第2話 釣るつもりはなかった

 下手に動き回らず、兄からの返信を待つ、というのも手ではあるけれど、ダンジョンの中で安全や食料、飲み水の確保もせずにじっとしているわけにも行かない。


 案外簡単なところに帰り道があることも考えられる。


 まずは目の前の丸鳥人パファンから情報収集を試みた。


「私がどこから来たのとか、わかるかしら?」


「ぽこ」


 パファンは私が寝転がっていたあたりを腕と一体の羽根の先で示した。


 発見時点で既にここに居たということだろう。


「ここは安全?」


「ぷる、ぷい。ぐらどりゅん、りゅぽ」


 パファンは首を横に振る。


 あまり長居していい場所ではなさそうな雰囲気だ。


「ぽふたん」


 短く言ったパファンは私のほうを見たまま身体だけくるりと向きを変え、跳ねるように歩き出す。


 ついてきて、と言っているようだ。


 首が180度後ろに回っているあたりはさすが鳥人族と言ったところだろうか。


 パファンを追って歩き出すと、遠い空に巨大な龍が見えた。


 飛行機雲みたいな輪郭が、数十キロ先の空をゆっくり横切っている。


 距離があるので慌てる必要はなさそうだが、とにかく大きい。

 体長で言うと一キロ前後はありそうだ。


 スマホを出し、モンスター情報を画像検索してみる。


―――――――――――――――――――

【極低観測種】

 太平洋大龍(仮称)


