきた弟が馬鹿にした様子で見てきた。
「なに? ついに目覚めたの?」
「うるさい。それよりお風呂、ちゃんと洗ってからお湯入れてくれた?」
「やったよ。うるさいなあ」
最近になって反抗的になった夏樹は食器棚からコップを、冷蔵庫から麦茶を取り出し、注ぎながら冷蔵庫の中を物色している。
「麦茶、もうなくなりそうだから作っておいてよ」
野口家では麦茶をポットの残り四分の一に到達させた人が次のストックを作るルールになっている。
「まだ大丈夫だよ」
夏樹はポットを見せつけるように突き出し不満そうに答える。
ちょっと前までおねえちゃん、おねえちゃんとすぐ後ろをくっついてきていたのにこんなに生意気になってしまった。
そんなことを思っていると自分が汗で臭いことに気が付いた。
「くさ」
お風呂入ろう。
アイスは証拠隠滅のために帰ってきたらすぐに食べようと思っていたけれど、お風呂から上がってからおいしく食べることにした。
お風呂から上がると仕事から帰ってきたお母さんがソファーでくつろいでいた。そしてその手には買ってきたアイスが。
「あー! 私のアイス! 頑張ってるご褒美に買ってきたのに」
春香が叫ぶとお母さんは即座に反撃してきた。
「頑張ってるって家事? なに言ってんのよ、ちょっとやったくらいで。お母さんのほうが疲れてるの。無駄なお金を使ったことは目を瞑るから。ほら、さっさとご飯作って食べさせてよ」
それだけいうと視線をテレビに戻して笑い始めた。ローテーブルには空のコップが置いてある。そしてキッチンでは夏樹がポットを洗っている。
「それ終わったら野菜切ってよ」
春香は野菜室からネギを取り出し、まな板の上に置く。
「ネギ切って、なに作るの」
「蕎麦」
「えー。蕎麦って、昨日そうめんで一昨日うどんだったじゃん」
「なら自分で作ってよ」
「俺は作ってる」
「作ってるって私に言われたとおりにしてるだけでしょ」
春香はネギを刻み始めた弟の手元を見た。
「姉ちゃんだって茹でてるだけだし」
夏樹は鍋を準備する春香の手元を見た。
「献立考えてるもん」
「こんなの考えてるうちに入らない」
お母さんはテレビに映っている流行りのお笑い芸人を見て笑っている。
「じゃあなにがいいの。あんたが考えてよ」
「ハンバーグとか、カレーとか」
「うわ、ベタベタのベタ。子どもだなあ」
「自分だっておんなじじゃん。めんどうくさいからってうどん・そうめん・蕎麦って。じゃあ明日は冷やし中華ですか」
「いいじゃん冷やし中華。望み通り明日は冷やし中華にしてあげる」
「またラクしようとしてる」
「冷やし中華は大変なんだよ。そんなことも知らないの? バカだなぁ」
喧嘩がヒートアップしてきたところでお母さんが怒鳴った。
「口ばっかり動かしてないで手を動かしなさい!」
「沸騰するの待ってるの‼」「だって姉ちゃんが‼」
「片方が火使って、もう片方が包丁使ってんだから集中しなさいって言ってるの!!!」
「……」「……」
そんな言い合いをしているとお父さんが帰ってきた。
「おっ! 今日は蕎麦か。楽しみだなあ」
「できたよー」
蕎麦を四つのお皿に盛って、刻んだネギを小皿に盛る。めんつゆを冷蔵庫から出して希釈用の水も準備する。そして春香とお父さんの席に納豆を置いて完了。四人で席について手を合わせる。
「おなかすいたー」
全員で勢いよく蕎麦をすする。
「んー、おいしい」
テレビからの笑い声とともにズルズルという音が食卓を賑やかにする。
「二人とも宿題はやってる?」
お母さんがいきなり耳が痛くなることを聞いてきた。夏休み限定の恒例の質問。
「まだ始まったばっかじゃん」と夏樹。
「始まったばっかって言うけどもうすぐ一週間経つのよ。ちゃっちゃと終わらせなさいよ」
「いいなあ、大人には宿題無くて。姉ちゃんもそう思うだろ」
「…別に」
夏樹からの同盟の誘いに春香は素っ気なく答える。なぜなら昔、同じことを言って怒られたことがあるから。桑原桑原。
弟は加勢してくれると思っていた姉に裏切られたと思って睨んでくる。
「あんたねぇー」とお母さんのスイッチが入った。
夏樹が説教されている中、春香とお父さんは黙ってテレビを見ていた。
蕎麦のおかわりはたんまりある。この量だと明日の朝も蕎麦になりそう。
食べ終わった後の洗い物をし終えて部屋に戻ろうと階段を上がると、春香の部屋のドアの隙間から光が漏れているのが見えた。電気をつけっぱなしにしてしまっていたのか。そう思って中に入ると天之御中主神がベッドの上に座って、春香のお気に入りの漫画を読んでいた。
驚きと恐怖で春香の体は固まる。そんな春香に気づき、天之御中主神は「あー、ごめんごめん」と読んでいた漫画を棚に戻した。
「なんでここに」
春香は幽霊でも見たかのような恐怖に襲われ、頭は真っ白になる。
「君にどうしても神になってほしいから」
天之御中主神は堂々とベッドに座ったまま喋る。
「いやそうじゃなくて、どうやって部屋に」
「門を開けたんだよ、この部屋に直接」
「門って光ってたやつ? でもさっきは神社に」
