第7話 僕は何者
ゲーム会社の本社に行く前日、進は珍しく街の奥まったヘアサロンに足を踏み入れていた。
ガラス張りの店内は明るく、鏡に映る客たちは皆、どこか洗練されて見える。
(完全に場違いだな……)
そう思いながらも、逃げることはしなかった。
「い、あの……」
声が思ったより掠れた。
「ダサく見えないように……お願いします」
それだけ言うのに、胸が苦しくなるほど勇気が要った。
自分がこの空間に似合っていないことは、進自身が一番わかっていた。
それでも――明日の自分を、少しでもマシにしたかった。
美容師は一瞬だけ進の顔を見て、柔らかく笑った。
「大丈夫ですよ。雰囲気、ちゃんとありますから」
その言葉に救われた気がした。
カットが終わり、セットが整えられ、鏡を向けられる。
「どうでしょう?」
そこに映っていたのは、いつもの進ではなかった。
見慣れないが、確かに“社会に出る人間”の顔をしている。
「……ありがとうございます」
言葉が詰まり、深く頭を下げる。
会計を済ませ、店を出た瞬間、張り詰めていたものが一気に緩んだ。
次は服だった。
何を着ればいいのか、まるでわからない。
スーツなのか、私服なのか。
浮いてしまわないか、子ども扱いされないか。
進は繁華街を彷徨い、何度も立ち止まり、何度も悩んだ。
最終的に選んだのは、量販店のマネキンだった。
(これなら……間違いない、はず)
コーディネートをそのまま購入し、紙袋を抱えた時、ようやく胸を撫で下ろした。
――これで、明日行っても恥ずかしくない。
そう信じたかった。
翌日。
ゲーム会社の本社ビルは、想像以上に大きかった。
首を上げても、ガラス張りの上層階が遠い。
(ここで、仕事が……)
喉が乾く。
恐る恐るオフィスエントランスの受付に近づく。
「ほ、本日13時から、デザイン企画部の佐藤さんと約束している、“僕”と申します……」
声が震えたのが、自分でもわかった。
受付の女性は端末を確認し、淡々と頷く。
「はい、お伺いしております。こちら、ゲスト入館証になります」
差し出されたカードを受け取る手が、わずかに汗ばんでいた。
エレベーターは静かに上昇し、数字が一つずつ増えていく。
その時間が、異様に長く感じられた。
案内された会議室の前で、進は一度だけ深呼吸をする。
(大丈夫だ。行け)
ドアノブに手をかけ、扉を開けた。
ガチャ。
そこには、すでに数名のクリエーターが集まっていた。
洗練された服装。
落ち着いた態度。
一目でわかる、「慣れている」空気。
進は一歩、足を踏み入れた。
その瞬間、自分が今までいた世界とは違う場所に来てしまったことを、はっきりと悟った。
ここから先は、
もう“好きで描いているだけ”では済まない世界だった。
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