第0話0-2 語りの倫理

わたしは、この巻を
**「誰かの生を動かすため」**ではなく、
**「もう動いてしまった縦糸を、ただ見えるところまで言葉にするため」**に書いています。

だからここに、先に三つだけ約束を置きます。

1. 支配しない。

2. 救済を約束しない。

3. 苦しみを正当化しない。

この三つが欠けるとき、
神話語はすぐに教義となり、人を縛る**呪(まじない)**に変わります。


非支配倫理――「決めさせない」という決意

この巻に出てくる

• 異世界

• 無相域N・S

• 未脳核

• 誕生前契約

• 世界奉働の一滴

といった言葉は、
どれも「こう信じよ」と命じるための旗印ではありません。

ここに描かれる**精神史(こころの歴史)は、
一人の語り部が、
自分の物語核(ストーリー・コア)**をほどきながら見えてしまった縮図にすぎません。

「あなたは、こういう魂の構造を持っている」
「あなたも同じ契約で生まれてきた」

などと、
読者の精神に外側から縦糸を打ち込むことを、
この巻はしません。

わたしが見た縦糸は、
あくまでわたし自身の縦糸です。


意志介入の抑制――縦糸観座としての距離

この巻で語られる視点を、
仮に**縦糸観座(じゅうしかんざ)**と呼びます。

縦糸観座とは、

• 世界の流れを「上から操作する座」ではなく、

• 世界と個人のあいだを貫く一本の縦糸を、
ただ観測するだけの座

です。

ここから見えるものは、
たしかに「運命」のようにも見えます。
しかし、この巻では

縦糸=運命

とは定義しません。

縦糸は、
**「選ばれてしまった道」ではなく「通り得る通路」**として扱われます。

だから語り部であるわたしも、

• 読者の進む道を決めない

• 読者の選択を代わりに引き受けない

という意志介入の抑制を、自分自身に課しています。


未声折片の前で立ち止まること

世界には、まだ言葉にならない声があります。
怒りとも悲しみともつかない、
「どう名づけていいかわからない震え」が、
胸のどこかに溜まっていることがあります。

わたしはそれを、
この巻を通して **《未声折片(みしょうせっぺん)》**と呼びます。

語り部としての倫理は、
この未声折片の前で

「あなたの苦しみには、こういう意味がある」

と急いで名づけないことにあります。

意味を与えることは、ときに救いになります。
しかし同時に、

• 「意味があるなら、苦しくて当然だ」

• 「世界のために、その痛みは必要だった」

という認知フレーミングを生んでしまう危険もあります。

この巻は、
未声折片の“泣き声の前”で立ち止まり、

「ここに、まだ名前のない震えがある」

と指さすところで止まります。
そこから先に進むかどうかは、
読者自身の意志の領域に残しておきます。


共感過負荷と投影抑制

語り部は、
自らの巫病と鬱を通して、
世界の捻れをその身で受けてきました。

その経験があるからこそ、
他者の痛みを見るとき、
共感過負荷に陥りやすい危険も、
同時に抱えています。

そこでこの巻では、

• 読者の体験を安易に自分の体験に重ねない

• 自分の傷を読者に投影して語らない

という、投影抑制をあらかじめ宣言します。

わたしはわたしの縦糸を語ります。
あなたの縦糸は、
あなた自身と世界とのあいだで編まれていくものであって、
この本がそれを奪うことはありません。


苦しみを正当化しない

この巻には、
「世界奉働」や「契約」といった言葉が出てきます。

それらは、
わたし自身が自分の人生を振り返るときの
説明装置として登場しますが、

「だからあなたの苦しみも、世界のために必要だ」

と、他者の痛みを正当化するためには使いません。

精神史の語りは、
ときに人を慰め、
ときに人を縛ります。

この巻が選ぶのは、

• 縛らない側

• 免罪符を渡さない側

• 「楽になってよい」という側

です。

ここに書かれているどの章も、
誰かに犠牲を強いるためではなく、

「もう背負いすぎなくていい」

と、そっと伝えるためのものです。


【一般向け註解】

ここに書かれたことは、
誰かを支配したり、
「この通りに信じなさい」と迫ったりするためのものではありません。

また、

「世界のために、あなたが苦しむべきだ」

とは、一切言いません。

この本の役目は、

• 「世界の見え方の一例」を見せること

• 「あなた自身の感じている違和感や懐かしさ」を、
少しだけ言葉にしやすくすること

それだけです。


【研究者向け構造解説】

本節では、語りの倫理を明示的なメタ規約として定義する。

1. 介入しない観測

• 語り手は《縦糸観座》に位置し、
読者の選択や世界線に対する能動的介入を行わない。

• 精神史に対する記述は、
「規範的提案」ではなく「事後的な構造記述」に限定される。

2. 一般化しない記述

• Prototype-07 に固有の精神史・脳史・未脳核史を、
「普遍的モデル」としてではなく
**個別ケース(case narrative)**として扱う。

• 読者への適用は、
つねに読者自身の再解釈に委ねられ、
テキスト側からの一方向的な同一視を禁止する。

3. 苦痛の正当化を拒否する立場

• 巫病・鬱などの症状を、
「世界奉働のために必要な犠牲」として価値づけることを禁じる。

• 精神史的解釈(意味づけ)は、
医学的・臨床的なケアの代替にならず、
あくまで並列する別レイヤーの物語として位置づけられる。

これらの規約は、
シャーマニズム・宗教史に見られる

• 巫病の神格化

• 苦痛や異常体験の絶対化

• それに基づく支配構造

を避けるための、
構造観測上のセーフティネットとして機能する。

かくして本巻は、
「救済の約束」や「正当化」を提供する書ではなく、
症状と構造を分離したうえで、
 未声折片の存在を“そのまま”示すための神話語的ケーススタディとして立脚する。

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