傘の子の妖楼奇譚―ある札付娘の事件帳―

町 玉緒

第1話 紅蓮楼の影子

日が落ちる黄昏時。妖と人間が共存する東の国・桜陽国さくらひのくにの遊郭街は動き出す。


道を歩けば妖艶美麗ようえんびれいの花々が客寄せをしている。少し奥に入れば、露店が立ち並び、串焼きや小籠包を焼く炭火のいい匂いが漂ってくる。


人々は、そんな遊郭の艶やかな光景に魅了された。彼らの視線は色めく花に釘付けである。


しかし、美しいものには棘がある。それは、この燦然輝さんぜんかがやく遊郭街も例外ではない。花達は大半が売られ、身寄りのない者たち。自由はなく、手折られ続ける日々である。


犯罪と思惑がひしめく遊郭この場所は正に、“美しい蜘蛛の巣”だ。繊細で美しく見えるがその裏は巧妙な罠になっている。絡繰からくり作りのこの場所から逃げることは出来ない。


今日も花達は身を売り、この罠を煌びやかな世界に見せているのだ。



―――さて、そんな遊郭のとある妓楼に、一人の少女がいた。彼女はある遊女から産まれた、所謂妓楼生まれ遊郭育ち。しかし、生まれつき顔が醜かった。


中級妓楼、“紅蓮楼ぐれんろう”の老女将は言った。その醜い顔はこれで隠すように、と。そうして渡された札付の面。今年16歳になった彼女は、今でもその時の札付面を付けている。