 実在確認済みモンスターですが、

 観測データが不足しているため

 危険度ランクを設定できません。


 探索者協会に情報提供をお願いします。

―――――――――――――――――――


 太平洋上で数回目撃された大きな龍なので太平洋大龍。


 バッテリーの消耗が心配なので動画撮影はやめておいたが、一枚だけ画像を保存しておいた。


「ぽよりょ?」


 パファンは太平洋大龍のほうに目をやると、


「りゅえ・ぱおる、みる、りゅえ、ぴょ。ぷる、ぷい」


 と告げ、遠い龍に羽根を振った。


 太平洋大龍を鳥人語でいうと、リュエ・パオルとなるらしい。


 パファンにとっては危険な生物という認識はないようだ。


 太平洋上で目撃されたということは、ダンジョンの内外に出入りしている。


 つまり脱出口を知っている可能性も考えられるが、数十キロ先の飛行モンスターをいきなり追跡するのは無謀過ぎるし、そもそも別個体、というケースもあるだろう。


 まずはそのままパファンについて歩いていく。


 森の植生はブナ、ミズナラ、カエデと言った広葉樹が中心。


 魔法種が混じっているのか、時々葉っぱが光っているのが目に付いた。


 足下にはミズゴケやシダ、スゲなどが緑の絨毯を作り、青い小花がところどころで咲いている。


 動物については、リスやウサギ、カケス、トンボ、カゲロウなどが確認できた。


 直接こちらを襲って来るようなモンスターや肉食獣には遭遇しなかったが、途中で二足歩行、複数の生物の足跡と、石灰で木の幹に付けられたバツ印があった。


「これ、パファンじゃないわよね?」


「ぐらどりゅん」


 パファンはきりりとした表情で言った。


「グラドリュン?」


 だいぶ警戒しているようだ。


 うっすら正体の予想がついたので、モンスター情報のアプリでグラッドリングの項目を呼び出してみる。


 トカゲに似た顔と尻尾を持つ二足歩行型モンスターで、身長はだいたい140〜170センチ。


 煮炊きまではしないが、火や簡単な道具を扱える準人型じゅんひとがたモンスターで、縄張りに踏み込むと激しく攻撃してくる上、貪欲に周囲の動植物を狩猟、捕食する。


 さらには光り物にも目がなく、貴金属や宝物の類についても探索者、あるいは他のモンスターから盗み取ったりする。


 希少生物やその卵などを食い尽くしたり、探索者が狙っている宝物を自分たちの巣に移動させたりと、迷惑度の高いモンスターとして知られている。


「グラドリュンって、これ?」

「むっ、ぐらどりゅん、ぷい!」


 アプリの画像を見せて確認すると、パファンは尾羽を震わせて敵意を示した。


 ぐらどりゅん=グラッドリングで間違いないようだ。


 他の単語と違って、ぐらどりゅん=グラッドリングの音感が妙に近いのは何故だろう。


 何にせよ、鉢合わせしたくない相手である。

 安全第一でグラッドリングの足跡や石灰の目印を避けて進んでいくと、前方からテケー! テケテケー! という声をあげ、数匹の涙滴型スライムが飛び出してきた。


 しずくスライムと呼ばれる温厚なモンスターだ。


 他の生き物を襲うことはなく、棲息する水場を飲用可能なレベルにまで浄化してくれる有益モンスターとして知られている。


「むい? りゅみ、ぷい、ぴょ!」


 きりりとした口調で告げたパファンはそのまま、スズメ式ぴょんぴょんホッピング歩法で前方に向かっていく。


 急いでいても飛行はできないようだ。


 ジェスチャーも含めると、ここで待っていて、という指示だろう。


 何かから逃げてきたらしい雫スライムたちの前にしゃがんで観察していると。


「ぷるぁーっ!」


 大きな悲鳴と共に、パファンが空を飛んでいった。


“飛行”ではなく、“吹き飛ばされた”飛び方である。


 どぼんと水の音。


「パファン!?」


 急いで様子を見に行くと、クラフトロットと呼ばれるビーバー系獣人種の水中集落があった。


 普通のビーバーと同じように川の中にダムと家を作って暮らしているのだが、創造外のものの襲撃を受けていた。


 体長十メートルにも達する、巨大なペリカン型モンスター。


 元々ペリカンはどんなものでもとりあえず口に入れようとすると言われ、水鳥やカピバラを丸呑みにしたとか、猫やキリンを丸呑みにしようとしたとかいう話もあると聞いたが、体長十メートルの巨大ペリカンとなるとさらにやることが大きくなるのか……。


 クラフトロットが棲んでいるダム一体型の住居を直接丸呑みにしようとしたものの呑み込み切れず、身動きが取れなくなっていた。


 クラフトロットは体長一メートルの獣人種。

 その住居なので作りはちゃんとしている。

 木材や石で組んだダムの上に、ログハウス状の小屋が乗った構造だ。


 普通のビーバーの巣と同様、出入り口は水中にあるのか、どの小屋にも扉は見当たらないのが特徴だろうか。


 巨大ペリカンの襲撃を受けた住居の小屋部分は巨大な嘴で丸呑み状態になっている。


 中にいたクラフトロットたちは住居の基部に逃れたが、出入り口がふさがってしまっているのか「きゃんぷ!」「ぎゅわわ!」と悲鳴をあげていた。


 巨大ペリカンをどうにかしようとして吹き飛ばされたらしいパファンは自力で岸までたどり着き、砂浴びをするスズメのように体を震わせていた。


「だいじょうぶ?」


 と声をかけると、慌てた調子で、


「りゅみ、ぷい、ぺるん!」


 と声をあげた。

 

 警告の声らしい。


「大丈夫。それより、中にいるわね。クラフトロット」


 外部にもクラフトロットは五匹いるが、パファンと同じく巨大ペリカンに飛びついてどうにかしようとして、羽根や足で吹き飛ばされてしまっていた。


「ぴち! ぴよ!」


 考えなしに二度目の突撃を敢行しようとするパファンを「待ちなさい」と呼び止めた。


「ペリカンをなんとかしようとしてもダメよ。良く見なさい」

「むい?」


 呼吸を整え、〈静観〉の型を取る。


 手を出さずに成り行きを見守る方の静観でなく、心を静めて観る技法、いわゆる“観法”だ。


 私が生まれた千川家はかつて・・・千川流探索道という武芸の宗家だった。


 戦国時代から続く武術、兵法、軍略、さらには茶道や礼法などを近現代のダンジョン探索や対モンスター戦に合わせて再構成したものである。


 私は探索者ではないが、千川一族のひとりとして、一通りの技法は習い覚えている。


 ――呼吸を静め、ただ、観る――


 クラフトロットの住居に食いついている巨大ペリカンだが、なにがなんでもクラフトロットを喰ってやる、住居などなにするものぞという強靭な意思を持って動いているわけではないようだ。


