迷い

目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。

 眠れなかったわけじゃない。ただ、浅かった。


 スマートフォンを手に取る。

 通知はない。

 昨夜のメッセージは、まだそこにあった。


 返信はしていない。

 消してもいない。


 あゆみは画面を伏せて、身支度を始めた。


 通勤電車は、いつも通り混んでいた。

 吊り革につかまりながら、昨夜の一文が頭の中で何度も再生される。


 ——一緒にペアやりませんか?


 会社に着き、パソコンを立ち上げる。

 メールを確認し、今日の業務を整理する。

 手順は変わらない。体は、ちゃんと動いている。


 それなのに、数字が頭に入ってこない。


 画面の端に映る自分の手首に、ふと目が留まる。

 細い。

 昔より、確実に筋肉が落ちている。


 ——今さら、無理だよね。


 コピーを取りに立ち上がると、後輩の声がした。


「先輩、今日なんかぼーっとしてません?」


「え、そう?」


 自分では気づいていなかった。

 無意識に、机の上のスマートフォンに視線が向いていたらしい。


「大丈夫ですか?」


「うん、ちょっと寝不足で」


 笑ってごまかす。

 いつも通りの返事。

 それで十分なはずだった。


 昼休み。

 デスクでコンビニのサラダをつつきながら、スマートフォンを手に取る。


 未読はない。

 既読のまま、時間だけが増えている。


 ——返事、待ってるよね。


 そう思うと、胸の奥がきゅっと縮んだ。


 あゆみは、指を画面の上に置いたまま、動かせずにいた。

 断る理由はいくらでも思いつく。

 年齢。ブランク。仕事。


 でも、断る言葉だけは、どうしても浮かばなかった。


 パソコンの画面に戻る。

 キーボードを打つ音が、やけに遠く聞こえた。


 ——私、何してるんだろう。


 昨日と同じ問いが、今日も胸に残っていた。

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