レベル0のすい―釣って暮らせる、大陸ダンジョン滞在記―

第1話 ぽふ、と聞こえた朝

「ぽふ……」


 聞いたことのない声がした。

 耳の奥をくすぐるような、小さくて丸い音。

 小鳥の鳴き声にも、人の言葉にも似ている。


 ただ、問題はそれよりも――


 その声を聞いた場所に、心当たりがないことだ。


 目を開けると、東京じゃなかった。


 目に入ったのは、濃い木の葉の緑色。

 細かい葉脈までくっきり見えるくらい近くに、木の枝がせり出している。

 光はやわらかく、葉の隙間から斑に落ちていた。


 土の匂い。

 湿った草の匂い。

 遠くで水が流れる音。


 七月下旬、既に猛暑の季節にしては、やけに爽やかな空気。


(……森?)


 記憶の限りでは、私はお台場の海浜公園にいた。


 夏休みの朝七時前。

 祖父の注文で海の様子を見に来たのだが、そこからのことが思い出せない。

 

「ぽふ?」


 さっきの声が、もっと近くから。


 首をひねってみると――丸い生き物がいる。


 ……とにかく丸い。


 背丈は70センチくらい。

 体はふわふわした羽毛で覆われていて、配色はスズメに似た茶、黒、白。

 顔は鳥のように見えるけれど、目は驚くほど大きく、人間っぽい感情が宿っていた。


 腕と翼は一体になっていて、背中には大きなリュック。


 フィクションに出てくる鳥人族をぬいぐるみにアレンジしたような造形だ。


 目が合ってびっくりしたのか、大きくぴょんと後ろに飛び退いたあと、首を大きくひねる。


「ぽふ?」


 そこからまた、そろそろと一歩踏み出してきた。


(なに?)


 やっぱり丸い。


 どう見ても東京にはいない生き物だ。


 ダンジョンのモンスターとしても聞いたことがない。


「……はじめまして」


 とりあえず上体を起こし、挨拶をしてみる。

 物事はとりあえず礼から始めておけば間違いない。


「ぽふ!」


 丸いそれが、ぱあっと表情を輝かせた。


「ぽふぽふ!」


 短い足でぴょんと跳ねて、私のすぐ前まで詰め寄ってくる。


 目の前で立ち止まると、胸を小さく叩き、


「ぱふぁん、ぱふでぃ!」


 と、元気に名乗る。


「……ぱふぁん?」


 オウム返しに聞くと、こくこく、と激しくうなずく。


「ぱふぁん、ぺふ! りゅみ?」


 聞いたことのない言葉だけれど、なんとなく雰囲気は理解できた。


(ぱふぁんが名前? “ぺふ”が、友達、とか……“りゅみ”が、私、かしら?)


 私の母が言っていた。

 言葉はわからなくても、意図は観察次第で読み解ける。


 パファン・パフディという名前なのか、どちらかがファミリーネームなのかはわからないが、直感的にはパファンが個人名の気がする。


 目線。

 体重移動。

 羽の角度。


 さっきから、この子はずっと私の顔を見ている。


 怖がっている様子はない。


 どちらかというと――期待わくわくしているようだ。


 足を組み替え、土を払って正座する。

 服装は帽子にパーカー、ショートパンツとスパッツ。


 あとはスマートウォッチ、近くに釣り竿のささったフィッシングリュックが転がっている。


「千川すい。すいでいいわ」


 軽く会釈をして自己紹介する。

 パファン(仮称)は真似をして、ぽふっと頭を下げた。


「すい。りゅみ。ぽふ!」


 “りゅみ”の意味は今ひとつわからないが、悪い言葉ではなさそうだ。


『おいしそう』という意味だったりすると少し困るが、そう警戒しなければいけない相手でもなさそうだ


(……それはそれとして、どこかしら、ここ?)


 あたりを見回す。


 背の高い木がいくつもそびえ、春のように麗らかな空気。


 遠くで川の音がする。

 

 かすかに甘い花の匂いもする。


 どうも、日本の森とは違うような気がする。空気が、どこか「濃い」。


(ダンジョン?)


