第2話リリアーナの悪夢
眼下に、森が広がっている。
どこまでも続く深緑。その上を、私は自由に飛んでいた。
――飛ぶ、というより、落ちていく感覚に近い。
けれど怖さはない。万能になったような、根拠のない確信だけがあった。
鮮やかな緑に囲まれた白亜の城へ向かい、私は高度を落とす。
アリシア聖王国城。
自然との調和が完璧に取れたその姿は、エルフィン連邦からの交換留学生でさえ息を呑んだという。
中庭を駆けている少女がいた。
「姫様、おはようございます!」
若い騎士が、朝の鍛錬を終えたばかりの姿で声をかける。
「あら、アルド。いつも精が出ますね。鍛錬、ご苦労さまです」
疑いを知らない笑顔。
光の中で生きてきた顔。
――ああ、と私は思った。
この笑顔を向けられて、顔を赤くしない男などいないだろう。
「い、いえ! 騎士団として当然のことです!」
アルドは、しどろもどろに答える。
「ふふっ、頼もしいですね」
そう言い残し、少女は向かいの建物へ駆けていく。
私は、その後を追った。
「エドガル! ホントなの?」
息を切らして、彼女は尋ねる。
「ええ。エルフィン連邦のつてを頼りました。姫様のお誕生日に間に合って、何よりです」
老魔道士は、柔和な笑顔で答えた。
――どくん。
「エドガル、大好き!」
「ははは。研究室にございます。こちらへ」
ダメ。
行っては、駄目。
私は叫ぼうとし、手を伸ばした。
先導する老魔道士の後を、うきうきと追う彼女へ。
その背中に、指先が触れた瞬間――
世界が、暗転した。
*
気がつくと、私は暗い空間にいた。
上から、鎖で吊られている。
冷たい。
空気が、湿っている。
――ああ、来る。
「こんな……手枷!」
私は光刃を撃とうとした。
私なら、無詠唱でも魔法を練ることができる。
だが、手枷が青く光り、魔法は霧散した。
「無駄ですよ」
どこからともなく、声。
「エドガル! どうしたの? これは、どういう事!」
「ええ。今回は準備に三十年ほどかかりましたが……何とか、お誕生日に間に合いました」
私は必死に視線を巡らせる。
祭壇。
転移魔法。
城じゃない。
それに……魔力溜まりが、近い。
こんなものが、国内に?
「この気配……邪神……!?あなた、神に仕える顔をして……」
「流石、聖女様。
その通り。貴方には――ヴォルガン様の贄になっていただきます」
「禁呪よ! 接続の儀なんて、成功しない!」
エドガルは答えない。
ただ、穏やかに微笑んでいる。
――どくん。
渦巻いていた魔力が、足元の魔法陣へと集中していく。
そして。
ずるり。
“なにか”が、這い出してきた。
半透明のエネルギーの塊。
触手のような形を取り、こちらへ――
私は必死に身を捩った。
鎖が、じゃらじゃらと音を立てる。
――無駄なのに。
“なにか”は、ゆっくりと近づき、
右のくるぶしに、触れた。
ぞりっ。
体内のマナが、ごっそり奪われる。
代わりに、良くないものが流れ込んでくる。
耐えきれない。
足首から下が、弾けて、溶けた。
「ああっ!」
――でも、足は、あった。
あったけれど……素足に、“なにか”が巻き付いている。
ずるり。
膝へ。
また、弾けて、溶ける。
「エドガル! お願い! やめさせて!
身体が……溶けちゃう!」
返事はない。
穏やかな笑みのまま。
“なにか”は、ずるり、ずるりと這い上がり――
私は、溶けた。
空間に漂いながら、遠くで声を聞く。
穏やかな声。
そして、獣が吼えるような、別の声。
「流石、聖女様。
貴方なら、ヴォルガン様を受け入れられると信じておりました」
「……!…」
「それでは、ごゆっくり。私は所用がありますので」
空間が、どこかと繋がっている。
向こうが、視える。
――いる。
とても、大きな、なにか。
顔も、輪郭も、わからない。
前後も、上下も、曖昧だ。
それでも――
目が、合った。
*
*
*
――はっ。
白い闇の中で、私は目を開けた。
「……ここ、は……?」
静謐な空間。
やがて、見慣れた場所だと気づく。
「……浄化の、間……」
祈りを捧げてきた部屋。
結界に守られ、痛いほどの静寂に満ちている。
ぼうっとしていると、腹部に熱を感じた。
赤黒い光が、浮き出ている。
――とても、良くない光。
熱は、下腹部へと移動していく。
甘い匂い。
視線を上げた瞬間――
「……アル、ド?」
あの騎士が、無表情で立っていた。
彼は、身を屈め――
にちゃり、と笑う。
*
身体を掴まれ、激しく揺さぶられる。
「いやあ! やめて! 放して!」
「落ち着け! オレだ!」
――宿屋のベッド。
レオンが、両肩を掴んでいる。
「ダメ! 私から離れて!」
「オレは大丈夫だ。知ってるだろ」
赤黒い光は、お腹に巻かれた銀色の帯からまだ漏れている。
けれど、彼の眼は狂気に染まっていない。
真っ直ぐに、私の眼を見ていた。
「……そう、ね」
ここは、《砂蠍の巣窟》二階の一室。
質素だが、今はそれが救いだった。
「落ち着いたなら、少し休め。
明日から潜るんだ。回復しとけ」
――祖国が滅びてすぐ、突如現れたダンジョン。
最奥には、解呪の秘宝があるという噂。
私たちは、それを信じて旅に出た。
夜になると、人に襲われる。
私の呪いが、男たちを狂わせる。
「……あなたもね、レオン」
「オレは、充分休めてる」
「その床で?」
「虫に喰われる樹の上より、快適だ」
私は微笑み、ベッドに潜り込む。
「ねえ……」
「なんだ?」
「どうして、貴方だけ……
呪いの影響を受けないの?」
レオンは、肩を竦めた。
「さあな。特別、鈍いんだろ」
――この人を、信じてもいいのかもしれない。
そう思いながら、私は浅い眠りに落ちていった。
世界の話は後にしてくれ。今は聖女が震えている ーー英雄のいない世界で、盾は立っていた @bato00
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