第4話 強くならなくてもいい?

「……強く、なりたいんですか?」


その問いは、不意に投げられた。


ギルド裏の簡易治療所。

包帯の匂いと薬草の苦味が混じる中で、

回復術師の老人は俺の顔を覗き込みながら言った。


「なりたいです」


即答だった。

嘘じゃない。

剣を振れず、魔法も使えず、

逃げる判断しかできない自分が、ずっと嫌だった。


老人は小さく息を吐いた。


「だが、無理だな」


あまりにもあっさりした言い方だった。


「骨格、筋肉、反応速度。

 どれも平均以下。

 今さら英雄級を目指す年でもない」


分かっていた。

それでも、胸の奥が痛んだ。


「……じゃあ、俺はどうすれば?」


老人は少し考え、薬草を刻む手を止めた。


「一つ、聞かせろ。

 お前は、なぜ冒険者を続けている?」


答えはすぐに出なかった。


金のため?

名誉のため?

どれも違う。


「……死にたくないからです」


しばらく沈黙。


「正確には」

言葉を選び、続ける。


「目の前で、人が死ぬのを見たくない」


老人は、目を細めた。


「なるほど。

 なら、強くならなくてもいい」


思わず顔を上げた。


「いい、とは?」


「戦って勝つことだけが“強さ”じゃない。

 生き残るための判断も、立派な力だ」


――そんな慰め、何度も聞いた。

そう言おうとして、飲み込む。


老人の目は、真剣だった。


「お前はな、

 戦場に立たない勇気を持っている」


その言葉は、意外だった。


「多くの奴は、立てもしないのに前に出る。

 英雄になりたいからだ」


老人は続ける。


「お前は違う。

 前に出ない。

 だが、そのせいで誰かが生きている」


胸の奥が、じんと熱くなる。


「……それでも、弱いです」


「弱いさ」


否定はしない。


「だが、“弱いままで役に立つ方法”はある」


―――――


その日から、俺は訓練場を変えた。


剣の稽古はやめた。

代わりに地図を読む。

距離を測る。

音を聞き分ける。


「逃げ道を三つ考えろ」


老人の言葉が頭に残っていた。


「一つしかないなら、行くな」


模擬戦でも前に出ない。

常に後ろ。

仲間の位置、疲労、足並み。


最初は笑われた。


「何やってんだ、臆病者」


それでも、やめなかった。


―――――


数日後、低危険度の護衛依頼。


盗賊が出る可能性あり。

戦闘になれば、俺は役に立たない。


だからこそ、先に言った。


「戦闘になりそうなら、撤退します」


依頼主は不安そうだったが、了承した。


結果、盗賊は出た。

だが数が多い。


「下がれ!」


即座に判断。

隊列を崩さず、街道へ戻る。


護衛失敗。

報酬減額。


それでも、死者は出なかった。


依頼主は、帰り際に頭を下げた。


「……生きて帰れただけで、十分です」


その言葉を聞いたとき、

胸の奥で、何かが少しだけほどけた。


強くならなくてもいい?


――分からない。

でも、強くなれない自分でも、できることはある。


俺は剣を握り直し、

それでも前には出なかった。


“生存率だけは英雄級”。

その二つ名に、初めて少しだけ、

意味が宿った気がした。

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