 明治維新の少し前、いわゆる幕末あたりから世界のあちこちに現れるようになった「異常空間」。

 危険なモンスターが出現したり、苛酷な自然や迷宮が広がる危険領域。


 探索者たちが活躍する場所。


 とりあえずスマートフォンを取り出してみる。


 最新型の探索者用スマホ、A-Phoneアフェーン20。


 ダンジョン周辺の地域開発を手掛け、『令和の地上げ王』という異名を取る父からのプレゼントである。


 探索者でない私には使い道のない機能も多いが、万が一の時の防災、防犯グッズも兼ねて渡されていたものだった。


 ロックを解除し、画面を見る。


 通常の携帯電話回線の電波はなし。


 ダンジョン内で使える魔素通信回線は微弱接続、という表示になっていた。


 ダンジョン用回線が使える。


 やはりダンジョンに迷い込んでしまったようだ。


 そのままマッピングアプリを立ち上げ、周囲の地形をスキャンしてみる。


 探索・報告済みのダンジョンであればダンジョンの登録名などが表示されるはずだ。


 少しの待ち時間の結果、未知領域と表示された。


 誰からも報告があがっていないダンジョンということになる。


「ちょっと、じっとしていてね」

「ぽふ?」


 不思議そうにスマホを眺めているパファンをカメラに収め、モンスター情報のアプリでチェックしてみると。


―――――――――――――――――――

 該当データなし。

 未登録モンスターの可能性があります。

 探索者協会に情報提供をお願いします。

―――――――――――――――――――


 総合すると未登録モンスターが闊歩する未知領域ということになる。


 その未登録モンスターは現在は闊歩というか、くるくる回っていた。


「ぽふぽふ」


 なにも考えていないようにも、周囲を警戒しているようにも見える。


 次は母の番号を呼び出そうとしてみたが、微弱接続ではダメらしい。


 電話は発信できなかった。


 ダンジョン版の110番にあたる777番も試してみたがやはり無理。


 地図やモンスター情報は見られるが、外部との連絡はできないのか、と諦めかけたとき、スマホの上部にポップアップが表示された。


―――――――――――――――――――

 動画が投稿されました。


【ショート動画】

 一釣ひとつ一竿斎いっかんさいの海洋モンスター料理傑作選その7


 スモーククラブの甲羅のパエリア

―――――――――――――――――――


「えっ」


 インターネットはいけるのかとブラウザを開いてみたけれど、ダメだった。


 期待はせずにポップアップ表示されたショート動画をタップしてみると、何故か普通に再生が始まった。


―――――――――――――――――――


「どうも、一釣り一竿斎です」


「今日の獲物はスチームクラブ」


「魔素の影響で大型化したモクズガニですね」


「おおっと蒸気! 危ねー」


「ちょっとビビりましたが食材ゲット」


「では調理開始」


「うん、焼けたかな」


「うお、美味ぇっ!」

―――――――――――――――――――


 一釣り一竿斎、というのは私の兄のハンドルネームである。


 三年ほど前に家を出て、IT企業の広報職で働きつつ、時折釣りと料理の動画を配信している。


「ちむ、ぴま!」


 ズワイガニくらいのカニ型モンスターの甲羅を器に焼いたパエリアに感銘を受けたらしい。画面をのぞき込んでいたパファンが感動の声を上げた。


「一応言っておくけれど、食べられないわよ」


 念のためそう言ったけれど、映像と本物の違いは理解できるらしい。

 スマホの画面をついばんできたりはしなかった。


 試しに高評価ボタンを押してみると、問題なく評価を付けられた。


 マッピングアプリとモンスター情報に加えチューチューブ、つまり動画サイトのアプリだけ使い物になるようだ。


 そのままショート動画のコメント欄に移動し、書き込みをした。


―――――――――――――――――――

@sui_watch


 突然ごめんなさい。


 妹のS・Sです。


 祖父の依頼を受けてお台場の海浜公園を調べに行ったところ、

 どこかのダンジョンの未知領域に迷い込んでしまいました。


 電話もネットも繋がらないのですが、

 チューチューブのアプリだけは使えるようなのでこちらに書き込んでいます。


 お手数ですが、このコメントを見たら両親と祖父に連絡を入れていただけないでしょうか。


 怪我などはありません。


―――――――――――――――――――


“一釣り一竿斎チャンネル”の登録者数はおよそ300人。


 顔出しはせずに匿名で配信をしているので妹を名乗っても身元を特定される心配は少ない。


 コメントチェックもこまめにやっているので、悪戯と思われなければ、今日のうちには反応してくれるだろう。







(・▴・)ぽふ〈作者より〉

 シェフの気まぐれ不定期連載。

 初日のみ3話(7:30、20:07、21:00)

 1月3日までは20:07頃更新で予約済み。

 以降は進捗次第となります。

 書き溜め少なめですが、カクヨムコンテスト終了までに10万字を目指して進行する予定です。

 

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