「人間は神社からじゃないとダメなの、色々足りないから。でも僕みたいに神力が強い神はどこにでも門を開けられる。まあこっちに座って」
天之御中主神は突っ立ったままの春香に春香の学習椅子に座るよう促す。プチパニックの春香は言われるがままに座った。
「人間はダメって、自分だって人間でしょ。本当の名前はなんていうの?」
「だから、僕は人間じゃない。僕は生まれた時から神。天之御中主神が名前」
「……」
未だに信じない春香に天之御中主神は面倒くさそうな視線を向ける。
「僕が君の部屋に不法侵入している時点で信じてほしいけど」
そう言って天之御中主神はベッドの上に置いてあったぬいぐるみを手に取る。それは春香が小学生の時の誕生日に買ってもらった白ウサギのぬいぐるみだった。名前はピョン子。
プレゼントしてもらった当時は、耳がピンと立っていたが今では両耳とも倒れてしまっている。
天之御中主神はくたびれたぬいぐるみを両手で持ち目を瞑ると、それが淡く光り出した。そして光はぬいぐるみに吸い込まれていった。
春香は天之御中主神とピョン子を交互に見る。天之御中主神が目を開き、ぬいぐるみを春香に手渡した。春香が受け取ると突然、ピョン子の耳が立ち上がった。
「!!」
春香は動いたそれを投げるように机に置いた。ウサギにとって耳は重たいらしく、しおれようとするのを必死に持ち上げている。
「これには今、付喪神が憑いている」
天之御中主神はピョン子を手に取って鼻のビーズを押す。
「付喪神?」
「この子は神様になったってこと。正確に説明すると神の力を憑かせただけ。これで僕が神だってことわかってもらえたかな」
春香は下を向きながらも首を大きく曲げて頷く。
「でも、神様ってもっとこう、白いひげを蓄えたおじいさんをイメージしてた」
「そういう見た目の神もいるから間違ってはないよ」
「ねえ、どうしてウチを知っているの? ここが私の部屋だってことも。今日会ったばっかりなのに。それも神様の力?」
その質問に天之御中主神はううんといって首を横に振る。
「正直に答えるとここ最近、君のことを観察してたんだ」
「観察?」
「後をつけてたってこと。尾行」
「えっ、こわ」
「ごめんよ。でも見極めなきゃいけなかったから」
「なにを?」
「本当に神になる資格があるのかを。神になるために必要なことは二つ」
天之御中主神はピョン子の両耳を折る。そして「一つ目」といって右耳を立てる。
「
「「シンリョク」ってなに?」
「言葉のままだよ。神の力。エネルギー」
「それを、わたしが? 持ってないよ、そんなの」
春香は部屋着のズボンのポケットを叩いて見せる。
「ポッケの中になんか入ってないよ。魂の中にある。そして僕にはそれが見える」
「はぁ…」
春香はよくわからないまま相打ちは打つ。
「そして二つ目」
そう言って、ウサギのもう片方の耳も立てた。
「自分の欲に忠実なこと。神はね人間よりも人間らしく。欲望のままに生きている。だからそんな人が神に向いてる。よく言うでしょ、神は祟るって」
「私も神様になったら祟れる?」
そんなことができたら、クラスで嫌いな人に天罰を与えることができるかもしれない。
「あのねぇ、他人に罰を与えることは簡単なことじゃない。罰を与えることが神の仕事の中にあったとしても、まだ十数年しか生きていない君にそんなことは任せない」
「自分だって子どもじゃん。それに私だって悪いことと良いことの判別ぐらいできる」
「良い悪いは立場によって変化するし、良い悪いだけでは判断できないのが罰するってことだ。それに僕はこんな見た目だけど生まれてから億年万年は経っている。数えてないから正しい数字はわからないけど」
「え、じゃあ…」
春香は目の前にいる子どもが実はとんでもなく尊い存在なのではないかと認識した。春香は冷や汗をかき始める。背筋を伸ばし、姿勢を正して恐る恐る質問する。
「も、もしかしてですけど、あの、怒ってたりしますか?」
「どうしたの、急に」
「だってあの、ずっとタメ口で、失礼な態度とってましたし…」
春香は下を向いて指いじりを始めた。
「さっきまでのとおりでいいよ」
天之御中主神は膝に置いたピョン子の手を動かして手を振った。
「でも…」
「気持ち悪いからやめて」
今度はピョン子を介してではなく、天之御中主神は春香を真正面から見つめて言った。
「わかった?」
「…わかった」
春香が了承すると天之御中主神はピョン子を傍らに置いて立ち上がった。
「明日、今日の神社に来てよ。高天原に連れて行ってあげる。出入りはいつでも簡単にできるからさ。帰りたくなったらすぐに帰してあげる。約束」
それだけ言うと天之御中主神はそそくさと門を作って帰っていった。
春香はベッドに座らされているピョン子を手に取る。天之御中主神が抱いていたせいか人肌に温かい。耳を健気に一生懸命立てているピョン子はなんだかかわいい。かわいいがそうはいっても気味が悪かったから今日は机の上に置いて、ベッドの中に入った。
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