曰く、彼女は良く頭が切れるそうで、大抵の給仕と雑用は彼女が取り仕切っているのだとか。


しかし、紅蓮楼ぐれんろうに来た人は皆、彼女を気味悪がりこう呼ぶ。


忌み子の札付娘、【フキ】と―――。



***



「フキ、帳場受付が混み始めたよ」


声をかけたのは紅蓮楼ぐれんろうの老女将、鶴代ツルヨだった。忙しない足取りの給仕達を見ながら、フキは静かに頷く。


「裏手の二人を回してください。あと、夕霧ユウギリさんの部屋、炭が足りません」


札の面の奥から、淡々と指示が飛ぶ。その声に、下女達はパタパタと走り出した。

誰も顔を見ようとはしない。しかし、その言葉に逆らう者は誰一人としていなかった。


「フキさん!桜花オウカさんの爪紅つまくれないをお願いします」


太夫付きの禿かむろ、チヨが急ぐ。フキはこくんと頷き、紅芍薬べにしゃくやくの紅を手に部屋へと向かった。


「まったくあの子は、顔は悪くても頭は一級品だね」


フキの背を見て、鶴代が呟く。周りにいた遊女たちは、ほんとうに、と笑いあっていた。



***



明六つ時午前6時頃、静かな遊郭街に太鼓の音が鳴り響く。外に出ると、満足げの客達が帰路に着く様子が見られた。


遊女達は疲れた体を休め、妓楼は一時的に静かになる。しかし、そこで働いているのがフキ達裏方である―――。


「そこの炭よろしくお願いします。あと、夕霧さんに喉飴を」


下女達が音を立てないよう、静かに動く。フキは洗濯籠せんたくかごを抱えながら指示を出していた。


裏手の洗濯場に籠を置く。近くで着物をゆすいでいた洗濯女にやっておくよう指示を出し、太夫部屋に戻る時のことだった。


「うーん、おっかしいな」

「本当に数え間違えじゃないのかい?」


帳場の方が、妙に騒がしかった。

見ると、帳簿を挟み番頭と老女将鶴代が顔を付き合わせている。

算盤そろばんを弾く音が、やけに大きく響いていた。


通りがかったフキは足を止める。


「フキ、ちょっと来な」


鶴代の低い声に呼ばれ帳場へ入る。札の面の奥から、静かに帳簿を覗いた。


「どこが合わないんだい」

「ここだよ」


番頭が指したのは、昨夜の売上欄。


「何度数えても、少し足りねぇんだ」


番頭はそう言って頭を搔く。鶴代は不機嫌そうにフキを見た。


「多分数え間違いさ。フキ、ちょいと計算してくれないかい」


鶴代のその言葉に、算盤を触る。しかし、フキは計算しようとしなかった。帳簿をめくり、指先で紙面をなぞる。


「これ……昨日だけじゃないですね」


3日前、5日前、8日前……。フキが指した日を見ると、確かに数十文程が足りなかった。鶴代はしらばっくれる番頭を睨んでいる。足りない日は約10日。損失は数百文に登る。


「でも一体何故?盗むならもっと一気に盗むはずだろ?なんでこんな面倒くさいこと……」


番頭が算盤そろばはじきながら唸る。


(確かに……いや、そうか)


フキは何かを思いついたように、帳簿を持ちじっくりと見始めた。


「何か気づいたのかい?」


鶴代が腕を組みながらその様子を眺める。女将として売上の損失を放っておくのは言語道断。番頭は後で確実に処罰を受けるだろう。


一方フキは、帳簿を見ながら何やら考え込んでいる様子だった。


(……やっぱりそうか。足りないのは“売上”じゃない)


しばらくすると、フキが何かに気づいたように帳簿を置いた。そして、足りない日を指で指しながら、事件解決が始まった。


「売上が多く、酒もよく出ている。そして、夕霧姉さんが出ている日。この条件が揃った日だけが、何十文か減っています」


「!」


番頭と鶴代が帳簿を見合わせる。確かにフキの言う通り、3つの条件が揃った日だけ、売上が減っていた。


「つまり、盗みだって言うのかい?」


鶴代はおかしそうに首を傾げる。紅蓮楼ぐれんろうでは、今まで何度か盗みがあった。しかしこんな少額で盗まれるのは初だった。

妓楼での盗みと言ったら、管理不足による窃盗が多い。いわば泥棒である。


「はい。これは盗みです。しかし、いつもと違うのは、盗んだのが身内だということ」


ぱん、と手を叩く。そして再び帳簿を持ち上げ、まじまじと見つめた。


「夕霧姉さんは“心付け”が多いことで有名です」

「そしてそれを知るのは妓楼内と旦那達だけ」


鶴代が何かに気づいたように帳簿を取り上げる。そして、顔を真っ赤にしたかと思えば、走って帳場を出ていった。


「……女将は気づいたようですね」

「待てよ……つまり、犯人は夕霧の心付けから少額を盗んでたってのか?」

「はい。それも、夕霧姉さんの近くにいる者が」


番頭は顔を真っ青にしていた。妓楼内で身内の窃盗は厳罰。責任は、その事に早く気づかなかった番頭にいくだろう。

そして、盗みを働いた者の名前はあっという間に遊郭中に広がる。

もう桜陽国さくらひのくににいることは出来ない、ということだ。実質、島流しである。


「恐らく、売上が多い日を狙ったのでしょう。ほら、どの日も酒が多く出ています」


フキは淡々とした表情で続けた。


「まぁ、売上が高ければ盗んでもバレないと思ったのでしょうね。浅はかな考えです」

「あとはお任せしますよ。恐らく、夕霧姉さんの禿かむろか給仕だとは思いますが……」


「……」


フキは、頭を抱える番頭を横目にスタスタと帳場を出ていった。

扉をがらっと閉める。そして、彼女はいつもの仕事へと戻るのだった。


「やっぱり、フキには敵わねぇなぁ……」


戻る彼女の背に、番頭が静かに拍手をする。

妓楼・紅蓮楼ぐれんろうの支配見習い、フキ。これは、忌み子と呼ばれる少女の事件解決録である。



後日、夕霧姉さんの給仕が紅蓮楼を出ていくことになったのは、また別のお話である―――。

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