第2話 消えた簪

「えぇ。いい感じです。そこの箪笥たんすも拭いておいてください」


黄昏時、夕焼けが綺麗な茜色に染まる頃。例によって、フキはいつもよりも張り切っていた。

先日の心付け窃盗事件から約二ヶ月。山装うこの時期には、大切な行事が沢山詰まっている。


そして今日は、太夫・桜花おうかの旦那が来る、“お成り”である。


下女や給仕達がパタパタと廊下を慌ただしく走る中、フキは細部まで細かく指示を出していた。

桜花の旦那は化け狐の里の長。とても潔癖で、せっかちなことで有名なのだ。


だからか、フキ達裏方はいつもの3倍の速度で掃除洗濯をしていた。


***


「フキ、ちょいといいかい」


フキがまだ新しい禿かむろ達に、お成りの日の所作を教えていると、老女将が手招きをしてきた。


フキは急いで立ち上がり、女将について行く。


「どうしました?」


返事は無い。そのままついて行くと、太夫・桜花の部屋の前へと着いた。


「桜花、私とフキだ。入るよ」


老女将がそっとふすまを開ける。するとそこには、少し着物が乱れ、珍しく焦りの表情をした太夫の姿があった。絹のように繊細な髪の毛に、あでやかな紅色の裾引き―――どこをとっても、太夫・桜花は美しくきらめいていた。


「あぁフキ……!来てくれたのね」


桜花太夫がフキの肩に手を添える。女将は静かにふすまを閉め、二人に座るよう促した。


「一体……どうされたんです?お二人がこんなに慌てることなんて、そうそうありませんよ」


鮮やかな赤の座布団を敷きながら話す。すると、桜花太夫は前屈みになり、神妙な面持ちで話し始めた。


「えぇ……実はね―――」


「―――えぇ!狐の旦那からもらったかんざしを……!?」

「シッ!まったくあんたは!」


フキが思わず声を出す。それに反射して、女将がフキの頭を思いっきり叩いた。


どうやら、狐の旦那から貰った紅椿のかんざしを失くしてしまったらしい。桜花太夫によると、お成りの際に付けようと櫛笥くしげ(アクセサリー箱)を開けたところ、消えていたとのこと。


そしてその事は、太夫や紅蓮楼ぐれんろうの信頼に関わることである。ただでさえ狐の旦那はせっかちだ。失くした事が耳に入れば、ただじゃ済まないだろう。


「あぁ……どうすればいいのかしら……」


よよよ、と手を目に当てる桜花太夫。その少しの所作でさえ美しいのだから、困ったものである。

流石は太夫、とフキは思う。


「落ち着きな。まだ時間はある。探せば間に合うさ」


女将は腰に手を当て、そこら中の箪笥たんすを開けだした。それに釣られて、フキ達も探し出す。


しかし、探しても探しても、お目当てのかんざしが出てくることは無かった。


「おかしいわ……かんざしがこの部屋から出るはず無いのに……」


確かに、桜花太夫が頂いた簪を外に出すことはまず無い。それは紅蓮楼のルールでも決められていることである。



「フキさーん?何処にいるんですかー?禿達が待っていますよ〜」


ふすまの外からそんな声が聞こえてくる。そういえば禿稽古かむろげいこの途中だったな、と思い出す。


「はぁ……行ってやんな。禿を育てるのも、あんたの大事な仕事だ」

「ありがとうございます。一応、外の方も探してみます」


そう言ってふすまを閉める。外にはフキ付きの下女“八重やえ”が待っていた。


「あー!フキさん、そんな所にいたんですか!早くしないと禿達が寝ちゃいますよぅ」

「すみません、今行きます」


トタトタと廊下を走る中、フキはかんざしの事がどうも引っかかっていた。


***


「…〜はい、今日はここまで。では、自分の役目に戻ってください」

「はい!」


禿稽古が終わり、8歳程の禿達を帰らせる。ぽつんと一人残された部屋でフキは考えていた。


(“お成り”まで……、あと半刻1時間程か……。さて、そろそろ本気で探さないとまずいぞ……)


そろそろ本腰を入れて探した方が良さそうだ、座布団から立ち上がる。そしてふすまを開いたその時、先程の禿達がフキの方へ走ってきた。


「フキ姉さん!これ!」


一人のおかっぱの禿かむろが何かを手渡す。フキはそれを受け取り、目を見開いた。

それは見覚えのある―――紅椿のかんざしだった。


「……!これ……!どこにあったの!?」


思わず禿に詰め寄る。その禿“チヨ”は慌てた表情でドタドタと走り出した。

ついて行くと、下女や給仕,禿の世話係が控える、詰所つめしょに辿り着いた。


(詰所……?何故こんな所に……?)


「この長机の上に置いてあったんです!」


禿達が山栗色の長机を指差す。そこはフキ達裏方の人間が食事や休憩を摂る所で、沢山の人が行き交う場となっている。


(これじゃ……誰がここに置いたか分からない……)


辺りを見渡す。しかし居るのは禿達とフキだけで、他の人間達は掃除に当たっているために見当たることは無かった。


(……とりあえず、今はかんざし桜花おうか姉さんに渡さなければ)

「ありがとうございます禿達。あと、このことは誰にも言わないで欲しいな」


面の下でにこりと笑う。しかし、禿達には伝わらなかったようだった。

その後禿達は了解の返事をし、それぞれの持ち場へと戻って行った。


一人を除いて。


「チヨ、貴女は太夫・桜花付きでしたね。このかんざしを持って行ってくれますか?」


「わ、分かりました!」


チヨは先程まで禿稽古を受けていた為、確実に白だろう。フキはチヨに簪を渡すと、詰所の裏口から廊下へ出た。そして、近くにあった掃除用具を取り、掃除をするをした。


その目線は、詰所の入口にある。


(疑いたくは無いが……もしかんざしが盗まれたものならば、確実に犯人は詰所ここに戻ってくる)

(きっと犯人は覚悟が無くて、わざと簪を人目に付く場所へ置いたんだ……。狐の旦那が来るまでに、桜花姉さんの元へ戻るように―――)



***



「フキ、桜花のかんざしが見つかったらしいじゃないか。あんた、どう思う?」


夜九つ時深夜零時帳場受付の椅子に座るフキに、女将が声をかける。

フキは面の奥で少し口角を上げ、どこか艶めいた声で言った。


「えぇ……そうですね。もし窃盗だとするならば……大体の目星は付きましたよ」

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