第3話 カマかけ

明六つ時朝6時頃、凛とした太鼓の音が鳴り響き、遊郭街は眠りにつく。

艶やかな暖簾のれんが特徴の紅蓮楼ぐれんろうでは、朝早くから仕事をする者がいた。


そう、フキである。


紅蘭花魁こうらんおいらんの部屋に白粉おしろいを。先程入荷したので」

「はい。太夫の朝餉あさげはそれで合っています」


廊下を駆け巡りながら、朝番の下女達に仕事を割り振る。支配見習いのフキの元には沢山の質問が飛んでいた。実は、裏方の仕事量は朝が最大なのである。


「旦那方の送り出しは終わりましたね、では我々も朝餉を摂りましょう」


給仕達に挨拶をし、朝餉の準備をする。下女達が揃うと、フキは洗濯籠せんたくかごを両手に持ち、足でふすまを開けた。老女将が居たらさぞかし怒られそうであるが、この忙しさにそんなことは関係ない。


「私は洗濯場へ行ってから食べます。皆さんはお先に食べていてください」

「あぁ、“小夜さよ”さん、手伝って頂けますか?」


前髪が長く、顔が見えにくい給仕女“小夜さよ”に声をかける。小夜はこくりと頷き、席を立った。


「ありがとうございます。では失礼します」


小夜が廊下に出たところで、足でふすまを閉める。


「やっぱり、フキさん凄いわよねぇ〜……」

「ありゃあ女将が手元に置きたがるわ……」


詰所では下女たちが口々にそんなことを話していた―――。


 ***


「すいませんね小夜さん。手伝って頂いて」


裏手の洗濯場に向かう途中、フキは洗濯籠を抱えながら小夜の方を見る。小夜はうつむき、ただ無言で歩いていた。長い前髪が顔を完全に隠し、さながら幽霊のようだ、とフキは思う。


「差し支えなければ、その前髪切って差し上げましょうか?腕には自信があるんですよ」


フキは試すように、手をちょきちょきしながら言った。その言葉に、小夜が首を向ける。前髪で隠れていたが、その目は確実にフキを睨んでいた。


「……そういえば最近、簪が消えた、なんて話がありましてね。何か知ってたりしますか?」


話題を変えよう、と、ふと思い出したような口調で言う。その言葉に小夜がピクリと反応した。


(やはり反応あり)


フキが面の下でニヤッと笑う。

そして次の瞬間、洗濯籠を落とした。


「あぁっ!しまった……。泥だらけ……」


昨夜は雨が降っていた為に、洗濯場へ向かう途中の道は、泥でぬかるんでいた。

そんな所に洗濯物を落としたなんて知られたら、老女将になんて言われるか分からない。


「あぁ……洗わなきゃだ……。小夜さん、手伝って頂けます……?」


祈るように手を合わせ、上目遣いをする。小夜ははぁ、とため息を付き、洗濯物を入れる手伝いをしだした。


「これは……手伝ってくれると捉えますからね!」


フキは軽やかな足取りで洗濯場へと入っていった―――。


***


じゃぶじゃぶという水音が聞こえてくる。洗濯場には二人しか居ない。

フキ達は水を入れた木桶で小袖こそでを洗いながら、軽い会話を交わしていた。


「へぇ、茶漬けが大好物と。美味しいですもんね」


基本的にはフキの一方通行な会話だが、それでも小夜は少しずつ心を開いているようだった。

フキは前掛けを絞りながら、話を戻す。


「それにしても、簪、どこ行ったんでしょうね〜」

「昨日から無いとか。何か知りません?」


フキが何食わぬ顔でそう言うと、小夜が珍しく返事を返した。

そしてのちに、その言葉が決定的な証拠となることになる。


「知らないわよ……どうせ太夫がどこかに落としたんでしょ」


的中ビンゴ


フキはいきなり立ち上がると、指を加え、ピーっと口笛を吹いた。その音に、老女将と手代てだいの男達(番頭の補佐)が飛んでくる。


フキは札付面の下でニヤリと口角を上げ、淡々とした口調で言った。


「小夜さん、私は“太夫”が失くした、だなんて一言も言っていませんよ」

「は」

「詳しいことは、太夫部屋で話しましょう。お手伝い、ありがとうございました」

「ちょ、ちょっと!!あんた騙したわね!?!」


ギャーギャーと暴れる小夜を、男衆が取り押さえる。老女将は頭に手を当て、信じられないといった様子だった。


事の始まりは、夜九つ時午前零時まで遡る―――。



***



「もう目星がついてんのかい。流石仕事が早いね」


がらんと空いた帳場。女将はそう言い、ふぅーっと葉巻を吹かした。フキは煙たがりながら咳き込む。そして椅子から立ち上がり、紙に何かを書き始めた。


「まず、詰所に戻ってきたのがこの四人です」


そこには何とも言えない似顔絵と、それぞれの名前,役職が書いてあった。


『ヤツメ 給仕』

『タマモ 禿かむろ

『サヨ 給仕』

『ヘイゾウ 手代』


 女将はそれをまじまじと見つめ、フキの方を見た。フキは頷き、一人の名前を指す。


「そして、この四人の内の1人だけが、何の用も無いのに詰所へ入りました」

「それが、この小夜という給仕です」


小夜と聞いた瞬間、女将が顔を上げる。そして何やらブツブツ言った後、頭を抱えだした。


「小夜……いや、そんな訳ないさ。あの子はこんなことをする子ではない」

「いや……でも、あの子の生い立ちなら―――」


女将はいつものキツい目つきではなく、どこか悲哀に満ちた顔をしていた。フキは何かを察し、女将の目を見る。

女将はいつもからは想像の出来ない震える声で言った。


「頼むフキ……。この子は、きっとこんなことをする子ではないんだ……」

「するとしたら、何か深い事情がある筈……。この子のことは、あたしがよく知っているんだよ……」


そんな女将に、フキが何かを耳打ちする。すると女将は安心したような顔をし、フキの手を握った。


「よろしく頼むよフキ。必ず、解決しておくれ」

「えぇ。全力を尽くします―――」

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傘の子の妖楼奇譚―ある札付娘の事件帳― 町 玉緒 @Abc11

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