傘の子の妖楼奇譚―ある札付娘の事件帳―
町 玉緒
第1話 紅蓮楼の影子
日が落ちる黄昏時。妖と人間が共存する東の国・
道を歩けば
人々は、そんな遊郭の艶やかな光景に魅了された。彼らの視線は色めく花に釘付けである。
しかし、美しいものには棘がある。それは、この
犯罪と思惑が
今日も花達は身を売り、この罠を煌びやかな世界に見せているのだ。
―――さて、そんな遊郭のとある妓楼に、一人の少女がいた。彼女はある遊女から産まれた、所謂妓楼生まれ遊郭育ち。しかし、生まれつき顔が醜かった。
中級妓楼、“
曰く、彼女は良く頭が切れるそうで、大抵の給仕と雑用は彼女が取り仕切っているのだとか。
しかし、
忌み子の札付娘、【フキ】と―――。
***
「フキ、
声をかけたのは
「裏手の二人を回してください。あと、
札の面の奥から、淡々と指示が飛ぶ。その声に、下女達はパタパタと走り出した。
誰も顔を見ようとはしない。しかし、その言葉に逆らう者は誰一人としていなかった。
「フキさん!
太夫付きの
「まったくあの子は、顔は悪くても頭は一級品だね」
フキの背を見て、鶴代が呟く。周りにいた遊女たちは、ほんとうに、と笑いあっていた。
***
遊女達は疲れた体を休め、妓楼は一時的に静かになる。しかし、そこで働いているのがフキ達裏方である―――。
「そこの炭よろしくお願いします。あと、夕霧さんに喉飴を」
下女達が音を立てないよう、静かに動く。フキは
裏手の洗濯場に籠を置く。近くで着物をゆすいでいた洗濯女にやっておくよう指示を出し、太夫部屋に戻る時のことだった。
「うーん、おっかしいな」
「本当に数え間違えじゃないのかい?」
帳場の方が、妙に騒がしかった。
見ると、帳簿を挟み番頭と
通りがかったフキは足を止める。
「フキ、ちょっと来な」
鶴代の低い声に呼ばれ帳場へ入る。札の面の奥から、静かに帳簿を覗いた。
「どこが合わないんだい」
「ここだよ」
番頭が指したのは、昨夜の売上欄。
「何度数えても、少し足りねぇんだ」
番頭はそう言って頭を搔く。鶴代は不機嫌そうにフキを見た。
「多分数え間違いさ。フキ、ちょいと計算してくれないかい」
鶴代のその言葉に、算盤を触る。しかし、フキは計算しようとしなかった。帳簿をめくり、指先で紙面をなぞる。
「これ……昨日だけじゃないですね」
3日前、5日前、8日前……。フキが指した日を見ると、確かに数十文程が足りなかった。鶴代はしらばっくれる番頭を睨んでいる。足りない日は約10日。損失は数百文に登る。
「でも一体何故?盗むならもっと一気に盗むはずだろ?なんでこんな面倒くさいこと……」
番頭が
(確かに……いや、そうか)
フキは何かを思いついたように、帳簿を持ちじっくりと見始めた。
「何か気づいたのかい?」
鶴代が腕を組みながらその様子を眺める。女将として売上の損失を放っておくのは言語道断。番頭は後で確実に処罰を受けるだろう。
一方フキは、帳簿を見ながら何やら考え込んでいる様子だった。
(……やっぱりそうか。足りないのは“売上”じゃない)
しばらくすると、フキが何かに気づいたように帳簿を置いた。そして、足りない日を指で指しながら、事件解決が始まった。
「売上が多く、酒もよく出ている。そして、夕霧姉さんが出ている日。この条件が揃った日だけが、何十文か減っています」
「!」
番頭と鶴代が帳簿を見合わせる。確かにフキの言う通り、3つの条件が揃った日だけ、売上が減っていた。
「つまり、盗みだって言うのかい?」
鶴代はおかしそうに首を傾げる。
妓楼での盗みと言ったら、管理不足による窃盗が多い。いわば泥棒である。
「はい。これは盗みです。しかし、いつもと違うのは、盗んだのが身内だということ」
ぱん、と手を叩く。そして再び帳簿を持ち上げ、まじまじと見つめた。
「夕霧姉さんは“心付け”が多いことで有名です」
「そしてそれを知るのは妓楼内と旦那達だけ」
鶴代が何かに気づいたように帳簿を取り上げる。そして、顔を真っ赤にしたかと思えば、走って帳場を出ていった。
「……女将は気づいたようですね」
「待てよ……つまり、犯人は夕霧の心付けから少額を盗んでたってのか?」
「はい。それも、夕霧姉さんの近くにいる者が」
番頭は顔を真っ青にしていた。妓楼内で身内の窃盗は厳罰。責任は、その事に早く気づかなかった番頭にいくだろう。
そして、盗みを働いた者の名前はあっという間に遊郭中に広がる。
もう
「恐らく、売上が多い日を狙ったのでしょう。ほら、どの日も酒が多く出ています」
フキは淡々とした表情で続けた。
「まぁ、売上が高ければ盗んでもバレないと思ったのでしょうね。浅はかな考えです」
「あとはお任せしますよ。恐らく、夕霧姉さんの
「……」
フキは、頭を抱える番頭を横目にスタスタと帳場を出ていった。
扉をがらっと閉める。そして、彼女はいつもの仕事へと戻るのだった。
「やっぱり、フキには敵わねぇなぁ……」
戻る彼女の背に、番頭が静かに拍手をする。
妓楼・
後日、夕霧姉さんの給仕が紅蓮楼を出ていくことになったのは、また別のお話である―――。
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