第2話 名前負けの現実
「……本当に、あの二つ名の人なのか?」
訓練場の隅で、そんな声が聞こえた。
わざと小さく言ったつもりなのだろうが、耳に届くには十分だった。
昨日の依頼失敗は、もう噂になっている。
「生存率だけは英雄級」と組んだ新人が、
“戦わずに逃げ帰った”という話として。
俺は何も言わず、壁にもたれて短剣の刃を研いでいた。
刃こぼれは相変わらずだ。
力を込めても、金属が削れる感触は鈍い。
――英雄級、ね。
その言葉を思い出すたび、喉の奥が苦くなる。
誰も本気で英雄だと思っていない。
分かっている。
それでも、期待だけは先に立ってしまう。
「次の依頼、空いてますよ」
受付嬢が声をかけてきた。
掲示板に残っているのは、危険度低めの依頼ばかり。
それでも敬遠されているものだ。
理由は簡単。
“割に合わない”。
俺はその中の一枚を取った。
『廃村周辺の索敵・確認任務。』
討伐は不要。
異変があれば報告するだけ。
俺向きだ。
―――――
今回組んだのは、三人。
どこか余っていた者たちだった。
槍使いの男は、俺を見るなり鼻で笑った。
「英雄級が索敵か。ずいぶん落ちたな」
「最初から、ここです」
そう答えると、男は肩をすくめた。
魔術師の少女は、少しだけ不安そうに俺を見る。
もう一人、盾役の青年は何も言わない。
ただ、必要以上に距離を取っていた。
村に向かう道中、俺は何度も足を止めた。
草の倒れ方、風向き、臭い。
「ちょっと、進まないんですか?」
魔術師の少女が声を上げる。
「進めるけど、進まない」
意味が分からない、という顔。
だが俺は歩かなかった。
次の瞬間、地面が崩れた。
槍使いの男が一歩踏み出した足元が抜け、
浅い落とし穴が口を開ける。
「くそっ!」
深くはない。
致命傷にはならないが、戦闘中なら終わっていた。
「……罠か」
盾役の青年が呟く。
俺は黙って頷いた。
廃村に“何もいない”はずがない。
だから索敵なのだ。
それでも、評価は上がらない。
「たまたまだろ」
槍使いはそう言って吐き捨てた。
―――――
廃村の中心で、異変は起きた。
数は少ないが、魔物が潜んでいた。
討伐は依頼外。
だが、見つかった以上、戦闘は避けられない。
「行くぞ!」
槍使いが突っ込む。
止める暇はなかった。
俺は、戦わなかった。
盾役に退路を指示し、魔術師に詠唱を止めさせる。
視線は出口だけを見ていた。
「下がれ!」
叫ぶ。
一瞬遅れた槍使いが、魔物に弾き飛ばされた。
鎧が軋み、血が飛ぶ。
俺は走った。
前ではなく、横へ。
倒れた男を引きずり、退路へ。
「何して……!」
「死ぬからだ!」
魔物を倒す力はない。
だが、時間を稼ぐことはできる。
盾役が立ちはだかり、
魔術師が煙幕代わりの魔法を放つ。
逃げる。
ただそれだけ。
―――――
全員、生きて戻った。
だが、ギルドでの報告はこう記された。
「討伐未達成。戦闘回避。成果なし」
槍使いは包帯を巻きながら、俺を睨んだ。
「英雄級のくせに、何もできねえじゃねえか」
否定できなかった。
守れた。
死なせなかった。
それだけだ。
受付嬢が静かに言う。
「……名前負け、ですね」
その言葉は、責めるようでも、慰めるようでもなかった。
俺は依頼書から目を逸らし、頷く。
「はい。名前負けです」
二つ名は重い。
実力は追いつかない。
それでも現実は変わらない。
――俺は弱い。
――英雄ではない。
『“生存率だけは英雄級”』という名前だけが、
今日も一人歩きしていた。
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