 動く気配に食いついたら手に負えないものをくわえこんでしまってパニック、フリーズ状態というのが実態らしい。


 取り残されたクラフトロットは二匹。


 巨大ペリカンの体重と嘴の力で崩れた住居の基部で身動きができなくなっている。


 現状一番冷静に動いているのは、クラフトロットと共存、共生をしている雫スライムたちだった。


 巨大ペリカンには構わずにダムに取り付き、石や木材、葉っぱなどの建材を取り崩して救出口を作ろうとしている。


 それと、一メートル超えの大きな魚影が視界の隅にちらりと見えた。


「観えたわ。あの子たちを手伝うのが一番ね。ぽふたんついてきて

「ぽふ!」


 集落に並んだ別のダムハウスを足がかりに接近する。


 巨大ペリカンの注意はくわえ込んだダムハウスに向いていて、私に気付く気配はなかった。


「手伝うわ。大きいのは任せて」


 ダムハウスに取り付いた雫スライムたちに呼びかける。


「テケ!」


 じゃあこれを、というように雫スライムが手放した木切れを引き抜き、ダムハウスに救出口を作っていく。


「りゅぽ! ぷり! もふ!」


 パファンが大声をあげて呼びかけると、右往左往していたクラフトロットたちも泳いできて救出口作りに参加する。


 本職がやってくると仕事がはやくなる。


 あっという間に救出口が開いて一匹のクラフトロットが住居に進入、一匹目の要救護者を外に引っ張り出した。


 二匹目は自力で脱出に成功。


 そのあたりで強度限界に達したらしい。

 クラフトロットの住居は音を立てて崩壊、バランスを崩した巨大ペリカンも頭から水面に突っ込むと、口から住居の残骸を吐き出した。


 しかし、まだ安心はできない。


 巨大ペリカンは獰猛……というのも少し違う気がするけれど、目に付いたものはとりあえず食べられないかと口に入れてしまう厄介な生き物らしい。


 退治は無理でも、退去させておくべきだろう。


 岸に置いたリュックから釣り竿を抜いて伸ばし、巨大ペリカンの前方にスプーン型のアトラクターを投げる。


 アトラクターというのは、要するに疑似餌ルアーのことである。


 主にダンジョン産特殊金属を素材に作られていて、魚系モンスターを釣り上げて駆除、討伐、あるいは漁獲するのに用いる。


 なんでこんなものを持っているのかというと「釣り仲間のじんさんが海浜公園でランサーフィッシュを見たと騒いでてな。勘違いだろうが一応調べてみておいてくれねぇか」という祖父からの依頼に対応するためである。


 私は探索者ではないのでダンジョンに入る資格はないが、水場のダンジョンから泳ぎ出したり、魔素の影響で通常の生物から変化した魚系モンスターを釣り上げるくらいのことは合法的に対応できるし、その為の技術も持っている。


 竿をはじき、水面上でアトラクターを跳ねさせ、光らせて気を引こうとしたけれど、食いついてくる気配はなかった。


 アトラクターが小さすぎるようだ。


 もっと大きな餌が必要だが、これ以上大きなアトラクターは持っていない。

 別に調達することにした。


 竿を跳ね上げてアトラクターを高く上げ、先程見えた大型の魚影の前方に叩き込む。


 ドボン!


 カエルや水鳥が飛び込むような水音。

 小さい魚は逃げてしまうが、大きく、獰猛な魚は反射的に食いついてくる。


 ヒット。


 シルエットと動きで予想した通り、パイクカワカマス系の大型肉食魚だったようだ。


 パイクは待ち伏せをするタイプの魚、獲物が近くにやってきたところをワニみたいな勢いで襲いかかる。


 波動につられて反射的に飛び出し、アトラクターに食らいついた。


 水柱を立てたパイクは猛然と暴れ出す。


 普通に釣り上げようと思ったら一苦労どころでは済まない手ごたえだが、今回はペリカンを釣るというか、誘導していくのが目的だ。


 派手に暴れてくれたほうが好都合である。


 水音に気づいた巨大ペリカンが翼を広げ、水面へとダイブする。


 パイクの側も大変なものがやって来たと気づいたようだ。釣り糸ラインを伸ばしてやると、猛然と下流に向けて逃げていく。

 

 巨大ペリカンのほうも猛然と追っていく。


 リモコンを操作し、アトラクターを回収モードに変形させる。


 形態記憶金属の釣り針のフックを解除。


 パイクからアトラクターを取り外してリールを巻いていく。


 水中のパイクの姿はもう見えないが、興奮状態になった巨大ペリカンはそのまま下流へと突撃を続け、姿を消していった。


 針を食わされた上に巨大ペリカンを押し付けられたパイクはいい迷惑だが、とりあえず一段落だろうか。

 

 息をついてリールを巻いていくと、変な手ごたえがあった。


 魚にしてはおとなしい。

 

 水中のゴミでも引っ掛けたような感触だ。


 回収モードのアトラクターの針はすべて引っ込んでいるはずだ。


 なにを引っ掛けたのかと思いつつ引き上げていくと、どじょうのようなヒゲを生やした長老風クラフトロットがアトラクターをがっしりと捕まえてくっついていた。


「なにこれ」


 変なものを釣ってしまった。


「ぽふ……」

「がぼぼ……」


 パファンとクラフトロットたちも「うわぁ」「なにやってんすか」というような声をあげていた。

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